ありがとう、でも自分で決めたいの それが生きる力になるから
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
![「デイサービス ひだまり」のパンフレットを見るひと](http://p.potaufeu.asahi.com/ba32-p/picture/27273402/d62e3b5c41892fdadedf69d51bc3dfe7.jpg)
ねぇ、ケアマネさん。
この前、ご紹介いただいた
デイサービスだけど。
やっぱり
他のデイも見てから、
自分で決めたいの。
せっかくだけど
契約はもうちょっと待ってね。
![洋服を選ぶひと](http://p.potaufeu.asahi.com/9071-p/picture/27273400/aa501b171224b7a951d91961c983d33b.jpg)
幸子、ごめんね。
せっかく買ってきてくれた
このワンピース。
着てはみたんだけど、なんか違ったの。
やっぱり自分の目で見て
買ったやつがいちばんみたい。
![お気に入りの服を着て微笑むひと](http://p.potaufeu.asahi.com/1d4c-p/picture/27273401/beeb6d6b561eadbb531dc591e5b4e94b.jpg)
みんな優しくて、
先回りして与えてくれるけど。
認知症があったって、
自分のことは自分で選びたい。
こんな私はワガママですか?
「ワガママな人ほど、長生きする」
そんな確証もない話を、たまに耳にします。
ちょっと笑ってしまいながらも、
確かにそうかもしれない、と改めてうなずく私がいます。
なぜなら、うちの血筋は明るく長命な人ほど、
それが当てはまりました。
具体的には、
「自分のことは、自分で決める」
「相手の好意でも、嫌なら遠慮なく断る」
などの言動でしょうか。
認知症があってもなくても、です。
もちろん、周りの家族は嫌というほどに振り回されましたが。
そんな私的な体験から、
認知症であってもそれにとらわれず、
最期を迎えるために大切なのは、
「自分に選択権がある」という環境なのかもしれない、と
私は思っています。
つい、周りは、
「認知症で分かりにくいことがあるだろうから、本人ではなくご家族に相談しよう」
「うまく答えられないだろうから、代わりに身内の私が答えてあげよう」
「買い物が大変だろうから、あらかじめ買ってきてあげよう」
——と先回りをしてしまいます。
けれど、ご本人の意志が伴わなければ、
他者から手助けされるばかりでは、
それが、たとえ善意からであっても
ご本人の生きる力を奪いかねません。
自分のことぐらい、自分で決めさせて。
その希望こそ、
ご本人にとっての生きる力、
そのものなのだから。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
![](http://p.potaufeu.asahi.com/nakamaaru/img/nakamaaru450_450.gif)