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今日は晴天、ぼけ日和

最愛の呼称「お母さん」 そう呼べない娘の胸の痛みを救った母の笑顔

《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

うつむくひと

「お母さん」
呼べども、母の目に光はやどらない。

「——お母さん」

最愛の呼称が
むなしく部屋に消えていく。

顔を上げるひと

だから勇気をだして、口にしてみる。

「まさ子ちゃん」

可愛らしいその呼び方に
母は顔を上げ、笑顔になる。

ああ、これでいいのかもしれない。

見つめ合うふたり

まさ子ちゃん。

あなたが呼ばれたい名前を
私は見つけられた。

「お母さん」と呼べない胸の痛みは、
あなたの笑顔に溶かされていく。

「認知症が進んだからといって、
 子どもが親を名前で、しかも
 ちゃん付けで呼ぶとはバカにしすぎていないか」

そんなご意見を耳にし、この話を書いています。

親と子ども、という一般的な関係性を気にしたら、
真面目な人ほど、そう思うかもしれません。

けれど実際には
「お母さん」や「お父さん」という呼ばれ方では、
ご自身のことだとわからなくなる方もいらっしゃいます。

また、親である、という役割は、
その人の一生を決めてきたほどの
重い責任でしょう。

それをも、人生のしめくくりで
いったんおろすかのように、

ひとりのその人として、
「まさ子ちゃん」でも「まさ子さん」でも、
名前で呼ばれたいのであれば、
周りがとやかく言う必要はないのではないでしょうか。


そしてもうひとつ、印象的だったこと。

以前、介護者の方が、

「娘の私を娘とわからなくなった母を、
 まさ子ちゃん、と呼べるようになってから、
 私が楽になった」

と話されていたことです。

呼び方、呼ばれ方それぞれに、
その人だけの思いがあるように思います。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

前回の作品を見る

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