電動車椅子を利用する人に投げられた無意識の口撃 もし私だったら?の想像力を
《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
人が歩くには心地よい風も、
電動車椅子に乗ると、
冷たく、全身にぶつかってくる。
それでも、行きつけの書店に向かう。
遠出が難しい私の
小さな、でも大きな楽しみ。
店員さんの悪気ない言葉に、
心が凍る。
確かに車椅子を使うと、
人より幅をとるだろう。
でも、それは私が
気づかわねばならぬこと?
ただ外に出る。
そんな当たり前の自由にも、
私には大きな壁がある。
「普通に歩けないのはあなたなのだから
気をつかうのは、あなたでしょう」
そんな偏見の壁が。
私の周りには電動車椅子を利用している、
高齢者や、長い距離を歩けない人たちがいます。
「電車の中で電動車椅子を使うと、人に迷惑がかかるから」と、
スペアのバッテリーを車椅子に積んで、
お尻が痛くならないよう、ぶ厚いクッションを敷き、
電車には乗らずに、車椅子で長距離を移動する人もいます。
そして、せっかくたどり着いた目的地で、
他のお客さんの迷惑になるからと、
やんわり入店拒否をされる場合もあると聞きます。
おかしな話だと思いませんか?
私もそうですが、
普通に歩ける多くの人たちは
行きたいところへ行ける自由を、
当たり前に享受しています。
その特権にさえ、無自覚でしょう。
それなのに、車椅子を使っている人にはなぜ、
周りへの配慮をしてほしい、と
要求してしまうのでしょうか。
「あなたは周りの迷惑になりますから、遠慮してください」
「みんなには使えますが、あなたには、使えません。
だからあなたが、どうにかしてください」
こんな残酷な言葉や、視線の圧力を、
多くの人たちは日常の生活の中で
自分に向けられたことがありません。
でも自分自身や、大切な人が不自由な体になった時に
ようやくその痛みがわかった、
では遅いように思います。
私もいつもできているわけではないのですが、
私たちは生きづらい人にたいして、
「もし、あの人が私だったら」と
想像力を育まねばならないことが
たくさんあります。
誰にでも生きやすい社会は、
きっとひとりひとりの心からはじまります。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》