\新連載/タレント駒村多恵さんがつづる、要介護5の母との暮らし
タレント、アナウンサーとして活躍する駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。
「シングル介護、鋭意続行中」
朝、目覚めると、私は真っ先に隣で眠っている母に手を伸ばし、触れます。
「温かい」
手に伝わるぬくもりを確かめ、ホッとして、ゴソゴソ起き上がります。そうやって母の生を実感して、私の一日は始まります。
在宅介護を始めて15年目。要介護5になってからはそろそろ5年が経つでしょうか。15年前は横断歩道を走っていた母も今では1人で起き上がることもできず、いつ体調を大きく崩してもおかしくない状況です。
「今日、調子いいな」と喜んだのもつかの間、あっという間に悪くなるし、1日の中での変動も大きいです。転がるように悪くなる病の下り坂を、いかに緩やかな傾斜にできるか。現状維持を目指すこともなかなか困難な毎日です。
在宅介護は母の希望でした。私は本人の希望に沿って出来るところまでやってみようと伴走することを決めたのですが、気がついたら丸14年もの月日が経っていて、振り返ってみると「案外、続けられたな」というのが率直な感想です。
介護は未経験。最初は何もかもわからないことだらけでした。母を支えたい一方、好きな仕事も辞めたくない。仕事のクオリティーを落とさないというのは絶対です。
どうやって両立するか具体的なアイデアはなかったけれど、とにかく「やりたいことは全部やる!」という心意気で介護することにしました。自分のやりたいことを我慢すると「母がいるから」とか、「母のせいで私が犠牲になっている」というような負の思考に陥る気がして、それだけは避けようと思ったからです。
母を在宅で介護すると決めたのは、最終的には私の選択です。それなのに、我慢が募ると責任転嫁しがちになるのではないかと。そうやってストレスを減らすように思考を整えながら、仕事と介護、更には趣味まで、割とやりたいことはしてきました。
とはいえ、15年の間には色々なピンチもあり、その度に「んー、これ何とかならないかなぁ?」と考え、調べ、情報を集め、時には専門家にアクセスし、セミナーに行ったり、助言を乞うたり、様々なトライ&エラーを繰り返してきました。介護福祉士や介護食士の資格を取ったのも、その延長線上です。
実はこの思考、番組作りと似ています。1つのテーマをわかりやすく伝えるために情報を徹底的にかき集め、専門家の助言を受け、精査を繰り返して放送する……。担当すると、そのテーマの専門家になるくらいの勢いで知識を入れるのが情報番組のリポーター業です(終わったら全部、もう信じられないくらいすっかり忘れるのですが)。
そんなふうに番組を作るような感覚で、手を替え品を替えなんとかしてきました。母をケアしてくださる方は、口をそろえて「娘さん楽しそうですね」と言います。あれこれ考えた策がうまくいくとうれしいし、やりがいがあります。客観的に見ても楽しそうに見えるなら、私自身、良い感じで仕事と介護を両立出来ているのではないかなと思っています。
7年前、東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まった時、人々が抱き合って喜ぶニュース映像を横目に「東京に来るけど、一緒に観られるかなぁ」と、母を見ながらぼんやり考えていました。それが、閉会式までしっかり一緒に見届けられました。
常に遠い未来は描けません。ただ、一日一日を懸命に大切に生きています。そんな私たちの日常を、これから5回にわたって連載することになりました。在宅介護をされている方が一緒に考えたり、何かしらヒントになったりすることがあるといいなという思いでつづります。皆さんの毎日が健康で、楽しくありますように。
※ 次回「ヒヤリを越えて凍る背筋 猛暑のたびに思い出す、駒村家の熱中症事件」はこちら