「認知症カフェの共通理念」とは? みんなの意見総仕上げ シンポジウム報告
斉藤直子
それぞれの思いを込め、さまざまな形で開催されている認知症カフェ。その根底にある共通理念について共に考え、次につなげるべく、なかまぁるは3月22日(火)オンラインシンポジウム「認知症カフェの共通理念を探る」を開催しました。
認知症カフェ取材の第一人者であるコスガ聡一さんが、これからの認知症カフェのあり方を考える手掛かりとなる「わたしたちの認知症カフェ憲章 草案」を報告。なかまぁる特別プロデューサー・丹野智文さん、東京慈恵会医科大学教授・繁田雅弘さんによる講演の後、オンラインでの参加者からの質問、意見も交えシンポジウム形式で語り合いました。その様子をリポートします。
あえて着地点を決めず、認知症カフェに込めた思いを コスガさん
最初にコスガ聡一さんが、2020年度に開催したオンラインシンポジウム「認知症カフェ これから会議」(以下、「これから会議」)からインタビュー企画「認知症カフェ憲章(仮称)への道のり」、そして「わたしたちの認知症カフェ憲章 草案」へと至る経緯と今後について話しました。
ベースになった「これから会議」ではコロナ禍初年の2020年6月から計8回のシンポジウムを開催しました。コロナ禍に認知症カフェは何ができるか、これからどうしていくかを、家族、本人、行政、メディアなどに横串を通すような形で語り合いました。21年3月、第8回フィナーレとして登壇者が一堂に会し、話し合う中で出たのが“認知症カフェの共通理念”という言葉。「認知症カフェのベースラインを担保する取り組みの必要性という話題が出ました。そこで認知症カフェ憲章というアイデアを私案として提案したのです」
認知症カフェの共通理念を浮き彫りにする手法をなかまぁる編集部と協議し、カフェ主宰者・関係者にそれぞれの思いを5項目「わたしの5か条」にまとめていただきインタビュー。その重なり合う部分をコスガさんが「認知症カフェ憲章(仮称)」としてまとめるということになりました。名称に(仮称)と付けたのは、対話の中で名前についても考えていきたいとの思いからでした。インタビュー対象者は性別や職種、年齢、立場などが偏らないよう人選も重視。いろいろな方の声が盛り込まれるよう工夫したといいます。「インタビューで大事にしたのは“着地点を決めないこと”。予定調和的なものになるのは避けたかったのです。みなさん、本当に深く考えてくださいました」
*「わたしの5か条」の各インタビューとオンラインシンポジウム全体の動画は、YouTubeチャンネル「なかまぁる、認知症当事者とともにつくるウェブメディア」でご覧いただけます。
このようにしてまとめられたのが、この日公表された「わたしたちの認知症カフェ憲章 草案」でした。「ただしこの憲章は“誰にも押しつけない”ことも大切だと思っています。その代わり非営利目的に限り自由に利用できるようにしたいなというのが個人的な思いです」
認知症カフェを開催する際に掲げたり、勉強会の題材などとして活用したりしてもらうことを想定しています。
*「わたしたちの認知症カフェ憲章」は、こちらからダウンロードすることができます。どうぞご活用ください。
素になってしゃべれる。当事者が自ら来たくなるカフェに 丹野さん
丹野智文さんは若年性型認知症の当事者として、当事者のための相談窓口「おれんじドア」や当事者と協働の「リカバリーカレッジ」を開設し、ピアサポート(仲間同士の支え合い)に尽力しています。認知症カフェはやっていませんが、視察先の認知症カフェの多くで「認知症の本人が来ない」という話をよく耳にするといいます。多くの当事者に支持されている「おれんじドア」や「リカバリーカレッジ」での工夫、大切にしていることを話してくれました。
「『おれんじドア』では、どうしても当事者より家族がよくしゃべってしまう。そこで当事者と家族を分け、当事者だけでしゃべるようにしました。当事者は家族に背を向ける位置に、心配する家族は当事者本人が見える位置に座ってもらう。話の内容は聞こえないけれど、笑っている姿は見えるようにするのです」
家族と離れることで当事者が主体的になる。すると安心してしゃべるようになるそうです。多くの家族は最初「この人はしゃべりません。何もできません」というけれど、丹野さんは「しゃべらない当事者は1人もいなかった」と言います。確かに同じ話を繰り返す人もいるけれど、それは症状だから認めてあげればいい。認知症があってもごく普通に笑ってしゃべることを、家族をはじめみんなに知ってほしいといいます。
「困り事も病名もこちらからは聞きません。まずやりたいことを聞くと『買い物したい』『山登りしたい』っていう話になる。『じゃあなぜ今できないの?』と聞くと、1人の外出を禁止されている、財布を持たせてもらえないなど、ちゃんと困り事が見えてきます。そしてしゃべっているうちに自分から認知症のことを話す。そういう場を作っているんですよね」
「リカバリーカレッジ」で行われている当事者の勉強会でも、ただ素になってしゃべる場が欲しいというのが当事者たちからの要望なのだといいます。「(家族らからは)暴れたり、徘徊したりした場合はどう対応するのか、とよく聞かれますが、楽しければ誰も暴れないし、自分で決めて来た人は帰りたいと言わない。素になってしゃべれることがとても大事なんです。“認知症カフェに来て元気になったよ”っていう場を作ってほしいですね」
各カフェは「うちはこんなカフェ」とアピールを 繁田さん
東京慈恵会医科大学教授・繁田雅弘さんは医師、研究者として認知症と向き合う傍ら、神奈川県平塚市にある実家を改装して開放し、定期的に平塚カフェを開催しています。月1回は白衣を脱いで参加者に交じり、一緒におしゃべりを楽しんだり、時には輪から外れてゴロンとくつろぎ、参加者たちが醸し出す空気に心を寄せたりしているという繁田さん。
「人は、自分はこう生きたい、人にもこんなふうに生きたらいいじゃないかって考えると思います。認知症カフェでお互い認知症を超えたところで人間同士のつき合いになると、話の流れにそんな価値観が生まれ1つの空気ができる。すると参加しやすい人と参加しにくい人が当然出てくるんです。僕はそれ、決して悪いことではないと思っています」と繁田さん。
“誰でも参加できる”というのが多くの認知症カフェが目指すところではありますが、繁田さんの視点は、“認知症当事者に対して”ではなく、参加者のひとりひとりと人間同士、本気のつき合いに臨むことからの視点かもしれません。
「たとえば気軽に話せる、楽しい、明るい……どれもよいことで、目指すこともよいのだけれど、それらに価値観が出てくれば、そのカフェの空気になる。すると全ての人にはやっぱり合わないんです。そこまで考えたとき、認知症カフェの根底にあるものとして、やはり“自分らしくいられる場所”でありたいと思います」
自分らしく無理をしなくていい……ということは悩んでいても悲しんでいてもいい。本人が悲しみに向き合っていることが許される場所。それが本当の意味で認知症を超えたところにある人の集まりだと、繁田さんはいいます。そして認知症カフェの主宰者としては「自分のカフェの雰囲気、空気感を周りにうまく伝えて理解してもらうことが大事」とも。そのアピールを頼りに参加者が自分に合いそうなところを主体的に選んで来ることができるわけです。「認知症カフェは“こういうあり方がいい”ということはない。さまざまなスタイル、雰囲気のカフェが許され、行きたい人の気持ち、行きたくない人の気持ちもすべて許される社会であってほしいし、それが認知症カフェの共通する理念なのではないかなと考えています」
支援する側・される側の関係のあり方は
シンポジウムではまず、多くのカフェ主宰者から聞かれるお悩みについて語り合いました。「当事者にとって居心地よい場所にしたいと思っても、どうしても支援する側とされる側の関係が崩せない」というのです。そこをなくして、愛されるカフェになるにはどうすればいいか。登壇者の3人に聞いてみました。
「一時的に支援する人・される人という関係があってもいいと思うんです。そこをなくすというのはむしろ違うと思う」と言うのはコスガさん。認知症カフェの中で立場が入れ替わることは、実はよくあること。当事者も支援者もその時々の役割、それぞれができることをしながらその場を作っていく。そのように“立場は常に入れ替わりうる”ということをお互いに共有できていると、風通しがよくなるのではといいます。
また、平塚カフェを開催する繁田さんは、「カフェをやろうとするとどうしても“役に立ちたい”という思いが湧く。それが“認知症の人の役に立ちたい”になってしまいがちだ」と打ち明けます。一方で、「僕がカフェの参加者として“この人いい感じだな”って直感的に思うのは、あなたに会いたかったという気持ちをちゃんと伝えてくれる人。それは当事者も同じだと思うのです。あなたに興味があるんだということをちゃんと伝えられる人には、人が集まってくると思います」
前述の丹野さんのお話にあった“当事者が自ら認知症のことを話し出す”というのは、自分が認知症とどう向き合っているかを見てほしいから。認知症との向き合い方はその人の生き方そのもの。そこを「『ちゃんと見ているよ』と伝えることが大切だ」と繁田さんは言います。
この繁田さんの発言を受けて、丹野さんは「役に立ちたいと思う人は多い。それは優しさなんだけど、当事者がそれを望んでいない場合もあるんです。優しさが当事者を苦しめることがあることを知ってほしい。当事者の声に耳を傾けてほしい」と訴えます。「カフェの終了後に『どうだった?』って当事者や家族に聞けばうまくいくような気がするんだよね。当事者以外の人が“よかれと思って”作って、それに合わせるのではなく、当事者が自分で考えて作り上げたものは楽しいと思うよね」
さらに、繁田さんによると、認知症カフェに行ってみようと思うのには、実は当事者それぞれのタイミングがあるのだといいます。そのタイミングでないのに背中を押されるとしんどくなる。でも知らないと行けないので、そういう場があることは伝えて、あとは周りが“待つ”余裕を持つことが大切なようです。
そのタイミングを逃さず認知症カフェに出会うためにも、常設のカフェが増えるのも望まれるところ。そのほかにも各地の認知症カフェ、オンラインカフェの開催日がひと目でわかるカレンダーがあるといい!といった声が登壇者からも続々上がり、盛り上がりました。
賛否両論、議論の絶えない認知症予防 どう向き合うべきか
様々な意見が出ている“認知症予防”という言葉。オンライン参加者からも疑問の声が寄せられました。認知症カフェは認知症の正しい情報が得られる場という役割も担っていますが、この認知症予防とどう向き合うべきでしょうか。
「認知症カフェは『認知症になってもみんな来てよ、支えるからさ』っていう場所であってほしいですね」というのは丹野さん。認知症にならないために頑張ろうというところでは、なったら落第者になってしまい、もう行けなくなってしまいます。ましてや当事者にとってつらい場所になってしまうでしょう。「逆に認知症の当事者と出会っていろいろな工夫していることを学べば、みんなが認知症になったときに困らないと思うんですよね。その工夫をまねすることもできます。そんな認知症カフェなら僕はうれしいです」
繁田さんは「まだ社会は認知症と向き合えていない」と指摘します。だから予防、予防といって目を背けようとする。「丹野さんのいわれるような“備え”ということならいいと思う。当事者を囲み、どう向き合っているかを聞くのは、いつか自分もなったときのために先輩に教えを乞うことになります。認知症の当事者であることが大きな価値を持つわけです。認知症カフェはそんな場でありたいですね」
コスガさんは“障がいの社会モデル”という言葉を挙げました。「障がい者といわれる人たちは、障がいが、本人だけではなく社会にもあるという考え方です。認知症の場合の社会にある障がいは“認知症になりたくない”という風潮。認知症予防をカフェでやってしまうとこの風潮に拍車をかける可能性があり、カフェの理念とは真逆であると僕は思っています」
それぞれのカフェを考える手掛かりに
地域や社会の中で認知症カフェが担う役割を考えるとき、それぞれのカフェにかける思いやスタイルは違っても、なにか普遍的な共通の理念をみんなで持ちたいと願い、「わたしたちの認知症カフェ憲章 草案」づくりを模索してきました。しかしそれが本当に成り立つものなのか、また憲章のような形で文章化する必要があったのか、コスガさん自身も今も葛藤があるといいます。この草案をどのように生かしたらよいか、みなさんに意見を聞きました。
まず、コスガさんは「これが完成形でも手本でもありません。それぞれのカフェで『私の5か条』を考えていただいてもいいですし、今年作った5か条を来年考え直すのもありでしょう。人によってもその時によってもカフェは変わっていくもので、その変化をどう共有できるか、場として大切にしていけるかが、この答えのない取り組みの大事な部分だと思います」と説明。また「『草案』のすべてに共通する“ともに”は、カフェのスタッフとも、参加者全員とも捉えてよく、なるべく関係性を固定化しないように考えました」と言うコスガさん。各カフェにとって“ともに”の次に何を持ってくるかも考えどころです。「各カフェがそんな“どうあるべきか”を悩むことこそが、本質だ」と語りました。
繁田さんは「草案を見て、自分のカフェの場合はどうだっけ?と振り返ることができる」と言います。みんなが自分の場合の“ともに思うのはこんな思い”というように考えると、自分のカフェの個性や特徴が客観的に見えてくるものです。5か条を示すことは「“我がカフェはこんなところ”と発信するいい機会になるのでは? 僕だったらそう使いたいですね」
オンラインイベントを通して、認知症カフェが、地域や社会にとってこれからますます大切な場所だということを感じることができたのではないでしょうか。多様な認知症カフェができ、それぞれのカフェが思い思いのスタイルを大切にしながら、参加者に向けて、個々の認知症カフェの個性や特徴を積極的に発信し、それを受け取った当事者が自分に合ったカフェにたどり着ける。そうした出会いがあちこちで生まれる。そんな認知症フレンドリー社会の実現を目指していくことが大切なのでしょう。