介護の働き方改革 「健康のために働く」ために自治体がトライアルを支援
取材:渡辺千鶴、岩崎賢一 イラスト:青山ゆずこ インフォグラフ:須永哲也
健康のために働く時代が来た――。
アクティブシニアも、自分の健康や生きがいのために、短時間労働「プチ就労」を考えようという取り組みが進んでいます。先進地である兵庫県宝塚市をベースに活動するNPO法人「健康・生きがい就労ラボ」理事長の遠座俊明さん(63)は、人手不足の介護の現場や同じような周辺業務がある保育の現場での短時間就労を出発点とし、無理なく働ける「四方良し」の仕組みづくりを進めています。シリーズ「これからのKAIGO~『自分にできる』がきっと見つかる~」の8回目は、健康・生きがい就労ラボを深掘りしました。
課題:活動するとして、ボランティアと就労の違いを知りたい
- 介護イノベーター:遠座俊明さん(おんざ・としあき)
- 大学卒業後、大阪ガス株式会社入社。供給部門、エネルギー事業部門、リビング事業部門、地域冷暖房エネルギーセンター所長などを経て、現在は大阪ガス株式会社ネットワークカンパニー エネルギー・文化研究所主席研究員。2018年、宝塚市が設けた「宝塚市お互いさまのまちづくり縁卓会議」の市民メンバーに就任。これまでの研究成果を活用した「健康・生きがい就労トライアル」事業を提案する。2021年4月、この事業を持続・発展させるためにNPO法人「健康・生きがい就労ラボ」を設立する。
介護や保育の現場の周辺業務は高齢者の短時間就労でカバーできる
兵庫県宝塚市は2019年からアクティブシニアを活用した「健康・生きがい就労トライアル(以下、就労トライアル)」事業を開始し、市内の介護施設や保育園では「生きがい」と「プチ就労」を目的とした高齢者が周辺業務を担っています。
この事業は2015年、WHO(世界保健機関)が提唱する「エイジフレンドリーシティ・グローバルネットワーク」のメンバーに宝塚市が承認されたことに始まります。宝塚市では、高齢者にやさしいまちづくりを目指し、2018年に公募による市民と市役所職員で構成される「宝塚市お互いさまのまちづくり縁卓会議」を開きました。この会議で市民側から提案されたのが就労トライアル事業です。
提案者である遠座俊明さんは事業設計の狙いについて次のように語ります。
「健康だからさまざまな活動ができるのではなく、活動しているから元気でいられるのです。この考え方をベースに『健康のために働く』ことを目的としています。80歳でも無理なく働ける仕組みがある社会を目指しています」
介護人材確保を支援する宝塚モデル
3カ月のトライアルがスタートだからこそ参加しやすい
この事業の対象者は60~80歳のアクティブシニアです。仕組みとしては、市の広報で参加者を募集します。事業説明会や介護講座、施設見学などを催し、参加者に周辺業務について理解してもらったうえで、施設で希望の曜日や時間帯を聞き取り調整します。労働時間はおおむね週2日、1回2時間の短時間のプチ就労です。トライアル期間は3カ月間になります。就労トライアルは、いわばプチ就労のための「お試し期間」で、身分は非正規雇用です。この期間が終了すると、参加者はプチ就労を継続するかどうかを選択し、継続する場合は改めてパート契約を行いケアサポーターなどとして働きます。
「この事業は高齢者本人だけでなく、その家族、事業者、公共にとってもメリットが大きく、まさに『四方良し』の仕組みです。ハローワークと連携し、介護事業者と高齢者が直接雇用契約を結ぶため、自治体は仕組みを整備するだけで高額な事業費はかかりません。少子高齢化で財政状況が年々厳しくなる中、自治体には既存の枠組みを活用した仕組みづくりがますます求められてくるでしょう」
就労トライアル事業は開始以来、全国各地の自治体や介護福祉関係者から注目され、2020年に「第9回健康寿命をのばそう!アワード」で厚生労働省老健局長優良賞を受賞しました。2021年4月、遠座さんたちは、この事業を持続・発展させていくためにNPO法人「健康・生きがい就労ラボ」を設立。宝塚市を中心に大阪、福岡などの市民が参画し活動しています。
報酬があることは「生涯現役」の張り合いにつながる
このような就労とボランティアでは、どのような点が違うのか、比較してみましょう。
「高齢者にとって報酬があることは『おこづかいを稼げる』という経済的メリットだけでなく、『現役であることを実感し、生活に張り合いが出る』といった精神的メリットも大きいのです」
また、就労にした方が介護施設にも利点があるといいます。ケアサポーターに継続して活動してもらいやすいうえ、短時間労働とはいえ労働力としてしっかり確保できるからです。
「ある施設は多くのケアサポーターを雇い入れているため、その人件費に月50万円ほどかかっています。しかし、介護職員の残業代が同じくらい減ったので、費用的には変わらないそうです。ケアサポーターに周辺業務を移すことで、介護職員が『今までやりたくてもできなかったケアに取り組めるようになって非常にありがたい』『今や高齢者の働き手は現場になくてはならない存在だ』という声も上がっています」
さらに高齢者が収入を得るようになると消費に回せるようになり、地域経済も潤うといった効果も期待できます。
漫然と受け入れは禁物
介護施設が留意しなければならない点もあります。それは漫然と受け入れないことです。
「介護施設はケアサポーターを『戦力』として捉え直すことが重要です。そのためには介護業務の中からケアサポーターに依頼する周辺業務を切り出し、その仕事を確立することが欠かせません。この作業は介護施設にとっても業務の見直しや効率化につながります」
しかし、この作業を不得手とする介護施設も少なくないため、遠座さんが運営するNPO法人「健康・生きがい就労ラボ」では今後、マニュアルづくりを含め、介護施設に対する業務の見直しや切り出しのサポートを行っていくことを検討しています。
コロナ禍でもほぼ維持された就労ニーズ
就労トライアル事業の仕組みがうまく回るためには、この活動に参加する高齢者を増やしていくことも不可欠です。一つ目のポイントは、自治体との緊密な連携です。
「自治体が行っているプログラムだからこそ、高齢者は安心して参加できるのです。個別に求人広告を出しても人が集まらないという介護施設の悩み解決にもつながります」
宝塚市では活動意欲のある高齢者を集める手法の一つとして事業説明会を行ってきましたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により緊急事態宣言が相次いだ今年度は事業説明会も延期が続きました。一方、コロナ禍にあっても介護施設で働きたい、という高齢者のニーズは維持されています。
「家族からの反対はあったと聞いていますが、本人が辞めたいというケースはほとんどなかったようです」
LINEによるマッチングサービスからプチ就労の掘り起こし
NPO法人では、2021年6月から高齢者を対象にした「初心者向けスマホ講座」を始めました。近い将来、防災情報をはじめ、行政から発信される生活情報はスマホを通して受け取るのが一般的になることが予測されており、高齢者にもスマホの操作を覚えてもらう必要性が高まってきています。参加者2人に1人程度の「チューター」と呼ばれる講師のアシスタントをつける高齢者目線で企画・開発されたスマホ講座には、毎回20人ほどの高齢者が参加しているそうです。
さらに地域活動を促進することを目的に、2021年9月からLINEによるマッチングサービスも試行しています。これは「プチ就労」、「ボランティア活動」、「イベント参加」の三つの項目別に分けた地域の募集情報を掲示板のような形で掲載し、それを見た高齢者が情報発信者と直接、応募のやりとりができるというものです。スマホ講座ではこのマッチングサービスの使い方も教えており、プチ就労者の掘り起こしに役立てていきたいと考えています。
注目してもらうには介護以外に働ける分野も開拓することが重要
二つ目のポイントは、高齢者の多様なニーズに応えていくことです。この事業は人手が足りない介護と保育の現場からスタートし、家事の延長で仕事が行えるということもあって参加者の多くは女性です。しかし、介護の周辺業務では車椅子の修理や植栽の管理など男性が得意とする仕事もいろいろあります。
「介護の分野でも活躍できる仕事があることをアピールしつつ、多くの高齢男性を社会に引っ張り出し、プチ就労に目を向けてもらうには介護以外の裾野を広げていくことが重要です。すでに活動しているケアサポーターのアンケートでも『職域が広がるとうれしい』といった声が寄せられています」
NPO法人では、農業、教育、デジタルの分野での新たな仕事づくりに取り組んでいます。スマホ講座ではプチ就労としてのチューターを高齢男性が担っています。同世代の講師だからこそ「分かりやすい」という声も聞こえてきます。
また、市の教育委員会と連携してコミュニティスクール事業の一環で「学校サポーター」としてアクティブシニアを活用する動きも始まっています。「英語」や「情報」など新しい教科が増え、学校の先生も大変だからです。本格稼働を目指し、モデル校となる小学校と中学校を選定しています。
「職域を広げることによって介護分野に人が集まらなくなることを危惧する声もありますが、心配することはないと考えています。ケアサポーターを戦力として捉えている施設では意欲のあるケアサポーターがステップアップできる仕組みをすでに導入し、報酬にも反映させています。つまり、アクティブシニアの活用も、業種ではなく、働きやすくて魅力のある職場をいかに創出できるかということにかかっているのです」
「就労トライアル事業の手引書」を通じて全国の自治体へ横展開
宝塚市と2020年にケアサポーター就労トライアル事業の導入手引書を作成し、他の自治体への横展開も積極的に行っています。2021年度から試験的に運用を開始した大阪府摂津市や、福岡県のモデル地区として導入の動きが進んでいる福岡県飯塚市などのサポートを行っています。このほか前向きに検討を始めている自治体も増えているそうです。
「アクティブシニアを活用し、80歳でも無理なく働ける『四方良し』の仕組みづくりが広がっていくには自治体と住民の双方から盛り上げていくことが欠かせません。地域で子どもを育てていくように、これからは地域で高齢者を支え合うことがスタンダードになっていくでしょう」
個別に求人活動を行ってもボランティアを含め、人を集めることは容易ではありません。高齢者を対象とした就労トライアル事業のような行政の仕組みを積極的に活用していくことも得策の一つです。
2021年4月設立(理事長・遠座俊明)。宝塚市と開発した「健康・生きがい就労トライアル」事業を持続・発展させるために設立された。他の自治体への横展開させることも視野に入れつつ、同事業の企画推進・開発やシニア層への地域活動啓発研修などに取り組んでいる。