根底にあった家族の疑問 “開拓三世の感覚”で作った初の絵本 桜木紫乃さん
取材/古谷ゆう子
小説家の桜木紫乃さんが、初めての絵本『いつか あなたを わすれても』を出版しました。この絵本は、昨年刊行した小説『家族じまい』とストーリーがつながっています。認知症になった老母との関わりから、家族としての終わり方を見つける……という小説には登場しなかったのが、孫でした。絵本では、祖母の姿を通して、人の成長と老いを見つめる孫の視点から、小説と同じ家族の物語がつづられます。小説の続編の初執筆、そして絵本という新しいスタイルで作られたのはどのような経緯があったのでしょうか。北海道在住の桜木紫乃さんに、オンライン取材に応じていただきました。
──『家族じまい』のご執筆時には、すでに『いつか あなたを わすれても』の構想があったのでしょうか
「絵本」という言葉が最初からあったようには記憶していなくて、「児童書の分野でなにか書いてみないか」と、たまたまご縁のあった編集者からお話をいただいたのがきっかけでした。本当に、自分が絵本の文章を担当することになるとは思っていなかったので、私自身が一番驚いているかもしれません。具体的に動き始めたのは、『家族じまい』を書いた後のことだったと思います。
ずっと、ごく身近にある題材を書いてきたのですが、絵本になってもそれは変わらなかったような気がします。『家族じまい』のラストは孫の視点で締めようかなと思っていたのですが、比較的若い登場人物の視点を入れたため、その後にまた孫が出てくるとかぶってしまうな、という感覚があったので、孫の視点を省いたんです。結果として自分にとってはいい終わり方にできたとは思えたのですが、同時に「孫の視点」というものが宙に浮いてしまっているという感覚がありました。
絵本の文章を書くということは、ほとんどの仕事が「削ぎ落としていくこと」だった気がしています。小説を書くのとはまた違う筋肉を使って書いていましたね。
──『いつか あなたを わすれても』を読むことで、『家族じまい』がより大きな物語として完成したような印象を受けました
小説と絵本の両方あることで、広く物語を届けられるように感じました。それから、やっぱり「絵」があるっていいなって。私が書きたいことを書いても、どんなに文章を削っても、オザワミカさんの絵がなくては成立しなかったと思います。
絵の下書きを見た時に、すぐに彼女のファンになって、「あ、この人、本気だ」と感じたことで、私もグッとエンジンがかかったと言いますか。できるだけこの絵の邪魔をしないようにしようと思い、削ぎ落としが加速したという面はあります。
普段、編集者とやりとりしながら小説を書いていますが、他の分野で活躍されている方と連名で、共同作業を通して何かを表現していく、という経験は新鮮でした。緊張もしましたが、とても勉強になりました。
──女性の生き方や家族は、桜木さんの小説に共通するテーマです。
「家族」を、桜木さんご自身はどのようにとらえていますか
『家族じまい』(2020年)と、四人の人間ドラマを描いた小説『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』(2021年)を書いたことで、家族のかたちや関係性ということに、自分のなかで一つ区切りがつき、考えがまとまった気がします。
親に対する情や親子関係というものに常に疑問を持ちながら「家族」を描いてきたのは、北海道で生まれ、北海道で育った私のなかに“開拓三世の感覚”があるからなのだと思います。
北海道における核家族の歴史は、100年と言われています。一方で、内地は50年。北海道の家族の多くが核家族から始まっているわけですから、どこかドライさと湿っぽさのようなものがあるのだと思います。
──北海道の開拓という大きな歴史のなかでの「家族」を描いてこられたのですね
なぜ家族を描くのか、という問いに対する答えを得られたのは、近年のことです。
祖父母の代は、内地を捨ててきた感覚があるんです。開拓者の不幸でもあり、幸福でもあるのかもしれないのですが、親を看取る人を間近で見たことがないんですね。私の両親は親を看取る人の在り方を知らないまま、親の面倒をみなければいけなくなり焦ったんです。いったいどうすればいいんだ、と。急に「親の面倒をみるもんだ」と言われても、感覚的にわからないんですね。
私は3代目に当たります。生まれや育ち、家柄とは無縁で生きてきて、他人と比較して精神的に疲弊しない、そして他人と比較することのない土地に生まれたことで、何を考え、何を選択していくのか。それを、自分を通して知りたいんですね。ずっと北海道で暮らしている意味はそこなんだろう、とも思うんです。
──『いつか あなたを わすれても』では、『家族じまい』よりも“忘れていくこと”にフォーカスが当たっています。桜木さんのお母様は認知症当事者でいらっしゃると伺いましたが、認知症を物語の中心にしようと考えられた理由はどこにありますか
「認知症」を書こうと思ったのではなく、両親の老いにまず“戸惑い”があり、その戸惑いの先に認知症があった、ということなのかもしれません。小説にも絵本にも書いた「母に名前を忘れられた」というエピソードは私自身の体験で、名前を忘れられても悲しくなかったというのもまた事実です。「忘れていいんじゃないの」と思っています。母に対しては、「忘れても大丈夫よ」という気持ちでいます。
私の母は若い頃から不本意な生き方をしてきた人で、自分だけが苦しくて、自分だけがつらい、と本気で思っていたようでした。毎日のように、自分のつらいことだけを訴え続けていたのですが、私の名前を忘れていくなかで、そうしたつらいことも忘れていった。自分の境遇を恨みながら生きてきた時間を忘れることができるのだったら、むしろ喜んだほうがいいんじゃないかな、と。
いま、父が母の世話をしています。いまの母は人の悪口を言わないし、卑屈な態度も取らない。ただただ父と2人きりでいられるのがうれしくて素直に喜んでいる。まるで天使のようです。父が頑張っている姿を見ると、過去には色々あったけれど「この2人はいまとても穏やかな時間を過ごしているのだな」と感じます。
親がまるで子どものようになっていく姿を見るのは悲しくないわけではないけれど、いまなら母を正面から受け止めることができる。それは、私自身が少し精神的に大人になった、ということなのかなとも思います。
- 『いつか あなたを わすれても』桜木紫乃・文 オザワミカ・絵(集英社)
- 絵本の紹介はこちらからご覧ください。
- 桜木紫乃(さくらぎ・しの)
- 1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で「オール讀物」新人賞を受賞。07年に同作を収録した単行本『氷平線』を刊行。13年『ラブレス』で島清恋愛文学賞を受賞。同年、『ホテルローヤル』で第149回直木賞を受賞し、ベストセラーとなる。他の著書に『起終点駅 ターミナル』『無垢の領域』『蛇行する月』『裸の華』『緋の河』など、最新刊は『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』。