親父、食事やめるってよ 胃ろうの決め手は夫婦愛?もめない介護100
編集協力/Power News 編集部
「おとうさん、お医者さまから『胃ろうをつくりませんか』って言われたんです」
我ながら、ざっくばらんすぎるぐらいストレートに切り出しました。ただ、実は義父に相談する前に、夫とふたりで、インターネットでさんざん検索し、胃ろうにまつわる論文も読み漁ってもいました。どうやら、世間で言われているほど、マイナスなことばかりではないらしい。かといって、胃ろうをつくることでオール解決とはならない。不本意な時間を長引かせることになるリスクも当然あります。
夫は「可能性があるのに、こっちが勝手にあきらめるのはおかしい」と、どちらかといえば、胃ろうに前向き。私は、良くも悪くも中ぶらりん。義父が「やる!」と言ってくれれば、もろ手を挙げて応援したいけど、説得まではしたくない。そんな中途半端な気持ちを義父に悟られる前に早くケリをつけてしまいたい。そんな焦りが、心のどこかにあったのかもしれません。
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義母にとことん甘く、いつなんどきも義母を気遣い、心配してきた義父の行動パターンを考えると、義母のためなら、たとえ火の中水の中、胃ろうをつくることにも二つ返事で決断してくれそうと、勝手に期待もしていました。
ところが、「胃ろう」と聞いて、義父は「ううん」と考え込んでしまったのです。
食いしん坊の義父に胃ろうを勧めるということ
「胃ろうというのは……つまりはどういうことですか?」
「えーっと、おなかに小さな穴をあけて、胃までチューブを通しまして……」
「ということは、食事ができなくなるということですかな」
「少なくとも一時的には、そういうことになりますね」
「それはつまらないですな」
元気なころは、お肉が大好きだった義父。煮魚弁当よりもとんかつ弁当を好み、もの忘れ外来の受診の帰りにはうな重にしゃぶしゃぶ、すし、中華料理と、お気に入りの店で外食をするのもお楽しみのひとつでした。食いしん坊の義父を知っているからこそ、「食事ができなくなるなんてつまらない」の言葉が重い。
「胃ろうをつけてもその後のリハビリで、食べてまた口から栄養を摂れるようになる可能性もあるから。リハビリ頑張ってみるのはどうだい」
夫が励ましても、義父は浮かない顔をして黙り込んでいます。可能性もあるというのはウソではないけど、91歳という義父の年齢を考えると、かなり厳しい。一緒になって背中を押していいものか、義父がいやだと言うなら、その意思を受け入れなくてはいけないのではないか。でも……。尻ごみしていると、義父がふいに「みんなには申し訳ないけれど……」と言い出しました。
ついに口にした、義父の本音
みんなには申し訳ないけれど、何? これ以上、無理に命を引き延ばすのはやめたいとか、そういう話をついに聞かされちゃうの!?
緊張で言葉も出ないまま、次の言葉を待っていると、義父がポツリと言うのです。
「みんなには申し訳ないけれど、家内が作る食事はこれ以上ちょっと……。彼女とは味の好みがどうも合わないんです」
家内の食事……? 待って待って! おとうさん、何の話してる?
恐る恐る「申し訳ないのは、おかあさんの手料理をちょっと食べたくないって話ですか」と尋ねると、義父は気まずそうにうなずきます。
「親父! 大丈夫だよ。おふくろの手料理は俺もパスしたい」
深刻な顔で聞き入ってた夫も笑い出しました。胃ろうのことで悩んでいるのかと思いきや、なぜか義父の中で話題が「義母の手料理を食べたいか、食べたくないか」という話題にすりかわっていたようなのです。
義母の料理下手はなかなかのもので、「うちのおふくろの料理はひどい」と夫が言うのを軽く聞き流していたら、ゴムのような刺し身が食卓に登場し、仰天したことがあります。聞けば、スーパーで買った刺し盛りをなぜかいったん冷凍し、流水で解凍したそう。天才か!
もうそろそろお迎えが?
衝撃の刺し身事件以来、なるべく義母の手料理をお見舞いされないよう、慎重にふるまってきたので、義父の気持ちはよくわかります。というか、認知症以前から料理が苦手だった義母は、認知症になってからさらに、味付けを忘れるなどパワーアップ。義父が文句ひとつ言わずに、味のない素うどんを食べているのを何度か目撃し、妻を溺愛するにもほどがあるだろうと感心したり、あきれたりしていたのでした。
そんな我慢強い義父がまさかのギブアップ宣言。それも、胃ろうをつくるか相談をしている真っ最中に! 危うく、「わかりました。おとうさまは胃ろうは希望されないということですね……」と納得しちゃうところでしたよ。アブねえ!
ひとしきり、義母の手料理の話で笑いあった後、再び胃ろうの相談を再開。
「口から食べられなくなるのはねぇ……」
「そうですねえ」
「胃ろうをつけないとやっぱりあれですか、もうそろそろお迎えが……?」
「そうですねえ」
「率直に言って、どれぐらいですか」
「だいたい1カ月か、2カ月って言われました!」
聞かれるがままに、包み隠さず話したのは、胃ろうをつけない先にある「死」を義父が認識しないまま、「自然に任せる」を選択されるのが怖かったからかもしれません。
難しくなる前に、普段から家族で話し合いを
結論が出ないまま、「食事ができなくなるのはつまらないねえ」「そうですねえ」という会話を繰り返し、一時間ほど経ったころ、夫が再度「親父、どうだい。ここはひとつ、もうひと踏ん張りしてみないかい」と義父に尋ねました。
義父は少し黙った後、「そうだな」と答え、私たちに向かって「ありがとう」と頭を下げたのです。
「なかなか決められなくて、すっかり時間がかかってしまった。いざとなると迷ってしまうものですなあ」
「そりゃ、そうですよ。迷いますって!」
「相談にのってくれてありがとう。話を聞いてくれて助かったよ。ありがとう」
いつもは無口な義父が珍しく冗舌になり、「ありがとう」を連発。握手を求められ、夫とふたり交代で握った義父の手が大きくて、暖かだったこと。ずいぶん痩せてしまっていたのに力強くて、何度も何度も握手した、あの病室での光景は忘れられないシーンのひとつです。
ドギマギしながらも辛抱強く、義父の決断を待ったあの日から1年も経たずに義父は亡くなりました。胃ろうをつくったことについて、後悔せずにいられるのは「話し合って決める」というステップを踏めたからなのだろうと思います。いずれ直面したかもしれない後悔を、義父が持って行ってくれたと感じています。
話し合いが難しくなる瞬間はふいに訪れます。それは3年後かもしれないし、明日かもしれません。結論はでなくとも、ちらっと話題に出す程度でも、家族で何らか話し合う。そんな機会を可能な限り、繰り返し持ち続けることをおすすめします。