腸から栄養を摂る母101歳、介護の息子を支える紙パック3つと母の「いいわね」
アピタル編集長・岡崎明子
東京都内に住む押田賢二さん(73)は、母みつゑさん(101)を、自宅で一人で介護している。みつゑさんは認知症をきっかけに口から食べられなくなり、小腸から栄養を入れる「腸ろう」の手術を受けるなど、27年間の介護生活だ。記者は8年前、取材で押田さんと知り合ったが、最近また紙面で記者の名前を見た押田さんから、「母は今も元気です」と連絡を受けた。チューブなどから栄養をとる「経管栄養」を始めた後の平均余命は約2年半という研究もある中、「一日でも長生きしてほしい」と話す押田さんに、介護の実態を聞いた。
みつゑさんが生まれたのは1919年。「平民宰相」として知られる原敬内閣のころだ。「料理が上手で、何でも作ってくれた。優しくも厳しい人で、『凜』という漢字がぴったりの母でした」
みつゑさんに認知症の症状が現れたのは27年前。当時、企業の法務部門で働いていた押田さんは、日々、仕事と両立しながら介護を続けた。だが、みつゑさんは誤嚥性肺炎による入退院を繰り返し、寝たきりになった。腸ろうの手術を受けたのをきっかけに押田さんは退職し、自宅で介護に専念することを決意した。まだ「介護離職」という言葉もないころ。51歳の働き盛りだった。
一人介護はゆっくり食事もできない
一番困ったのが、食事だった。みつゑさんが寝たきりになった数年後には父親も認知症になり、80代の両親の介護が始まった。父親には幻視の症状が表れ、暴れることもあって片時も目を離せなくなった。食事をつくることも、ゆっくり食べることもできなくなった。
以来、1日3食、紙パック入りの「高栄養流動食」が、押田さんの食事となった。「1食400キロカロリーなので、1日1200キロカロリー。これ以外は酒も飲みませんし、何か固形物を食べたいとも思いません。健康診断の結果は常に異常なしで、先生に褒められます」
押田さんは毎晩8時ごろに寝て、深夜2時半には目を覚ます。午前3時と8時、午後1時の1日3回、約2時間かけてみつゑさんの腸に栄養剤を注入する。合間に30分、近所の公園を散歩する。みつゑさんはたんがつまりやすいので、苦しそうな顔をしていないか、日中は顔色や表情を頻繁に確認する。目をあけていたら、たんがつまっているサインだ。夜間もうなり声や、せきの音が聞こえると、すぐに起きてたんを吸引する。多いときには1時間おきの頻度だという。おむつ交換と着替えは1日2回。ヘルパーには洗濯と入浴介助だけを依頼し、介護にかかわるケアはすべて自分でこなしている。
山積みの医学書は母を守る財産
そんな押田さんの唯一の楽しみが、介護の合間に医学の専門書を読むことだ。解剖学などの基礎医学に始まり、消化器や循環器などの臨床医学、薬学、栄養学、各種ガイドラインまで、これまでに読んだ本は優に100冊を超える。「ちまたには色々な医療情報が氾濫しているけど、一番信頼できるのが医学書。医学を学んだことで、母の介護にどれだけ役に立ったことか」
たとえば以前、みつゑさんは、銅欠乏による重度の貧血となった。押田さんは、経腸栄養剤の成分に銅が含まれていないせいではないかと疑った。医師に、銅が含まれている別メーカーの栄養剤に変更してくれないかと頼み、渋々変えてもらった。腸に注入する際には、栄養剤に加え、銅が多く含まれるココアもぬるく冷まして足した。するとほどなくして、貧血は治ったという。
また独自に栄養計算を行い、ビタミンKが不足していることに気づいた。腸ろうの皮膚からの出血が長引いたのはビタミンK不足だと気づき、医師にビタミンKの製剤を処方してもらった。すると、気管支拡張症により血が混じったたんが出る量も抑えられたという。
「みな『何を食べれば健康にいい』というようなことには関心があるのに、あまりにも医学の知識への関心がない。医学の知識は、自分や家族を守る貴重な財産です」
27年間を支える思い、母の言葉
腸ろうは胃ろうよりも細くて長いチューブを使うため、管理も難しい。この30年近く、1日の休みもなく、みつゑさんの介護で1日が終わる。記者が思わず「誰もができることではない。何を支えにしているのですか」と尋ねると、ぶぜんとした表情で「親を介護するのは当然のこと。何もえらいことはない」と少し怒ったように答えた。
だがその後、みつゑさんが認知症になった直後に、みつゑさんの友人に語ったという言葉を教えてくれた。「息子がよくやってくれるんですよ」。うれしくて、今でもよく覚えているという。みつゑさんと最後に会話したのは17年前の5月。押田さんが話しかけると、「いいわね」と返ってきた言葉だった。
▼アピタルは、朝日新聞が紙面で報じた記事に加えて、編集部が独自に取材・編集したコンテンツを社外筆者の方々のコラムなどとともにお届けする医療・健康・介護系の専門サイトです。