やけくそで参加した“おやつタイム” 義母への見方が一変 もめない介護92
編集協力/Power News 編集部
「ねえ、あなた、ちょっとお茶にしましょうよ。そんなに動き回ったら疲れてしまうでしょ?」
義母がまだ自宅で暮らしていたころ、義母はヘルパーさんや訪問看護師さんが訪れるたび、そう言って台所に誘っていました。
「ありがとうございます。でも、水筒を持ってきてますから」
「お気遣いありがとうございます。でも、ごめんなさい。うかがったお宅で、お茶をいただいてはいけないというルールになっているんです」
にこやかに断られるたび、義母は不満顔。行き場のなくなったサービス精神は次に、嫁であるわたしに向けられます。
「さあ、お茶にしましょう! クッキーはどこかしら。ほら、早くお座りなさいな」
「ちょっと先に、この書類だけ片づけてもいいですか」
「そんなの、あとでもいいわよ」
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その言い方……! せっかくのお客さんを思う存分もてなしたい。女主人として采配をふるいたいのはわかる。でも、こちらにも都合がある。やらなきゃいけないことがあるから来ているわけで、さくさく仕事を片づけて家に帰りたい。そんなモヤモヤを抱えながら、断ったり、すっと話題をそらしたり。しばらくそんな攻防戦を続けるうちに、ピタリと義母がしつこい誘いを口にしなくなり、ようやく慣れてくれたかと思うと、またしばらく経ってお誘いモードが再開。単なる気まぐれだったかとガッカリしたことは、一度や二度ではありません。
義母と義夫のやりとりが、私の心を穏やかに
「あなた、お茶にしましょう。ほら、まなみさんも早くいらっしゃい」
その日、いつものように声をかけられた時、わたしはかなりイラ立っていました。義母の誘いをむげに断るのも心苦しく、かといって介護関係の書類記入や手続き、部屋の片づけと雑用は膨大にあって、義母のリクエストに律義につきあっていたら、いったい週に何回、夫の実家に通うことになるのか。当時、夫から「そんなに無理しなくてもいいのに」とたびたび言われていたことが、イライラに拍車をかけていました。
そして、いらだちのあまり、やっていた作業をぜんぶ放り出し、義父母とおやつを食べることにしたのです。時間が足りなくなって、予定していた作業が終わらなくても知るか……!と、ほとんどやけっぱちな気持ちで、出されたクッキーをもぐもぐ。義母は大喜びでスキップしかねない勢いでお茶を淹れてくれます。そして、興奮気味に義父やわたしにあれやこれやと話しかけます。
「ねえあなた。子どものころ、こんなビスケットがあったら、どんな気持ちになったかしら……きっと、胸がいっぱいで食べられなかったかもしれないわね!」
「そうだね」
「あなただったら、何を召し上がる? やっぱりチョコレートクッキーかしら!」
「そうだね」
おしゃべりな義母と、寡黙な義父のとぼけたやりとりを聞いていると、なんだか面白くなってきて、さっきまで心をめいっぱい占領していた腹立たしさが、やわらいでいくのを感じます。
戦後の日本を生きぬいた“人生の大先輩”
戦時中、小学生だった義母は足が速く、クラスでリレーの選手に選ばれたほど。徒競走で毎回1位、2位を競っていた仲良しの女の子がいたけれど、ある日、腸チフスにかかり、あっという間に亡くなってしまったそう。
「当時は食べるものにも困るような時代だったから、そんな子どもたちがたくさんいたの。でも、あの子が亡くなったときがいちばん悲しかった。親御さんもつらかったでしょうね……」
思い出話をしんみりと語る義母を見ながら、ハッと気づかされたのは義父母が戦時下、そして戦後の日本をサバイバルしてきた“人生の大先輩”であるということでした。
薬がない、カギがない、2階に“ドロボウ”が棲んでいる……などなど。認知症の確定診断とともに次々に持ち上がる困りごとに気をとられ、無意識のうちに、お世話をする側・される側という視点で、義父母を見ていたことに思い当たり、ドキリとしました。
義母は、認知症のある“困ったお年寄り”ではなく、激動の昭和を生き抜き、さらに平成、令和と3つめの時代に突入した、タフな大先輩。そう思うと、「勝手なことばかり言って……」とウンザリしていた義母の振る舞いも、ちょっと見え方が変わるのです。
親も自分も疲弊させないための「一旦停止」のスイッチ
「お母さんのいちばん好きなおやつは何ですか?」
「そうねえ……、やっぱりアップルパイかしら。子どものころからよく、お父さま(義母の父親)が買ってきてくださったの」
「モダンですねえ!」
やや大げさに褒めると、義母は「そうかしらね。まあ、ふつうよ」と言いながらも、まんざらではなさそう。ちなみに、義父のお気に入りはチョコレートデニッシュ。「この人ったら、なんでもかんでもチョコレートなのよ。代わり映えしないわよねえ」と、少々毒っ気まじりな義母の説明も、義父は気にする様子もなく、「うん、僕はチョコレートが好きだね。チョコレートならなんでも好き」と教えてくれました。そういえば、クッキーもいつもチョコレート味を召し上がっていました!
あまりの義母のしつこさに根負けし、半ばやけくそで参加した“おやつタイム”でしたが、この日は私にとって、介護のターニングポイントのひとつになっているような気がします。
お世話する側・される側で固定しかかっていた関係性からいったん離れて、捉え直せたこと。そして、義父母にとっては、テキパキと介護体制を整えることよりも、たわいのないおしゃべりにつきあってくれるほうが、よほどうれしく、ありがたいのだと、改めて認識できたこと。
そうはいっても、やらなければいけないことはたくさんあり、“親が楽しんでくれればそれでいい”ではすまない場面も多々あります。でも、“親のためだから”と必死になってやっていたことの中には、いったん保留にしたり、先送りにしたりしてもOKなものがあるかもしれません。
親も自分も疲弊させないための「一旦停止」のスイッチを手に入れる。これも、自分のペースを守りながら介護とかかわる上で、大切なのではないかと考えています。