認知症とともにあるウェブメディア

もめない介護

高齢者RPG?HPわずか「神様、無事に帰してください」もめない介護87

コスガ聡一 撮影

「来年の初詣は、付き添って一緒に行かないとしょうがないかも」

夫婦でそんな話をしたのはたしか、2018年の今ごろのことでした。当時、夫の両親は訪問介護や訪問看護、デイケア(通所リハビリ)などの介護保険サービスと、宅配弁当などの介護保険外サービスを組み合わせ、フル活用しながら自宅で夫婦ふたり暮らしを続けていました。

2018年の年末年始は、義父母に「大丈夫」「ふたりだけで平気」と言われるままに、“夫婦水入らず”で過ごしてもらいました。認知症があるとはいえ年末の数日間と正月三が日はなんとかしのげそうと、関わってくれている専門職の方々も、家族も思えるぐらいの調子でした。

しかし、その翌年は少々様子が変わり、「義父母はふたりで年末年始を過ごせるのか?」と不安がよぎることに。義父母の介護と、毎年恒例になっていた友人たちとの年越しや自分の実家への正月帰省をどうすれば両立させられるのか、悩んだりもしました(もめない介護35参照)。

義父母の食事のサポートについては、年末は義姉、年明けは私たち夫婦と分担することでなんとか対応できましたが、思わぬ伏兵も待ち受けていました。それは「初詣」です。

こちらも読まれています : 夫亡き後も、義母の脳内で続く「おしどり夫婦」の二人三脚

毎年、お正月になると夫の両親や義姉一家、わたしたち夫婦が集まり、新年会をするのが恒例行事になっていました。でも、初詣に一緒に行ったことはありませんでした。新年会の席で「以前通っていた神社は遠くなったので、もっと近所に行くことにした」とチラッと聞いてはいたものの、とくに気に止めておらず、なんとなく聞き流していました。

「初詣」という名の冒険が始まる

ただ、2019年のお正月については、義父母の状態がこれまでに比べると一段、衰えが増していて、「ふたりが“大丈夫”と言ってるなら大丈夫」と考えてはいけないと、胸騒ぎのようなものがあったのです。しかし、いくつかの見落としもありました。

「初詣はA神社に行こうと思う」
「あそこなら近所だし安心ね」

元旦の朝、義父母にそう言われ、とくに疑問に思うこともなく夫の実家を出発したのが最初のミスでした。義父や義母に「近いわよ」「すぐ着く」と言われ、徒歩10分程度で到着するのかと思いきや、歩いても歩いても、それらしい神社はまったく見えてきません。

91歳ながら健脚だった義父はスタスタと先頭を切って歩いて行きますが、義母は腰が曲がっていてゆっくりしか歩けません。時々よろけそうになるので手を差し伸べると、素直に手をつないでくれたのはよかったのですが、今度は私を杖代わりに全体重をかけてきます。

小柄な義母でも腕1本に体重をかけられるとかなりきつく、かといって転倒の危険があるので手を離すに離せません。マジか!

どうして出発前にGoogleマップで調べなかったのか。だいたい、地元だったら夫は神社の場所ぐらい知ってたんじゃないのか。新年早々、呪わしい気持ちでいっぱいです。バチが当たりそう!(のちに、夫も場所をうろ覚えで、もっと近所だと思っていたことが判明します)

「神様、無事に帰してください」

ぐったりしながら延々と歩き、ようやく神社に到着するころにはさすがの義父も疲労困憊。もう足が前に出なくなりパッタリ倒れ込みそうになっていましたが、参拝すると言って聞きません。しかも、参拝場所まではさらに階段を上らなくてはいけないのです。

とにかく休みながらゆっくり行こうとなだめながら、義父母と一緒に階段を上り始めました。幸か不幸か、初詣客がそれなりにいたので、行列はゆっくりゆっくり進んでいきます。途中までは手すりがあったのでよかったのですが、上っている途中で手すりゼロのエリアがあり、義父母はよろけるたびに、周囲の植え込みをガサッとつかみ、かろうじて転ばずに済んでいるような状態でした。

神様、本当に申し訳ありません。無事に帰してください。

あまりに急な階段で途中から下りられるようなシチュエーションでもなく、参拝しないで帰ることを義父母、とくに義父が納得してくれそうもなかったこともあって、もうあとは神頼み。そして参拝場所に着いた時、もっとも恐ろしいことが起きました。

賽銭箱の前に義母、私、義父の3人が並び、柏手を打ち、手をあわせて頭を下げたところで、義父と義母がゆっくりと後ろに倒れていったのです。

とっさに左腕で義母の腕、右腕で義父の腕を抱え、その場でふんばりました。真後ろに立っていた夫が両手を広げて、義父母の背中をそれぞれ支えてセーフ。もし、ふたりが後ろに倒れこんでいたら大勢の人を巻き込み、正月早々とんでもない事故を引き起こすところでした。薄目あけて見ておいてよかった!

無言で宙を見つめる義父に「そろそろ頑張って歩いてみる?」

義父母は“おっとっと”ぐらいのノリで、ゆうゆうと参拝を終えましたが、そこでエネルギー切れ。「これ以上は歩けない」と義父が言うのでタクシー会社に電話しましたが、どこも混み合っているのか電話がつながりません。しかも神社の近くは車通りもなくて……。事前準備が甘かったことが悔やまれます。「雑煮はどう手配するか」など食事まわりのサポートに気をとられ、それ以外のことをあまり考えていなかったのです。抜かった!

Googleマップで調べると近くにバス停があり、夫の実家から徒歩数分のスーパーのあたりまではバスで行けることがわかりました。とりあえず、バスを待ちましょう!

「以前はあんなに遠くなかったんだけど、なんだか今年は遠いみたい」
「……」
「なかなかバスが来ないわね。そろそろ頑張って歩いてみる?」
「……」
「歩き出したら意外と近いかも?」
「……」

バスを待っていると、なぜか元気を取り戻した義母が、しきりに徒歩での帰宅を義父にプッシュ。しかし、義父は無言で宙を見つめています。私たちも義母の相手をする余裕がありません。

家まであと少しのところで、救急車の要請!?

なんとかバスに乗り込み最寄りのバス停まで戻ってくると、義父は“無言の行”がよかったのか、またスタスタとスピーディーに歩き始めましたが、今度は義母の足どりが次第に重くなります。もうあと少しで家が見えてくるというところで立ち止まり、「心臓が痛い……」と胸を押さえてしゃがみこんでしまいました。えー!

「おかあさん、救急車呼びましょうか……」

そう声をかけると、「救急車はいらないわ。ちょっと休んだから大丈夫」と義母はパッと立ち上がり、歩き出します。大丈夫なのか! そして、ようやく実家に到着。なんだか新年早々、とんでもないアドベンチャーに参加してしまった気分です。

ソファに座っていた義父は大きくため息をついた後、キッパリと宣言しました。
「90歳を過ぎたら初詣は体に悪い。来年からは代参にしよう!」

実はこの言葉は当たらずも遠からず、義父にとってはこれが最後の初詣になりました。この後ほどなくして、義父母は「一時療養」の名目で、有料老人ホームに生活の場を移します。準備不足がたたって生きた心地がしなかった初詣でしたが、一緒に行ったおかげでこれまでとは違う体力の衰えを義父母も私たちも実感することができました。そのことが、その後の決断の折々に背中を押してくれた部分もある、と思ったりもするのです。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

認知症とともにあるウェブメディア