昨日会っても、明日会うけど「初めまして」【認知症エッセイ】
なかまぁるでは、認知症フレンドリーな取り組みが社会に広がることを願い、今年も「なかまぁるShort Film Contest 2020」を開催しました。今回は新しい試みとして、ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト」を新設しました。認知症の介護のエピソードや親子の絆、感謝の気持ちなど、1329本の応募作品が寄せられました。その中から、編集部イチオシの12作品をお届けします。また、作品は原文の通り掲載しています。
■『今日も私は初めまして』菜々硫邪
訪問介護をしていると認知症と向き合う機会が多かった。症状は人それぞれで、忘れることや、覚えていられないことが増えていく認知症とどう向き合うのか、毎日が勉強の日々でした。
私はドアを開けて、「初めまして」と大きな声で訪問の挨拶をしました。アルツハイマー型認知症のA子さんは、やさしい声と明るい笑顔で「お手伝いさんよろしくお願いします。」と言ってくれました。初日は仕事をするので精一杯な私を暖かな目で見守ってくれました。
何度か訪問するうちに、会話をしながら仕事をスムーズにこなせるようになりました。
A子さんにとって私は、何度あっても知らない人なので、「初めまして」がいつもの挨拶でした。でも、数週間に一度くらいでしょうか、数分だけ思い出してもらえたりする時がありました。「あれ?前にも来たね。」と笑って言ってくれることがありました。
挨拶は、今日も変わらず「初めまして」かもしれない。忘れてしまうかもしれない。でも、話をしたことも、一緒になにかをした時間もなくならない。私は、ただただ記憶も物と一緒で、大事にしましすぎてどこにしまったかわからず思い出せないのだと思っています。
私には各家庭の事情までわかりません。なので、なにが正解で不正解なのかもわかりません。
私が訪問介護をしてきた中で最高齢のBさんは、一人暮らしをしていました。Bさんも「初めまして」がいつもの挨拶です。Bさんは、挨拶をしたあと決まって私にこう言います。「家族が会いに来てくれないからあなたが来てくれて嬉しい。」と、最初は、認知症の為、会いに来てくれていることを忘れているのではないかと思いました。ですが、家族は遠くに住んでおりなかなか会えない事情があることを知りました。高齢の家族が高齢で一人寂しい思いをしている方は沢山います。
私だけでなく、介護をしていて感じた方沢山いると思います。認知症は、忘れていても忘れていないのだと。どこかで覚えていることが沢山あるのだと感じました。
私は今日も「初めまして」。
認知症の方からいただいた数々の笑顔と感謝の言葉から学んだことを心に、初心を忘れない初めましての気持ちで、これから接する人との時間がいい加減なものにならないようにしようと思います。
■編集部から
初心を忘れないとはよく使われますが、体現するとこのエッセイのようになるのですね。「初めまして」は社交辞令のように割り切って使うこともできそうですが、菜々硫邪さんは毎回大事に言われているのだと思います。普段のお仕事ぶりが、このひと言に表れているのかもしれないと感じるようなエッセイでした。
仕事で他人の家の中へ入り、家族との関係が見えることもあるのでしょうが、「なにが正解で不正解なのかもわかりません」と葛藤しながら「初めまして」とあいさつすることで自分の立ち位置を確認できるのかもしれません。
「初めまして」の相手と接する心構えを、菜々硫邪さんが伝えてくれるようです。
■「なかまぁるShort Film Contest 2020」ショートストーリー部門はこちらから