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なかまぁる Short Film Contest2020ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト」大賞決定!

「SOMPOエッセイコンテスト~認知症とともに、自分らしく生きられる未来を目指して~」

なかまぁるは、認知症フレンドリーな取り組みが社会にさらに広がっていくことを目指して、今年もなかまぁるShort Film Contest を開催しました。この度ショートストーリー部門「SOMPO認知症エッセイコンテスト~認知症とともに生きる・・・誰もが自分らしく生きられる未来へ~」の大賞「SOMPO賞」、「SOMPOケア賞」、「SOMPOひまわり生命賞」、「損保ジャパン賞」が決定しました。
1329本の応募作品が寄せられ、介護の日である11月11日に受賞作品を発表しました。

受賞作品

大賞「SOMPO賞」

ウダ・タマキ『あの頃のバス停で』

「嫌よ、そんなん、恥ずかしい」
 私は即答した。
「別に服装はそのままでええから。話だけうまく合わしてや。ばあちゃんのためやん、なっ、お願いや」
「・・・・・・考えとく」
 そう言って私は電話を切った。
 母さんに素っ気ない態度で応対したことは気にならなかったが、電話を切った後にばあちゃんの顔が頭をよぎって胸が痛くなった。
 今から二年前、私が大学進学のために上京した頃から、ばあちゃんの認知症は進行し始めた。今も私の両親と自宅で同居しているのだが、最近は夕方になると最寄りのバス停まで行くことが日課となった。もちろん、母さんが付き添って。
「亜沙美を迎えに行ってくるわ」
 毎回、そう言って出掛けるらしい。
 私立の小学校に入学した私はバスで通学していた。あの頃はよくばあちゃんがバス停に迎えに来てくれた。つまり、ばあちゃんの中で今とあの頃が繋がったようで、毎日、帰るはずのない私のことを迎えに出掛ける。
「そろそろご飯やし帰ろっか」
「でも、亜沙美は?」
「もしかすると、よっちゃんのお母さんが車で送ってくれたのかも」
「あら、それなら安心やね」
 今は、それがばあちゃんを納得させる最善の流れだそうだ。
 母さんには感心する。私がその立場なら「亜沙美は東京の大学に行ってるやん!」くらいのことを平気で言ってしまいそうなのに、母さんときたら「私も散歩したら運動になるし、まぁ、しゃあないわ」だって。心が広い。
 とにかく、一度でいいから本当にバスから降りて来る孫を迎えさせてやってくれ、というのが母さんからの依頼というわけだ。
 私は床に寝転び天井を眺めた。母さんの気持ちはよく分かるけれど、随分と症状が進行したばあちゃんに会うのは複雑な気分でもある。
 「うぅぅん」と、絞り出した声が静かな部屋に響く。私の視界の端っこの方、スチールラックにぶら下がる御守りが扇風機の風にゆらゆらと揺れていた。

 『15時47分発、夕陽ヶ丘団地行き』
 よく、このバスに乗ったものだ。我ながら律儀だ。私はわざわざ母校前にあるバス停から乗車した。一つ手前のバス停からでも良いのだが、なんとなく、そうした方があの頃の気持ちに近付けそうな気がしたから。
 バスには多くの小学生達が乗っていた。さながらスクールバスのように賑やかだ。
 今、乗ったよ、と母さんにLINEを送る。すぐに『OK』とクマのキャラクターの陽気なスタンプが返ってきた。それに反して私は妙な緊張感を覚えていた。バスが停留所に停車するたび、胸がドキドキとする。小学生達は停留所に着くたび、バスから飛び出るような勢いで降りてゆく。私もそうだった。そうやって、ばあちゃんの胸に飛び込んだっけ。
 そんなことを考えながら、ぼうっと窓の景色を眺めていると、いよいよ私が降りるバス停が次に迫ってきた。見慣れた景色をぼんやりと視界に流し、バス停を確認する。そこには一人ベンチに腰掛けるばあちゃんの姿があった。
 バスが停車する。ゆっくりと前方へ歩みを進める私。小銭を料金箱に入れ、体の向きを左に反転させる。

「おかえり」

 そこには、笑顔で私を迎えるばあちゃんの姿があった。
 私はバスから駆け下りると、思わずばあちゃんに抱きついた。
「あら、亜沙美ったら泣いちゃって。どないしたんよ? 学校で嫌なことあったか?」
 私の頬には知らぬ間に涙が伝っていた。
「辛い時はこの御守りにお願いするんよ。そしたら、きっと大丈夫やからね」
 ばあちゃんは、この日のために私がバッグに付けた御守りを右手に優しく握った。そう、これは小学校へ入学して間もない頃、学校に馴染めず登校を嫌がった私にばあちゃんが買ってくれた田丸神社の御守り。ばあちゃんはそのことを覚えてくれていたのだ。
「うん、ばあちゃん、ありがとう。この御守りがあれば絶対に大丈夫やわ」
 笑顔を作る私の頭をばあちゃんは「よしよし」と撫でた。恥ずかしいけれど、嬉しかった。
「ほな、帰ろか」
 ばあちゃんが手を差し出した。そっと、その手を握る私。ばあちゃんの手が小さく、か弱いことを知る。あの日、ばあちゃんに手を引かれて歩いた道を今は私がばあちゃんに合わせて歩みを進める。なんだか切ない気持ちを感じていると、背後から「ばあちゃん、亜沙美!」と呼ぶ明るい声が聞こえた。
 私達が振り返ると、そこには買い物袋を抱え満面の笑みを浮かべる母さんの姿があった。
「今日は、ばあちゃんの大好きなマグロの造りを買ったからね」
「あら、嬉しいなぁ。今日はごちそうやな。はよ帰ってご飯にしよ」
 私と母さんは目を合わせて笑った。
 ばあちゃんを挟んで三人で歩く帰り道。こうやって歩くのは、いつぶりだろうか。
「ばあちゃん」
「うん?」
「私、明日からは御守りがあるから頑張って一人で帰るね」
「そっかそっか」
 ばあちゃんは顔をしわくちゃにして笑った。
 涼しい風が吹き抜けた。
「気持ちいい風やね。秋がそこまで来てるわ」  
 そう言って、ばあちゃんは空を見上げた。

「SOMPOケア賞」

渡辺惠子『ツルの恩返し』

今から3年前のこと。我が家に突然警察から電話が掛かってきた。義母が散歩中に自分の家がわからなくなり、交番で保護されているという。
 義母は、当時87歳。義父が亡くなってから15年間、隣町の夫の実家で、一人暮らしをしていた。私たち夫婦は、独立して八百屋を営んでおり、日々の忙しさにかまけ、しばらくご無沙汰だった。

 急きょ交番に駆けつけた私たちは、目もうつろで生気がなく、ほんの数ヶ月で、すっかり豹変してしまった義母に愕然とした。義母自身もパニック状態で、うわごとを呟いている。
「何が何やら、全然わかれへん。これから私、どうなってしまうんやろか……」

 夫は一人っ子で、他に頼る兄弟がいない。私たちは、毎日、店を開けなければならない。もしも、またこんな事態になったなら、店を放り出して、義母のところへ駆けつけることはできない。私たちは苦渋の選択で、義母を我が家へ連れて帰ることにした。

 義母が来てから、私が食事の支度をし始めると、義母は台所をウロウロ歩き回りながら、「私も何か手伝うわ」と、私に喋りかけてくる。砂糖と塩を間違えたり、鍋を焦がされたりしたら、かえって手間がかかる。私は、「大丈夫です」と遠回しに断る。こんなやり取りが毎日のように続き、正直、辟易した。排泄の方は、今のところは何とか自立しているものの、階段の上り下りは無理だ。同じことを何度も聞いたり、とんちんかんな反応をすることも、日増しに顕著になってきた。

 そろそろ義母を施設にと考えている矢先、私は、階段で足を踏み外して転げ落ちた拍子に、利き手の手首を捻挫してしまった。それを知った義母は、目を爛々と輝かせながら言った。
「今日は私が、ばら寿司作るわ。飯台は? お米は? 具材は店にある? 調味料は? 」
 義母は、完全にスイッチがオンになっている。ここで無理に止めるのは難しいだろうと、私は店から適当に具材を見繕って、しぶしぶ義母に渡した。

 それから3時間ほど経った頃、恐る恐る台所を覗いてみると、一升用の飯台に、山盛りになった具沢山のばら寿司が、テーブルに置かれていた。ざっと、25人前はあるだろうか。ちょうど土曜日だったので、近所で一人暮らしをしている息子も呼んで、一緒にばら寿司を囲んだ。息子は、「これは、旨い!」と、唸りながら、三杯目をお皿に盛っている。確かに義母のばら寿司は絶品だった。ご飯に甘酸っぱい酢がしっかりしみ込んで、具の味付けも、少し甘めで、絶妙なバランスだった。

「それにしてもお義母さん! 家族だけでこんなに沢山、どうやって食べるんですか?」
 思わずため息をついた私に、義母は困惑の表情を浮かべた。
「昔、実家の食堂手伝ってたから、4、5人分のばら寿司なんか、作ったことないもん」
 その時、息子がボソッと呟いた。
「店で売ったら、ええやん」

 その言葉に夫と私の箸が止まり、お互い顔を見合わせた。余ったばら寿司をパックに詰めてみたら15人前取れた。義母は、「こんな、まかない寿司、売りもんになるんかいな」と、照れ笑いしながらも、まんざらでもなさそうだ。

「商品のネーミングは、ばあちゃんの名前が『ツル』やから、『ツルのまかない寿司』や」
 広告会社に勤めている息子は、独り言を言いながら、そこら辺にあった厚紙に、マジックペンで器用にPOPを描き始めた。そして店頭にそれを飾って、ばら寿司を並べた。息子は、ばら寿司のところで立ち止まって眺めているお客さんに、「うちのおばあちゃんが作った、ご飯より具が多い、豪華版のばら寿司ですよ」と、ちゃっかり営業までしている。

 息子のトーク力とPOPが功をなしたのか、義母のばら寿司が美味しそうに見えたのか、15パックは、2時間足らずで完売した。
 それから2日後の月曜日。あの日に、ばら寿司を買ったお客さんが、「確かツルっていう名前が付いてたお寿司、今日はないの?」と、店内を探している姿を見かけた。

 義母に話すと、少女のように、はしゃいだ。
「一升分やったら、毎日でも出来るよ」
 それを機に義母は、ばら寿司を作るのが日課になった。口コミで噂が広がり店頭に並べる午後3時頃には、待っている固定客が何人か現れるようになった。25パックのばら寿司は、毎日15分もしないうちに売り切れてしまう。

 あれから3年。義母は今年、90歳を迎えた。義母の作るばら寿司は瞬く間に売り切れて
しまうので、近所では、「幻のばら寿司」と呼ばれている。
 最近、義母は足腰が弱ってきて、私も手伝うようになったが、味付けは絶対私に任さない。家族の名前を忘れても、字が書けなくなっても、義母は未だにプロ顔負けのばら寿司を作る。

「お義母さんのおかげで、ほんまに助かるわ」
先日、仕込み中の義母に労いの声を掛けたら、いきなり場外ホームランを返してきた。

「あんたたちへの、『ツルの恩返し』じゃ!」

「SOMPOひまわり生命賞」

宮沢早紀『ばあちゃんと旅人』

「今日はヒドかったわ。私と花さん間違えるんだよ? 週三で世話しにくる自分の娘と何もしない長男の嫁を間違えるかな、普通」
 堰を切ったように母さんの介護の愚痴が始まった。俺も親父もいつも通り聞き役に徹する。
「駿のことは分かってるかなって思って聞いたらさ、何て言ったと思う? ああ、旅をして回ってる人だろ? とか言うんだよ。一体誰と間違えてんだか……」
 祖母の頓珍漢な発言に思わず父が笑う。
「でも駿はよく日に焼けてるし、いい自転車にも乗ってるから、確かに見えなくもないな」
 調子のいい親父の冗談に俺も一緒になって笑うと、母さんはますます不機嫌になった。
「笑いごとじゃないんだってば。いろんなことが分からなくなっちゃってるの、母さんは」
 俺は慌てて機嫌を取りにいく。
「俺もあんまりばあちゃんとこ行けてないから忘れちゃったのかもなー……今度の日曜日、久々にばあちゃんとこ行こうかな」
 最近、ばあちゃんの介護の話になると母さんのイライラが止まらなくなる。パートも家のこともやりながら週三でばあちゃんを世話をする母さんをすごいと思う一方で、リラックスできるはずの食卓がピリピリとした雰囲気になるのは気がかりだった。

 日曜日、俺は宣言通りばあちゃんの家へ行くことにした。「パートが終わったら向かうね」と言いながら慌ただしく身支度をする母さんは、どことなく嬉しそうだった。
手ぶらで会いにいくのも悪い気がして、駅前の和菓子屋で黒糖饅頭を四つだけ買っていった。ばあちゃんの好物なのだ。
 愛車のロードバイクに乗ってばあちゃんの家まで行く。どなたですか? なんて言われたらどうしよう、と少しだけ不安になりながら、母さんから預かった鍵でばあちゃんの家に入ると、ばあちゃんは居間でテレビを観ていた。
 テレビの音が大きい。あと少しで外に聞こえてしまうのではないかというくらいの大音量だった。
「久しぶり、駿だよ」
 少しの間があってから、ばあちゃんの顔に笑みが広がる。
「あら、随分久しぶりねぇ」
「ごめんごめん。これ、黒糖饅頭」
「ありがとうねぇ」
「今、お茶淹れるから。待ってて」
 ばあちゃんの注意が饅頭に向いた隙に、俺はテレビの音量をぐっと下げた。俺のことを分かっているのかいないのか、いまひとつよく分からなかったが、俺はひとまず台所へ行った。

 台所には母さんの介護の痕跡がそこかしこに見て取れた。いつの間にか安全装置がついた小さなコンロに変わっており、「おなべを置かないと火はつかないよ」と母さんの大きな字で注意書きがあった。台所に置いてある皿やコップも全て軽くて割れにくいものに変えたようだった。家で愚痴っている内容なんてほんの一部で、本当は俺や親父の知らないところで沢山の苦労をしているんだな、と思った。

「お饅頭おいしいわ。そう言えばあなた、今度はどこへ行ってたの? 旅をして回るのは大変でしょ?」
 ばあちゃんが尋ねる。母さんが言っていた通り、ばあちゃんは俺をバックパッカーか何かと勘違いしているようだった。
 俺は少し迷ったが、ばあちゃんの勘違いに合わせて「自転車で旅をする人」として振る舞うことにした。ロードバイクで遠出しているのは本当だから、実際に行ったところの話もできる。
「夏は暑くて大変だけど、自転車に乗るのは楽しいよ。この前は江の島の方まで行ったんだ」
 ばあちゃんは「まぁ!」とか「すごいねえ」と言って楽しそうに聞いていた。
 そう言えば、俺のロードバイクは成人の記念にばあちゃんが買ってくれたのだった。俺は縁側から見えるところにロードバイクを運び、ばあちゃんに見せてあげた。
「覚えてる?」
 ばあちゃんは俺の問いかけには答えず、ぼうっとロードバイクを見つめていた。

 夕方になって母さんがやってくると、ばあちゃんは「ありもので悪いねぇ」と言って俺の持ってきた黒糖饅頭を出し、俺のことを「長旅から帰ってきた人だ」と嬉しそうに母さんに紹介した。そして、数時間前に俺がした話を、他の誰かの話とまぜこぜにして楽しそうにしゃべったのだった。

 帰り道、俺は母さんに咎められた。
「ちょっと、母さんに何て話したの? 孫だよって言ってあげなかったの?」
 俺がばあちゃんの勘違いをそのままにしていたことがよろしくなかったようだ。
「ばあちゃんの話をいちいち訂正してたら疲れちゃうし、そればっかりじゃ、ばあちゃんもおもしろくないんじゃないの?」
 俺がそう言うと、母さんは押し黙った。怒らせてしまったか。俺は一瞬、身構えた。
「……確かに母さん、今日はよく笑ってたわ」
 母さんは納得したようにぼそりとつぶやいた。
「駿の言う通りかもね。何でもかんでもこれはこうでしょ? あれはああでしょ? って言われたらつまんないかもね」
「でしょ?」
「時々、母さんのとこ行ってあげてよ。またおかしなこと言うかもしれないけどさ」
「うん」
 次にばあちゃんに会う時はどんな勘違いが待っているだろう。気が付けば、少し楽しみにしている自分がいた。

「損保ジャパン賞」

あんのくるみ『はじめまして』

「はじめまして」
祖母との挨拶は、いつもこの言葉から始まる。
「どなたかのお見舞い?」
「あなたのお見舞いですよ」
「まぁ、嬉しい。私たちお友だちだったかしら?」
しわしわの手を口の前に持っていき、大袈裟に驚いて見せる祖母。
この癖は、認知症になる前と変わらない。
「ごめんなさいね、思い出せなくて」
「いいんですよ。今からお友だちになりましょう」
「そうね。きれいな瞳のお友だちができて嬉しいわ」
祖母は私の手を握ると、きらきらと目を輝かせて笑った。

祖母は友人の多い人だった。
いつでもどこでも誰とでも、あっという間に仲良くなってしまう。
旅行先で知り合った人が、翌年に我が家を宿泊先に東京観光をしたり、同じバスに乗り合わせた人の縁談や下宿の世話をしたこともあった。
少々お節介にも見えるが、そんな祖母を悪く言う人はいなかった。
みんなから慕われ、愛されている人だったと思う。
人付き合いが苦手な私は、祖母に憧れつつも、自分とは別の世界の人だと思っていた。

見舞いに行くと、祖母は必ず私を褒めてくれる。
「はじめまして。あなたとってもかわいい声をしているわね。思わずお布団から出ちゃったわ」
「はじめまして。なんて素敵なセーターなの!あなたの白い肌によく似合ってるわ」
「はじめまして。お人形みたいに長い髪ね。乾かすのが大変でしょう。きっとあなたは丁寧な生活をしているのね」
部活帰りの小汚い格好で訪れても、必ずどこか見つけて褒めてくれるのだ。
ある時なんて同じ病室の人をわざわざ起こして、
「見て!私のお友だち、いいアキレス腱をしてるのよ!うんと早く走りそうでしょ」
と私の脚を指差して言った。
「お騒がせしてすみません」と後から私が謝ると、「お孫さんが可愛くてしょうがないのね」と隣のベッドの人は笑った。
その時、私は気がついた。
祖母にとって私は「はじめまして」のはずだ。
孫という認識は随分前からなく、毎回初対面として祖母は私と接している。
ということは、祖母は「はじめまして」の私を褒めてくれているのだ。

祖母が多くの人から愛されている理由が、少しわかった気がした。
彼女は人のいいところを見つける天才だった。
「はじめまして」と同時に、それができる人は少ないと思う。
そして、さり気なく素直に伝えられるのも、なかなかできることではない。

祖母の病気は私から「孫」という立場を奪った。
その代わりに、私のいいところをたくさん教えてくれた。
自分が気づかなかった瞳や声、一番似合うセーターの色、アキレス腱の形。
長い髪を乾かす時間も悪くないと今では思える。

「はじめまして」から始まる祖母と私の日々。
認知症で失われた思い出より濃く、あたたかい。

【SOMPO認知症エッセイコンテスト】
本コンテストは、SOMPOホールディングス株式会社、SOMPOケア株式会社、SOMPOひまわり生命保険株式会社、損害保険ジャパン株式会社の特別協賛のもと、「ショートストーリー部門」を新設、「SOMPO認知症エッセイコンテスト」と題して、8月17日(月)から10月15日(木)までエピソードを募集しました。(賞金総額50万円)
「ショートストーリー部門」では、「認知症とともに生きる・・・誰もが自分らしく生きられる未来へ」というテーマにもとづく小説や実体験エピソードを募集しました。認知症介護に関わるエピソード、認知症・介護において、親子の絆と感謝を感じたエピソードなど幅広い方々に、認知症のイメージを変えるきっかけづくりとしてご参加いただきました。

「SOMPO認知症エッセイコンテスト」の応募概要等はこちら

前期優秀作品の詳細はこちら

後期優秀作品の詳細はこちら

【なかまぁる Short Film Contest 2020】

主催:なかまぁる編集部(朝日新聞社)
特別協賛:SOMPOホールディングス株式会社、SOMPOケア株式会社、SOMPOひまわり生命保険株式会社、損害保険ジャパン株式会社
協力:株式会社パシフィックボイス
後援:厚生労働省/認知症の人と家族の会/認知症フレンドシップクラブ/認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ/日本認知症本人ワーキンググループ/日本意思決定支援推進機構/認知症未来共創ハブ

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この特集について

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