毎朝の日課がわからなくなった… 血管性認知症の木本さんが自信を失わないために
執筆/松本一生、イラスト/稲葉なつき
木本 隆さん(79歳): わかっているのに物事が進まない
大阪の下町で、松本一生先生が営む「ものわすれクリニック」。今回訪ねてきた男性は、日課にしている朝5時のお茶のときに自分の異変を感じたようです。さて、先生はどんなエールを送るのでしょう。
いつもの習慣が…
木本さん、こんにちは。1か月ぶりの受診ですね。あれ? 今日は沈んだ様子で、普段の木本さんらしくないように思いますが、何かありましたか?
木本さんはいつも早起きで朝5時には起きて緑茶を入れるのが日課ですね。それが今朝はうまくいかなかったのですか。いつものようにお茶を入れようとしたけれど、何かやる気が起きなくて「面倒くさくなった」という場合と、入れようとしたけれど、どのようにすればよいのかわからなくなってしまうこととでは大きな違いがありますね。どちらでしたか。
ああ、それは自信をなくしてしまいますね。いつもと同じことをしようとして、しかもそのことが頭の中ではわかっているのに、いざ、行動しようとすると「あれ? どうすればいいのかわからない」と頭のなかが真っ白になってしまったのですか。木本さんのこころの動揺は大きかったでしょう。
ボクも息子がまだ小さかったころ、京都の祇園祭を一緒に見に行った帰りに、突然、四条河原町の交差点で「あれ? 自宅に帰ることは分かっているのに、何をすればよいのだろうか?」とわからなくなってしまいました。翌日に、脱水があったことがわかって治療を受けることができましたが、あのときの恐怖と心細さは脳裏から離れません。それほどショックだったのでしょうね。
適切な時期に検査を
木本さんは血管性認知症の診断を大学病院で受けて、そのあとうちの診療所でフォローさせてもらうことになってから2年ですね。血管の詰まりなども急激に起きることなく経過良好でしたが、今回のような体験をすると、この先に自信をなくしてしまいますね。早速、何が起きたのかを大学病院に頼んで調べてみましょう。
1週間後の結果:新たな脳の変化が
こんにちは。前回の診療から1週間経ちましたね。頭部MRIの検査も、他の検査も終わって木本さんに何が起きたのかがわかりました。今回の検査で、木本さんの側頭から前頭にかけて微小脳梗塞が少し増えたことがわかりました。でも、あなたの意志を作る部分はまだしっかりと働いているように思います。
結果をまとめますと、木本さんには少し「実行機能」といって何かをしようとする脳の働きが低下していますが、まだ大きな変化にはなっていないということ。そして木本さんが何かをしようと志すときに働く部分には変化ないので、「やる気はあって、すべてのことを理解している」にもかかわらず、いざ、やろうとすると、「どのようにすればよいかわからなくなるときがある」といった状況になっていると考えられます。
このような場合には、できることをしっかりと確認しながら一つずつ行うことによって、頭の中を整理できます。そのために最も大切なことは木本さんが自信を失うのを避けることです。ここは大学病院から引き継いだボクの役目です。
これまで診察してきた経験からも、できることに目を向けて自分の自信を保ち続けるほうが、自信をなくしてしまった人よりも能力を保ち続けることができることがわかっています。大学病院で受けた精密検査から、木本さんは血管性認知症であるとの診断を受けました。とても大切なことです。漠然と診断されるのとは異なり、検査によってどういう種類の認知症であるかがわかり、しかも今回のMRI検査のように、病気がどのような経過をたどっているかを知ることで、しっかりとした先の予想ができます。
精神療法の役割
それからがボクの役割です。木本さんが当事者として悩み、恐怖に耐えながら日々を過ごすときに、ボクは傍らにいて一緒に歩いていきます。つまり担当医としてボクの役割は、医者として自分が持っている情報を木本さんと分け合って、その結果、木本さんが何をして、どのような人生を送っていくか、共に考えることだと思います。
今回の検査で、あなたにはまだたくさんの能力が残っていることがわかりました。ボクは決して木本さんの耳に心地よく響くことだけを伝え、不都合なことは隠すようなことはしません。診療契約を結んだということは、あなたにとって良いこともつらいことも正確に伝え、しかしあなたが一人で考えるのではなく、共に考えていくための協力体制をとることなのだと思います。
さあ、まだまだ希望が残っています。今日の結果を息子さんの家族にも知ってもらうことにしましょう。
次回は「味やにおいを感じない」ことについて書きます。