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“認知症”テーマの短編映画、絶妙な「ボケ」生かし受賞。若手監督に聞く裏話

「なかまぁる Short Film Contest 2020」クリエイター部門において、「漫才、しよか」で優秀賞を受賞した鈴木淳矢さん

漫才の練習のために毎日公園に足を運んでいる「サチオ」。それを知った孫の「花」は、祖父の漫才にとことん付き合おうと決める――。鈴木淳矢監督の「漫才、しよか」にはポジティブなエネルギーがあふれる。
鈴木監督にとって、これが人生初めての監督作。「福祉 映画祭」とインターネット検索をかけ、なかまぁるShort Film Contestに辿り着いたという鈴木監督に制作秘話を聞いた。

■認知症の「ボケ」を漫才の「ボケ」に

――「漫才」を物語に取り入れようと考えたのはなぜですか

僕はいま社会人1年目で、大学では社会福祉を専攻していました。今回、短編映画をつくるうえでも「認知症」をテーマにしようと考え、自分のなかで「認知症とはどんなイメージだろう」と改めて考えてみたんです。そんなとき、大学時代に担当教授から「認知症にどんなイメージを持っている?」と聞かれたことを思い出しました。そのとき僕が口にした答えの一つに「ボケている」という言葉があったのですが、その「ボケ」をちょっとプラスに変えてみたいな、と。
「ボケ」がプラスのイメージになるのはどんなときだろう、と考えたときに「“漫才のボケ”なら、人を笑わせることができるので、プラスに働くのではないか」と考えました。そこで、ちょっと記憶が薄れてきている認知症のおじいちゃんが漫才でボケをしたら、その人の存在ごとプラスになるんじゃないかなって思いました。
認知症だからと言ってその人自身がマイナスなるわけではないですし、個性の一つだと思うので。これは大学の4年間を通して学んだことでもあります。

――大学での4年間では、実習などにもたくさん行かれたのでしょうか

僕は地域包括支援センターで2カ月間実習をさせていただいたのですが、そこでの経験は大きかったですね。認知症の当事者も多くいらしたのですが、僕にとっては楽しい時間でした。そうした雰囲気もこの作品で伝えられたらいいな、と。
もっとも印象に残っているものに、かつて教員をされていた認知症の当事者との出会いがあります。1カ月間、週2回のペースでご自宅にお邪魔していたのですが、その方は若い頃の話もよくしてくださいました。当時82歳でしたが、知識の深さやお人柄から「認知症だからと言って何かが変わってしまうわけではないんだな」と改めて感じました。僕のなかでは、とても“強い人”という印象でした。

「漫才、しよか」を撮るうえで心がけたのは、「最後は家族が幸せになるような話にしたい」ということ。初監督作だからこそ、長く関心を寄せてきた「福祉」をテーマに選んだ

■祖母が認知症だった

――「漫才、しよか」に登場されるサチオさんも、漫才の稽古に厳しいなど、とても個性的な方ですね

サチオさんのキャラクターには、まさに僕にとって大きな存在となった元教員の当事者を反映させています。「潜在能力を発揮させたい」という気持ちがあったので、サチオさんは元教員ではないですが、「もともと漫才が好きで、漫才をつくっていたら、それが面白いと評判を呼んだ」という設定にしてキャラクターづくりをしていきました。
漫才のやりとりは、大学時代はお笑いサークルに所属していて、いまは介護福祉士をしている友人にお願いしました。企画の話をしたら、「もちろんいいよ!」と言ってくれたのですが、実際には漫才のネタが10本くらい送られてきて(笑)。その中から、一番いいなと思ったものを物語に取り入れました。
一方、花のキャラクターには、「サチオさんのような人に寄り添っていける人であってほしい」という、僕の思いを反映させました。ほぼ100%、僕の気持ちが入っていますね。

――鈴木監督は20代ですが、ご家族をはじめ認知症当事者との関わりはありますか

祖母が認知症でした。介護現場で実習をしていたにもかかわらず、実際に祖母を前にすると、「自分は何もできないな」と痛感しました。結局、僕は“孫”でしかなかったんですね。祖母にとっては自分がただの孫であることが一番なのかな、と思いながらも、学んだことが生かせてないな、と思うこともあり、複雑な気持ちでした。

サチオを演じたのは、関西を中心に活動する俳優の石垣のぼるさん。派手な被り物をしての漫才シーンは、石垣さんからのアイデアだった

■SNSを通じ、撮影仲間を得た

――そもそも社会福祉に関心を持ったきっかけは何だったのでしょうか

実は、高校の頃はずっと考古学者になりたいと思っていて。ですが、志望していた大学に落ちてしまい、最終的に武蔵野大学の社会福祉学科に進むことに決めました。人間の心理なども学ぶことができたので、「学んだことはどんな分野にでも生かせるな」といまは実感しています。大学時代にサークルでラジオのパーソナリティーをしていたことで、「クリエーティブなものもいいな」という気持ちが芽生え、いまは写真と映像を手がける会社で仕事をしています。

制作チームのなかで、最年少だったという鈴木監督。「ときに末っ子のように甘えて、色々教えていただきました。年上の方々の“いい意味での大人感”に助けられました」

――初めて映画を監督したからこそ感じた、映像作品をつくることの楽しさはありますか

映像作品は一人ではつくれないので、脚本のイメージができてからSNSを通じ、関西を拠点にする映像集団「ブンカモノ」にコンタクトし、協力をお願いしました。
撮影は週末ごとに夜行バスで関西に行き、二日で行ったのですが、漫才のシーンは最後の最後まで残しておいたんです。長回しワンカットにこだわって撮ったので、サチオと花役の役者さんからは「鬼だな!」と言われたこともありましたね(笑)。でも、回数を重ねるにつれどんどん漫才の完成度が上がってきて、最後は「うわ、決まったな!」と。現場でそう感じられたことが、監督としてはすごく楽しかったです。

完成してからは「監督した作品だから観て」と、自分から周囲に宣伝していたのですが、作品を観てくださった方や友人たちからLINEなどで「漫才、面白かったよ」「認知症であるおじいちゃんも、こんなに完成度の高い漫才ができるんだと思ったら、悪いものではないな」という意見をもらいました。そう思ってくれたのなら、作品をつくった甲斐があったな、と思います。

鈴木淳矢
1997年、愛知県生まれ。武蔵野大学社会福祉学科卒。現在は写真と映像を手がける制作会社に所属し、ミュージックビデオの撮影やライブなどでの写真撮影を担当している。

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