もめない介護

多目的トイレは初めてがいっぱい テンパる私をよそに義母は もめない介護81

コスガ聡一 撮影

「ちょっとごめん。おふくろをトイレに連れて行ってもらえる?」

亡くなった義父の通夜の日。受付ブースで、参列客の方々にお渡しするマスクの数量をチェックしていたら、夫が緊張した顔でやってきました。あまりにも真顔なので「もしかして、けっこうせっぱつまってる? もれそうな感じ!?」とあわてて遺族控室に行くと、義母はのんびりお茶を飲んでいます。

どうやら夫の緊迫した雰囲気は「遺族代表として場を取り仕切らなければいけない」というそれで、義母のトイレ事情とは関係なかったようです。内心ホッとしながら、義母に「もうすぐお通夜が始まるから、お手洗いに行きましょうか」と声をかけると、相変わらず「あら、どなたのお通夜なの?」と、とぼけたような返事が返ってきます。「まあ、そのあたりは追い追い……」とかなんとか言いながら、靴をはくのを手伝い、車椅子に乗るサポートをします。

義母はまったく歩けないわけではないけれど、立ち上がりの動作には少し時間がかかります。いったん靴を脱いで、和室でくつろいでいるところからの移動ですから、なおさらです。ゆっくり座椅子から立ち上がって、あがりかまちに腰を下ろして……。ふとした拍子に足元がふらつくこともあるので目が離せません。とにかく、ご本人のペースで焦らず、ゆっくり。そして車椅子に無事、腰を落ち着けたところで多目的トイレへGO!

自分でできる? 手伝うべき!? 義母と入る初めての多目的トイレ

多目的トイレがどこにあるのか、会場入りしたときに横目でチェックしていたので見当はついています。数が限られているので誰かが使っていないことを祈りつつ、車椅子を走らせます。大丈夫! 空いています。車椅子のまま中にスルリと入り込み、チェックイン!
……と、ここでハタと気づきます。義母と2人、多目的トイレに飛び込んだはいいけれど、この後どうするの? これまでも義母と一緒にトイレに行ったことは何度もあります。でも、それは“個室の外”での見守り止まりで、個室内の介助はまったくの未経験なのです。

もっとも、直近で義母のトイレに付き添ったのは、義父が亡くなる少し前。義父の入院先にお見舞いに行った時のことです。「ちょっとお手洗いに寄りたいわ」と言われて、一緒にトイレに行きました。念のため「何か困ったら呼んでくださいね」と声をかけ、手洗い場付近で待機していたけれど、特にSOSはなし。わたしがしたことといえば、シャツがズボンの中に入りきっていなかったのを「ちょっと失礼しまーす」と声をかけて、整えさせてもらったぐらい。義母はセンサー式の手洗いも難なく使いこなし、「最近こういうタイプが増えたわねえ」と、のたまっていました。

そう考えると義母はまだ、自分で用を足せるような気もします。しまった! そもそも多目的トイレに入らないほうがよかったのかも!? でも、ここで義母を1人残して外に出てもいいものかどうか。多目的トイレはけっこうな広さで、派手に転んでケガをしかねない十分なスペースがあります。

どうしたものか逡巡しながら、ともかく車椅子にストッパーをかけ、立ち上がる義母に手を貸します。トイレの近くまで誘導すると、義母はためらいなくズボンと下着をおろし便座に座りました。

シャワー付きトイレのボタンをあれこれ押し始める義母

あまりのスピーディーさに、「外で待っていましょうか」と声をかけそびれます。職員さんと一緒にトイレに行くことに慣れているのか、義母は泰然自若。こちらも動揺を悟られぬよう「よくあることでございます」という顔で、横で待機します。もちろん内心はドキドキハラハラ。この時、わたしの心を占めていたのは「尻は拭くや、拭かざるや」という問題です。

万が一の失禁対応に備えて、使い捨てのビニール手袋やウェットタイプのおしりふきを持ってきてはいました。でも、それらはすべて、遺族控室に置いてあるスーツケースの中! 常に持ち歩いておかなかったことを悔やんでも後の祭りです。義母が自分でお尻を拭けるなら何の問題もありません。でも、普段は職員さんに拭いてもらっているとしたら……? 当然、拭いてもらう前提だった場合、どうするのか。いまからビニ―ル手袋を取りに戻るか、それとも……。

「ここのトイレはずいぶん立派ねえ。このボタンを押すとどうなるのかしら?」

わたしの逡巡を知ってか知らずか、義母は便座に座ったままノンキな調子でいろいろ話しかけてきます。
義母はシャワー付きトイレのボタンが気になって仕方がないようで、止める間もなく、あれこれボタンを押し始めます。
「ねえ、水がぜんぜん流れてこないんだけど……?」
不満そうに言う義母が繰り返し押していたのは、トイレ用擬音装置のボタンです。
「おかあさん、それは『トイレの音をほかの人の聞かれたくない』というときのためのもので、音だけなんですよ」
「ええ!? そんな人がいるの? じゃあ、こっちのボタンはどうかしら」
「おかあさん、あんまりあちこち押すと、お尻がびしょぬれになっちゃいますよ」
「それは困っちゃうわねえ」
びしょぬれのお尻を素手で拭くのはぜひとも避けたい、こちらも必死です。

「出発進行~!」

「なんだかちっとも水が流れてこないけど、やっぱりわたしの背が小さいからかしら」
「そうかもしれませんね」
「あなたぐらい背が大きかったらよかったのにねえ」
「ところでおかあさん、お小水のほうはどうですか」
「なんだか、出たのか出てないのかよくわからないけど、もういいわ」

義母は、カラカラッと勢いよくトイレットペーパーを巻き取ると、自分で手際よくお尻を拭き、ザっとズボンと下着を引き上げました。かなり雑な動作だったので、ちゃんと拭けてるのか若干ビミョーな感じもありましたが、この際、よしとしましょう!

肌着とカットソーが背中のあたりでくしゃくしゃになっていた部分だけ、「失礼しまーす!」と直させてもらい、再び車椅子でGO! 多目的トイレを出ると、夫が心配そうな顔で「大丈夫?」と駆け寄ってきました。参列してくださる親族のみなさんも、お坊さまもみなさん、そろってスタンバイ済み。あとは、義母がトイレから帰ってくるのを待つだけという状態になっていたようです。

「おかあさん、ちょっと急ぎますよ」と声をかけると、義母が「出発進行~!」とおどけて見せるものだから、夫は苦笑い。「ところで今日は、どなたのお通夜だったかしら?」という義母の質問には答えず、会場に滑り込みます。読経の声が朗々と響き、いよいよ通夜法要が始まります。

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