窓の外に「ホンモノ」の舞台。これぞ介護施設レクのニューノーマル
取材/古谷ゆう子
新型コロナウイルス感染拡大を防ぐ対策が日本中で行われるなか、介護業界でも新しい試みが行われています。目の前で繰り広げられる演劇や音楽のパフォーマンスは、実はガラス窓を隔てた屋外の舞台で行われます。デジタル機器を巧みに使いながら、リアルタイムで楽しめる介護レクを6~8月に実践したSPAC出張ラヂヲ局にお話をうかがいました。
俳優たちが介護施設などに出向き、朗読や弾き語りを届ける――。コロナ禍により、多くの劇場が演劇やダンス公演などの中止を余儀なくされるなか、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の新たな取り組みが注目されています。
「出張ラヂヲ局」と名づけられたその“出張公演”では、俳優たちは施設の外でパフォーマンスを行い、FM波を使い音声を施設内へと届けています。俳優と観客が接触することがないため、感染リスクは極めて低いのです。アイデアが生まれた背景にはどんな思いがあったのでしょうか。SPAC制作部の中尾栄治さんは言います。
「新型コロナウイルスの影響により、毎年GWに行っているふじのくに・せかい演劇祭が中止になりました。当然、劇場に人を集めることもできない。SPAC芸術総監督の宮城聰を中心にアイデア出しを行うなかで、“ドライブインシアターの演劇版”ができないか、というアイデアが挙がったんです」
車に乗ったまま皆で大きなスクリーンを見つめ、カーラジオなどを通して車内で音声を受信する「ドライブインシアター」は、コロナ禍で再び注目を集める、昔ながらの映画の上映スタイルです。同様に、FMトランスミッター(小型電波発信機)を使用することで、施設の内側に朗読や楽器の演奏を届けることができるのではないか、と考えました。当初は「ドライブイン演劇」をイメージしていましたが、すぐに実現できる形を考えるなかで「出張ラヂヲ局」は生まれました。そこまでして文化芸術を届けたいと考える背景には、「人々の心の健康を保つために何かやるべきだ」という強い思いがあったといいます。
「社会生活を維持するために働いて下さるエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々のなかには医療従事者のように人々の“身体”に寄り添って仕事をされてきた方も多い。芸術に携わる者として、“心の健康”のために何かするべきではないのか、という考えがありました」(中尾さん)
いま、一番心の健康を必要としている人は誰でしょうか。そう考えた時に、思い浮かんだのが介護施設などで毎日を送る人々だったといいます。外界との接触が断たれ、刺激が少ない毎日を送るなかで認知症が進んでしまう当事者もいるのではないか、という思いもありました。アイデアは少しずつ固まっていったものの、劇団員の石井萠水(いしい・もえみ)さんは、当初は「申し込みはほぼないだろうなと思っていた」と振り返ります。
「劇団でこんなアイデアが出ているのだけれどどう思う?と介護施設で働く知人たちに尋ねてみましたが、当初はあまりにも感染症の正体が見えず、『難しいだろうな』という意見がほとんどでした」
5月中に企画書などを作り上げ、6月に入ると、中尾さんを中心に県内の介護施設一件一件に電話をし、アイデアを伝えていきました。
「電話で営業を始めた頃は、『なんのことを言っているのだろう?』という反応がほとんどでした。でも、プロの俳優が介護施設に来て、感染症対策を講じたうえで朗読などを届けてくれるのだったらぜひお願いしたい、という声も聞こえてくるようになった。『何もできなくて困っていたのでありがたい』と言われることもあり、職員の方々のなかにも『そろそろ何か再開したい』という気持ちが芽生えていたのだと思います」(中尾さん)
介護施設などを巡るなかで、俳優の石井さんにとっても新たな発見がありました。
「私たちの仕事は、普段であれば自らチケットを買って下さり、健康な状態で舞台を観に来て頂ける方がお客さまとなる。そう考えると、今回観てくださった方々とはコロナ禍がなければ出会うことはなかったのかもしれません。喜んでくださっている方を目の前にすると、逆に『なぜ今までやらなかったのだろう』とも感じました」
晴れやかな笑顔で手を振ってくれたり、車イスに座ったまま、拍手をしてくれたり。“客席”に降りて触れることはできなくとも「本当にありがたいと思った」と石井さんは言います。
石井さんはおもに朗読を行いましたが、ギターを持ち込み、弾き語りをする俳優もいました。プロの俳優たちだからこそ、「こんな挑戦をしてみたい、これも観てもらいたい」と、内容は日々進化していき、一つの区切りとして設けた8月末までの2カ月間で静岡県内の12カ所の介護施設などを巡りました。前出の中尾さんは言います。
「これまで、未来の観客を育てるべく子供たちに向けての活動は多く行ってきましたが、介護施設に足を運んで活動する、ということはほとんどありませんでした。今回、職員の方々にも喜んで頂けたこともあり、『求められているんだ』と実感することもできた。来年度以降も、何らかの形で継続していけたら、という話は内部でもしています」
この活動が他の地域や劇場にも広がっていったら。それが「出張ラヂヲ局」としてのいまの願いです。