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認知症と生きるには

知る権利を考える。「告知」受け、よかった人とそうでない人 認知症と生きるには7

「お母さんショック受けるかも・・・」「うーん」

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」。朝日新聞の医療サイト「アピタル」の人気連載を、なかまぁるでもご紹介します。
今回は、クリニックを初めて訪れる人と、物忘れの自覚のお話です。(前回はこちら

認知症は病気であり、ほかの病気と同じように早期診断のあとに適切な治療やケアを受けることが重要です。そのために告知を受けることは、本人や家族が持っている「知る権利」です。

しかし、振り返ってみると、告知をめぐってはいくつもの難題を含んでいました。一昔前には、がんの告知をする場合にもためらわれることがありました。「悪性腫瘍ができている」イコール「救いようがない病気」と考えられていた時代には、「治せない病気だから、せめて本人がつらくならないように病名は伏せておこう」と医師が考えるのも仕方がなかったかもしれません。それが、がんも時代とともに「治すことができる病気」にもなり、早期の胃がんであれば、内視鏡手術で完治できる時代になりました。それと並行するように「患者さんが自らのことを知ること」も大切な権利として認知されるようになりました。時代の経過や考え方の変化、医学の発展などにより、自らのがんを知り意志をもって病気と向きあうことが大切だと考えられるようになったからです。

ひるがえって認知症はどうでしょう。現時点ではまだ認知症が完治するのは難しい状況です。より悪くならないよう、運動や他人との交流など、さまざまなかたちのトレーニングを通じて、自然な脳活動の低下に近づけるのが現在の医療の限界です。

メンタル領域や認知症など、その人の理解力や現実を検討する力がそがれる病気、言い換えれば精神医療領域の病気には、誤解がついて回ることがあります。決してそんなことはないのに「何もわからない人」と思われがちです。それゆえ、私が医局に入ったころには病名の告知は積極的に行われませんでした。「病気を知っても絶望するだけだから、あえて本人には伝えず、家族だけに話そう」と、善意ゆえに内緒にしてしまう傾向がありました。

告知を希望する人、しない人

私がこれまでに行った外来患者さんへの調査では、認知症の告知が良かったと思える人と、そうではない人に分かれます。「告知を受けて良かった」と言える患者さんには次のような人たちでした。

①病名を聞くことで、自分のこころの整理をつけ、病気と向き合う覚悟ができる人
②身寄りがなく、告知を受け、この先の準備をする人
③たとえ難しい病気だとしても、病名を知り、向き合おうとする人
④自分の事は教えてもらう権利があると思う人

どの人も決意と覚悟を持った「意識の高い人」という印象を受けました。しかし、世の中にはそのように考える人ばかりではありません。次のように「告知はしないでほしい」あるいは「告知するなら家族にしてほしい」という人もいました。

①告知を受けた後、平常心を保つ自信がないので、家族に伝えてほしい人
②後のことは準備しているので、あえて病名を聞きたくないと考える人
③治るのなら聞きたいが、治らない病名を告げられるのは嫌だと思う人
④成り行きにまかせて日々を過ごしたいと思う人

告知を希望する人と、そうではない人のどちらが「正しいか」を問うつもりはありません。人の思いはその人の「その時だけの」考えではなく、今、その人が生活している環境や家族との関係など、社会的背景によって大きく左右されます。身寄りがないことを理由に告知を希望している人でも、もし、大勢の家族や友人にいつも支えられるような立場であったなら、考え方は違うものになるかもしれません。

告知する側の事情も絡んだ告知の難しさ

さらに、告知をするかどうかの判断には、「告知する側」の事情も無視することができません。完治が期待できない病気については、医療側もあまり積極的には告知してきませんでした。私が小学生のころ、内科医だった母が紹介した患者さんに対して、入院先の病院の医師は「胃がんではない。胃潰瘍だ。がんばれ」とあえて本当の病名を告げず、患者さんを叱咤激励していた姿も覚えています。

認知症の場合も、聞かれなければあえて病名を告げなかった時期もありました。しかし、患者さんの「知る権利」が尊重され、告知をしなかったために医療機関が訴えられるようなことも起きると、今度は逆に告知を希望していない人にも何のためらいもなく告知をするという、ちょっと「やりすぎ」がみられた時期もありました。希望していなかったにもかかわらず、なんの精神面の対応もしないまま告知された人の中には、急激に認知症が悪化してしまった人もいました。

次回は私がこれまでどのように告知に対応してきたかを、ある女性の例から考えてみます。

※このコラムは2017年7月6日にアピタルに初出掲載されました。

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