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認知症と生きるには

元社長秘書の自己決定。彼女が恐れた孤独とは 認知症と生きるには8

大丈夫。私たちと一緒に生きましょう

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」。朝日新聞の医療サイト「アピタル」の人気連載を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、ひとり暮らしの女性の体験をもとに、病気の告知について考えます(前回はこちら)。

患者さんに認知症であることをどう告知したらいいか。今回は、8年ほど前に出会ったある女性とのやりとりを振り返りながら考えてみます。

ここで読者のみなさんにお知らせしたいことがあります。私のコラムに登場する人物は、この小さな診療所に25年の間に来院した地域の人々をモチーフにしています。複数の人に起きたいくつかの事例を、仮名の「ある人」に起きたエピソードに置き換え、わかりやすく表現しています。特定の個人に起きた固有の出来事ではなく、典型的な例を示すことで、個人情報の保護や倫理的配慮をおこなっています。もちろん、このアピタルのコラムを執筆するにあたり、患者さん本人や、できない場合は家族(遺族も含め)の同意を得ています。

8年ほど前、アルツハイマー型認知症の女性、中島恵子さん(仮名65歳)が診療所に訪れました。彼女は元社長秘書で、3年ほど前に現役を引退していました。仕事が忙しくて結婚する機会がなく、両親もすでに見送っていたため、家族は隣の県に住むお姉さんだけでした。

その彼女の体に異変が起きました。咳が止まらなくなり、近所の「かかりつけ医」から紹介された大病院で胸部レントゲン、CT検査を受けたところ、初期の肺がんであることがわかりました。

かかりつけ医は、最近の中島さんの様子から、がんだけでなく早期の認知症を疑っていました。なぜなら診察に来たときの様子が、これまでのしっかりした彼女ではなかったからです。話がかみ合わず、2分ごとに「咳が止まらない。先生、これ何の病気ですか」とくり返していました。

自分のことは全て知りたい

かかりつけ医が困ったのは、これからの治療方針を中島さんひとりの意見を聞いて決めてもいいかという点でした。物忘れが健忘のレベルを超えて認知症になっていることに気づき、この先、がんの闘病にかかる医療費の自己管理ができるかどうか、心配だったからです。

そのとき、かかりつけ医から相談を受けた私が「ものわすれ外来」で中島さんを診察することになりました。診察の結果、彼女はまだまだ能力が高くて、認知症の初期の段階でした。がんの進行具合や、彼女の判断能力の高さを考えると、告知して早期に対応できれば、この先の人生もしっかりと過ごしていくことができる人だと思いました。そこでかかりつけ医とも相談した結果、ご本人がどのような考えを持っているのか、どう自己決定したいのかを確認することになりました。

私はこう尋ねました。

「中島さんはご自身の心身の状態について、自分で考えて決めたいと思っていますか」

「もちろんです。先生もご存知のように私はこれまで自分のことは自ら決めてきました。ですから、自分のことは全て知りたいです」

中島さんは、しっかりとした口調で答えました。

この答えで、彼女の気持ちがわかりました。その後、肺がんのことも、そして認知力の低下のことも告知しました。その結果、手術を無事に終え、「ものわすれ」についても理解し、計画的に自分の力で通院してもらうことができました。

一番怖かったのは、事実を告げずに隠されてしまうこと

中島さんが言った言葉が今でも忘れられません。

「先生、病気になったことは怖くありません。一番怖かったのは、事実を告げずに隠されてしまうことでした。それって、『あなたは知らないほうが良い。知らずに過ごした方が楽だろう』ということですよね。でも私には、一緒に考えてくれることが支えになるんです。これまで一人で決めてきたけれど、ものを忘れてしまう自分にとっては、たったひとりでこれからも踏ん張っていくことが不安なのです。孤独の中で病気と向き合うことこそ、最も怖いことなのです。これからも私の人生に寄り添って下さいね」

中島さんのように自ら「知りたい」と考えた人には、告知をすることが安堵感につながることがあります。これからの人生を自らで決めることで「自分の人生の決定権は自分自身にある」と主体性を保つことができます。しかしその時にも「伴走者」は必要です。

希望しない人には時期を見計らって告知したり、家族に告げたりするなど、ひとりひとりのニーズに合った告知の仕方が求められます。その際にもやはり「人生に伴走してくれる誰か」の存在が大切でしょう。

その人の「その後」を決定づけるほど、告知には大きな役割があるから、ひとりで向き合わなくても良いのです。中島さん、これからもさびしく思わなくていいんです。中島さんの「知る権利」のために告知するのではありません。中島さんとともに人生を送ることができるなら、その寄り添い役になることは私たちの役目ですからね。
 
次回のコラムは初期認知症の不安感や気分の沈みについて考えます。

※このコラムは2017年7月20日にアピタルに初出掲載されました。

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