「心臓ぉ、動けえええ」義母のリアクションに泣き笑い もめない介護73
編集協力/Power News 編集部
病室に入ったとき、義父はもう目を閉じていました。
口をパカーンと開けて居眠りする姿は、これまでに何度も目にしています。でも、いつもと違うのは、ベッドの傍らにある機械からアラーム音が鳴り続けていることです。これって、ドラマでよく見る血圧や脈拍、呼吸がゼロになったことを示すアレですよね。
どうしたらいいかわからず、夫婦ふたりで棒立ちになっていると、主治医の先生がやってきました。
「おわかりだと思いますが、お父さんの心臓はもう動いてません。息もされていません」
ですよね……。うなだれるわたしたちに、医師は不思議な質問をします。
「どうされますか?」
「……と、言いますと?」
なにを問われているのかわからず、ぼんやりするわたし。すかさず質問を投げかける夫が頼もしく見えます。「立派に孝行息子になられて……」と、誰目線なのかもよくわからないまま、感心していました。
「ほかのご家族は何時ぐらいに到着されますか? ご存じかと思いますが、人はお亡くなりになって少し経つと、死後硬直といって体が硬くなります。そうなるとお着替えなどが難しくなります。ただ、あともう少しであれば、ほかのご家族が到着されるのを待つこともできます。こういったことは、とても大切ですから」
アラームが鳴り響く病室で、義母の到着を待つ
義母が暮らす有料老人ホームは、病院からさほど離れておらず、あと10~15分ほどで到着することがわかっていました。隣県から病院に向かっている義姉はもう少し時間がかかりそうです。しかし、予定通りに来られれば、医師が言う“ギリギリ間に合う時間”に収まりそうでした。
「家族が揃うまで待っていただけるとありがたいです」
「わかりました。いまのうちに、おとうさまの手を握って差し上げてください。まだ、温かいですから」
そう言うと、医師は病室を出て行きました。アラーム鳴りっぱなしだけど、これはこのまま放置しておいていいもの? なにしろ初めて直面するシチュエーションなので戸惑うばかり。なにをどうしたらいいのかよくわかりません。
医師が病室を出て行くのと入れ替わりに、看護師さんがやってきました。
「点滴やチューブなどを外し、お着替えを始めてよろしいでしょうか?」
「いえ、先生から『ほかの家族が来るまで待ちましょう』ということで伺ってますが……」
「時間が経つと、お体が固くなってしまうんです。ご長男さんですよね? 息子さんがご希望されているということであれば、すぐにでもお着替えを始められますので……」
「家族が到着するのを待ちたいです」
「わかりました」
夫と看護師さんのやりとりを聞きながら、頭の中はクエスチョンでいっぱいです。医師は可能な限り待つと言ってくれたけど、看護師さんはさっさとエンゼルケア(亡くなった後の処置)に入りたいってこと……? というか、いまのこの時間はどういう状況なのか……。
さらに、「葬儀屋さんは決まってますか。いつ来ますか?」という質問もありました。いや、連絡しようと考えている葬儀屋さんはあるけど、いきなり「いつ来ますか」と聞かれても……。義父が病院を出発する準備が終わるまで、どれぐらい時間がかかるものなのか、こっちが教えてほしいぐらいですってば!
「あらあら、どうなさったの」
そうこうしているうちに、施設の職員さんに連れられて義母が到着します。いつもは歩行車を使っていますが、この日は車椅子でした。
「あらあら、どうなさったの。昨日からちょっと様子が変だと思ったのよ」
義母は絶句し、涙ぐんでいます。
前日はちょうど、義姉と義母のふたりで、義父のお見舞いに来ていたのです。おしゃべりはできたけれど、あまり調子は良くなさそうだったと義姉から聞いていました。
夫が慎重に言葉を選びながら、義父の現状を義母に伝えます。でも、義母はまったく聞く耳を持ってくれません。
「“ちょっと切れば、すぐに良くなる”って聞いてたのに、どうしてこんなことになっちゃったの?」
義父は昨年末から誤嚥性肺炎で入退院を繰り返していました。しかし、義母の頭の中は「手術で入院した」というイメージでいっぱい。しきりに、「簡単な手術だと聞いていたのに」と不満を訴えます。
「やっぱり、お腹の調子が悪かったせい……?」「生まれつき、肺の形がおかしかったみたいなのよね」と、具合が悪かった場所もコロコロ変わります。話が行ったりきたりしていたか思うと、「こんなことになるんじゃないかとにらんでたのよ」と、明後日の方向に飛んでいくのです。
涙する暇もなく
義母に質問攻めにされる夫を見ながら、わたしはいつ死後硬直が始まるのか、気が気ではありません。じわじわ固くなるものなのか、急に固くなりはじめるものなのか、見当がつかないのです。ねえ、お医者さまも手を握ってあげるなら早いほうがいいようなこと言ってなかった!?
「おかあさん、おとうさんの手を握ってあげましょうか」
そう促すと、義母は納得がいかないような顔でおそるおそる布団の中に手を潜り込ませます。でも、「なんか冷たいわ。違う人の手みたい」と言って、すぐ手を引っ込めてしまうのです。いやいや、そうなんだけれども!
そうこうしているうちに、義姉が到着しました。病室のドアがバーンと開いたかと思うと、義姉はつかつかと義父のベッドに近寄り、「パパ! わたしよ! わたしが来たわよ!!」と叫びます。
すると、義母が顔をしかめ、「あなた、そんなに大きな声を出したら迷惑よ。目が覚めちゃうじゃない」とつぶやきます。こちらは神妙な顔で聞こえないフリです。義父の急逝はわたしにとってもつらい出来事で、ショックも受けているはずなのに、涙する暇がまるでありません。
シュールでフリーダムな義母の振るまい
家族が全員揃ったところで、主治医の先生が再び登場し、最後の診察が始まりました。聴診器をあて、口元に手をかざし、時計を見て……「11時15分。この時間をおぼえておいてください」と臨終の告知がありました。
義母はわかったような、わからないような顔をしていたかと思うと突然、義父に向かって「何か、おっしゃったら?」「あーとか、うんとか、言ったらいいのに」と話しかけ始めます。
医師が「いまは呼吸をしていません」と伝えても、「はぁ」とあいづちとも、ため息ともつかないリアクションをしたきり、黙っています。重ねて「心臓も動いていません」と言われると、今度はいきなり手をバンと義父のほうに突き出し、「心臓ぉ、動けえええ」と念を送り始めました。そう来ますか!
ずっとこらえていましたが、さすがに限界です。あまりにシュールで、フリーダムな義母の振るまいに思わず、笑ってしまい、あわてて顔を引き締める……の繰り返し。義父も自分が亡くなった後、枕元でこんなコントが繰り広げられるとは夢にも思っていなかったことでしょう。しかし、恐るべきことにまだ、このやりとりはほんの序の口だったのです。