編集長インタビュー

「認知症は社会がつくる」老年看護の提唱者、中島紀恵子さん前編

中島紀惠子さんと冨岡史穂編集長

「認知症ケア」の活動とともに、「老年看護」の教育研究のパイオニアとして知られる中島紀惠子さん。「ケアするという行為は、自立モデルを基本に、一人ひとりの生活を支援すること」と語る中島先生に、老年期について、認知症との向き合い方について、そして「ケア」とうものの本質について、なかまぁる・冨岡史穂編集長が聞きました。

人間は老年期も成長・発達する

冨岡史穂(以下、冨岡) 中島先生は活動や研究を通してずっと、老年期は必ずしも失っていくばかりではないということを重視されてきました。

中島紀惠子(以下、中島) そう、人間として、老年期もずっと成長・発達するということを言っています。人間は、様々な環境で人生経験を積み重ねていく中で、合理性のある体の使い方を取捨選択できるようになるのです。「学ぶ習慣を身に付ける訓練が人生だ」と言ってもいいかと。生きている、とはそういうことでは?
人間はいつだって成長し得るものだと思います。段取りをする力や聞く力、自分で決める力。そういった、体が覚えた力が簡単に衰えるはずはないんですよ、人間なんだから。

冨岡 認知症医療の第一人者と言われる長谷川和夫さんは、ご自身が認知症になって「自分が体験したことの『確かさ』が薄れてきた」とおっしゃっています。

中島紀惠子さん

中島 大事な言葉ですよね。認知症になると、自分の記憶に確信が持てなくなります。本人の実感としては、忘れるというより確信が持てないという感じ。やったかな、どうだったかなと周りの反応をうかがってオロオロし、自分は何をしようと思ってここに立っているんだろうと不安になる。
「確かさが薄れていく」とは、認知症の人にとっては「本当にそうだ」と思える的確な言葉なのだろうと思います。それは長谷川先生も大発見だったらしくて、私は会うたびにこの言葉を聞かされました。「そういうことだったんだ!」と確信されたのでしょうね。

社会が認知症をつくる

冨岡 中島先生は「メディカル(医療)」と「ケア」をどう捉えていらっしゃいますか?

中島 メディカルの一部が時にケアであり、ケアの中の一部も時としてメディカルが介在する。メディカルの中心概念のキュア(CURE)とケア(CARE)は、言語学的にも区分けできないそうですよ。医学技術と医療の発達の中で、人の苦しみに注意を向けて気遣う、手当てをあれこれ考えて対処方法を編み出すというような技能(アート)、これらがケアの本質を成すものですが、近年は介助や看護、介護などの担い手を言い表わす言葉になってきました。そしてこの有り様には政治もある。

冨岡 政治ですか?

中島 ケアの担い手の大多数は女性です。女性や主婦の仕事として、また職業として担わされてきた長い歴史があります。多くの女性たちが忍耐や我慢を強いられてきたのです。これを当たり前とする教育や政治、制度があった。
また、病気に目を移すなら、たとえば結核。「結核は結核菌がつくるんじゃない。社会がつくるんだ」と、かのコッホ(編集部注:ロベルト・コッホ。ドイツの医師、細菌学者。炭そ菌、結核菌、コレラ菌の発見者)が言っています。この病になった人を社会が差別的に扱うことはもとより、家族に介護を押し付け生活苦とは無縁なふりをしてきました。だから社会病とも言われました。精神障がい者も認知症も同じ線上にあったといえます。まだ、過去形ではないよね。それは社会文化をつくり出してきた政治・制度に反映すると言えますね。

冨岡 なるほど。

中島 究極的には、「ひと」は人と人の間で「人間になる」という当たり前の真実を受けて「ケア」という言葉があると思います。

冨岡 人間の本質的な権利ですね。

中島 そう、1946年にWHO(世界保健機関)の出した「ウェルビーイング」という健康概念。健康は肉体的、精神的、社会的に満たされた良好な状態を言います。健康は人間の本質的な権利です。1948年の世界人権宣言や、1960年代に障害のあるアメリカの大学生による抗議運動から始まった自立生活運動(障がい者が自立生活の権利を主張した社会運動)なども、自立したい、差別のない満たされた社会生活を送りたいという願いです。これは、それがかなわないでいるマイノリティの人々の運動をとおして拡がりました。その中で“ケア”は少しずつ本質を取り戻して語られるようになってきたのね。

高齢者用の杖もなかった80年代

冨岡 今や認知症1000万人時代などとも言われています。長谷川さんのように、当事者が発信するという現状は先生の目にどう映りますか?

中島紀惠子さん

中島 新しい時代がきていると思います。当事者の発信もそうですが、やはり現実的にそれを支えているジャーナリストのメッセージ、喧伝力とでも言うのかしら。この力は大きいですね。
ほんの少し前の1970~80年代は、親が老い衰えると個室の隠居部屋を用意する家庭も普通にあったし、「ぼける」と個室を作って隔離していた家庭もあったんですね。

冨岡 そんなに最近まで?

中島 だから80年代の頃は、歩行補助具として身長に合わせて使える色とりどりの杖はなかったし、今のように高齢者が杖を使って街中を歩いている姿は見られなかったですね。

冨岡 驚きです。高齢者にそんな扱いをしていた歴史は長いのでしょうか?

中島 どうなんだろう。むしろ、老年差別は高度成長期以降に顕著になったのではないかな。農業人口が7割から8割だった頃も老いの姿はさまざまだったと思うけれど、家族が高齢者の死を看取るという文化は普通にあったと思います。高齢者の側も、いつか家族のお世話になるからと、おむつを自分で縫って準備してたね。老人介護が社会問題だなんて誰も思わなかった。
私が1980年に認知症介護家族を対象にした調査でも、86%は嫁が介護を担っていましたから。それこそが老年差別(エイジズム)の温床だったといえば言えるけど。振り返ると老人と認知症のケアは、障がい者のそれよりも権利についての自覚が遅れてあらわになったと言えますね。

できることを奪ってはいけない

冨岡 昔は「お世話すること=ケア」だったんですよね。自立を支援するためのケアではなく。

中島 自分の身をおまかせすることをケアと称してはダメよね。
「わたしの体はわたしのもの、だからケアもわたしが決めていい」という自立モデルが考えられてきた。自立は個々人の生活や暮らしの場で必要なものを選びとる行為です。それを支援するあり方として「生活モデル」が唱えられるようになった。自立支援の制度設計も生活モデルを目指す活動ですし、今さかんに言われている地域包括ケアも生活モデルを基本にしていると思います。そして、生活モデルの基本が自立です。自立は自分を律する(自律)に裏打された生活行為です。
私は今、片手を骨折しているので、周囲から「通院の際に転んだら大変だからタクシーに乗ってください!」と言われるの(笑)。でも言うとおりにすると、筋力がどんどん低下していく。しかし、自立的に暮らそうとすると自立するために依存する知恵も必要です(笑)。その兼ね合いが難しい。

冨岡史穂編集長

冨岡 手を骨折していても歩ける。できることを奪ってはいけない。

中島 そういうことです。若年認知症の人に、外出機会のみならず働く機会を取り上げられて最初に社会活動の機会を無くす、あるいはリスクを先取りされて外出機会が取り上げられてしまうケースが多いわけで、本人にとってその脅威は大きいよね。

冨岡 自立ということで言えば、先生は大人用のおむつについても考えてこられました。

中島 パンツタイプのおむつの登場は大きかったですね。おむつパンツの開発は、デンマークが早かった。おむつは大事な自立用品ですから。

冨岡 少し前まで高齢者のおむつはあくまでも介助用品であって、自立のための道具じゃなかった。先生はその現状を改善するため、おむつのファッションショーなども開催されています。先生たちが「介助用品ではなく下着です」と訴えてきたんですね。

おむつと人間としての尊厳と

中島 身体障がい者のために工夫された自助具がたくさん出てきたじゃない? でも、高齢者の自立を助けてくれる用品はほんとになかったわね。

冨岡 おむつパンツなら、ケアされる人は立ったままおむつを交換できる。

中島 体を支えられるバーがあればそこにつかまってもらって、後ろからサッと交換できれば恥ずかしい思いを最小限に抑えられる。おむつ対策は、私たちケアする側にとってもされる側にとっても本当に大事なテーマでした。人間としての尊厳に関わることだから。

冨岡 なるほど、尊厳ですね。

中島 現在、当たり前のように使用されているおむつパンツやパッドは、まさに革命的な自立補助の商品です。寝かせっきり老人が劇的に少なくなったのはこのおむつ革命が大きかったと思います。あれがドラッグストアに並び始めた時は嬉しかったですね。

冨岡 高齢者用の杖すらなかった時代と比べると、ものすごい変化ですね。

中島 本当に、たくさんの自立補助用具が開発されてきました。

(後編に続く)

中島紀惠子(なかじま・きえこ)
元日本看護協会看護研修学校長、北海道医療大名誉教授。1962年国立公衆衛生院保健指導学科修了後、北海道で保健師として活動した後、大阪府立公衆衛生学院、千葉大、日本社会事業大、北海道医療大で指導。同大大学院看護福祉学部研究科長、新潟県立看護大学学長を歴任した。「認知症ケア」「老年看護」の概念を生み出した教育研究のパイオニア。当事者の自立を主軸とした支援を唱え「デイケア」「グループホーム」運営にも取り組んだ。福祉分野の多くの学会で理事を務め、今日もなお研究を続けている。「老年看護学」(医学書院)、「新版、認知症の人々の看護」(医歯薬出版)など著書多数。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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