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介護の裏ワザ、これってどうよ?

「あなた薬剤師さんね」そうです私は大工です これって介護の裏技?

青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました!

さあさあ、米俵をかついで、塀をさくっとなおして、目薬をさしちゃうなんでも屋だぜー

ゆずこの職業は、米をかつぎながら塀を直して、目薬を一滴たらし続ける米屋&大工&目薬屋

夫婦揃って認知症のじーちゃんとばーちゃんと一緒に暮らす中で、わたしは時々二人の妄想に合わせてほどよいウソや演技で対応していました。例えば目薬を差してあげたり薬を管理してあげていると、ばーちゃんに「あなたは薬剤師さん(ときに目薬屋さん)ですね」と任命されます。そこで「え、違うし」「何言ってんの(笑)」などの現実を突きつけるようなツッコミは必要なくて、大切なのは瞬時に役になりきることです。
いかに一瞬にして、アドリブの演技力が求められる「エチュード」(即興劇)を自然に、そしてばーちゃんの問いかけを広げる面白みを含めて展開できるかが勝負!

そう、わたしは女優。北関東のこの一軒家がブロードウェイ。さあ、勤続40年目のベテラン目薬屋さんになりきりなさい!
と、心の中で一人で楽しんでいると、いつの間にかばーちゃんはどこかへ行ってしまいます。そして、再びどこからともなく現れたと思いきや「塀を直してくれたあんたは大工の娘だね」「大工をしながら米屋もやっているのかい」と、新たな謎の設定で話しかけられます。なんかキャラが、大渋滞。

在宅介護での心がけ「ガッカリさせるウソはつかない」

色々メチャクチャな設定でも真顔で付き合うのですが、一つ気を付けていたことがありました。それは、相手をガッカリさせるウソはつかないということです。例えば、病院とお風呂が嫌いなばーちゃんに、「今日お風呂入ったら、明日病院行かないでいいよ」と言ったり、検査で半日以上病院で過ごさないといけないときに、「この検査が終わったら帰れるからね」(本当はあと何時間もいないといけない)ということを気軽に伝えないということです。
その場はなんとかやり過ごせても、ばーちゃんはかなり長い時間その“孫のウソ”を覚えています。そして、「話が違うじゃないか!」と余計に暴れたりどんどん興奮してしまう。ここまで言い切ることはありませんが、介護に携わった当初は、「早くばーちゃんの暴走を抑えなきゃ!」という一心でこれらのウソに近い内容を伝えてしまったこともありました。やはり結果は逆効果。より荒れるばーちゃん。その場しのぎのウソが結果的に介護する側の負担となって、自分の首を絞めることになったのです。

そこからわたしは、ばーちゃんをお風呂に入れたり病院に連れていく際に、ウソをつくのではなく「自分がダメ人間になる」というような独自の作戦を生み出したのです。
いくらでもエチュードはやるし、どんな役でもこなすけれど、ガッカリさせるウソだけはつかない。そう心がけていました。

病院「これが終わったら帰れるんだ・・・」言われた方はちゃんと覚えています

介護を円滑に行う“優しいウソ”プロはどう対応する?

ウソと演技は使いようで、そのさじ加減はすごく繊細で難しいところもあります。そこで介護のプロの方々は、どのように乗り越えているのでしょうか。
東北福祉大学福祉心理学科の教授で日本認知症ケア学会の理事、そして『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新書)の著者である加藤伸司先生はこう語ります。

「相手を傷つけない、円滑に介護をするためのウソや演技はご家族のみなさんなら良いと思います。でもね、私たちプロは相手を騙したり、ウソに頼ってしまうのはできることなら避けたいなとも思うのです。もちろん色々な考えの方がいるでしょう。
施設の利用者さんでも『家に帰りたい』と訴える人に、『お風呂が終わって、ご飯を食べたら送っていきますよ』と言うと、その場は静かになるかも知れません。けれど送っていかない。そりゃあ不満も溜まりますよね。
じゃあ僕たち専門家はどう伝えるか、乗り越えるかというと、相手の目を見て“本気で本当のこと”を言うのです。もちろん状況や相手によっては伝わらないこともあります。

一例ですが、こんなケースもあります。老老介護をしているご夫婦の話です。
認知症の奥さんの介護に旦那さんが疲れてしまっていました。ご自身のストレス発散や休養も兼ねて、一時的に施設にお泊りするショートステイを利用しようとしていました。でも奥さんは『帰る!』と言ってきかない。そこで、『お父さん(旦那さん)も介護で疲れているから、これであなたが帰ったらもっと疲れちゃうよ? 疲れて倒れてしまうのは嫌だよね?』と、その場しのぎの噓でもなんでもなく本気でお話しました。これは不安をあおったり与えるわけではありません。不安を与えない範囲を考慮した上で、事実をきちんと伝える。“認知症の方”というくくりではなく、一人の人として向き合うように心がけます。その方は『……それはいや。だから私はここにいるよ』と理解してくださいました」

ゆずこのエチュード(ばーちゃんの話にのっかる即興劇)は置いといて、相手を傷つけない“思いやりを含んだウソ”は、在宅介護においては必要不可欠だとわたしは感じました。でも同時に、「ウソや演技にばかり頼らず、ときにはばーちゃんに本音を伝えることも重要だ」とも。その使い分けが難しいのですが、介護には正解がない! だからこそ、自分たちにあった介護術を模索していこうと思った、“米をかつぎながら塀を直して、目薬を一滴たらし続けるゆずこ”なのでした。

加藤伸司先生
加藤伸司先生
東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科教授。認知症介護研究・研修仙台センターセンター長。日本認知症ケア学会副理事長。近著に『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新社)『認知症の人を知る―認知症の人はなにを思い、どのような行動を取るのか』(ワールドプランニング)など

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