認知症とともにあるウェブメディア

編集長インタビュー

みんなおいでよ!僕のお墓に3万人 欽ちゃんの「老人」はダメよ5

坂上二郎さんと結成した「コント55号」で一世を風靡し、78歳になる今日までお茶の間に笑いを届けている萩本欽一さん。今回は、「認知症対策」と入学動機を語って話題になった大学生活のこと、そして年を取ることに対する欽ちゃん流の考え方などについて、なかまぁるの冨岡史穂編集長がうかがいました。(前回のお話(4)はこちら

萩本欽一さん

みっともない、恥ずかしいは50歳まで

冨岡史穂(以下、冨岡) 欽ちゃんが「年を取ったらこうしたらいい」と思うことはありますか?

萩本欽一(以下、萩本) 簡単に「知らない」と言わないほうがいい、ということですかね。たとえ知らなくても、自分なりに考えて“その近所”で答える。たとえば「徳川9代将軍は誰?」と聞かれたとして、「知らない」じゃ会話が終わっちゃうでしょ? そういう時は知ってる範囲で答えるの。「8代将軍は吉宗だから、吉宗さんのご近所!」とかさ。

ほら、よくおばあちゃんが孫の名前が出てこない時に「ヨシオ、じゃなくてサブロー、じゃなくてキヨシ!」とか、兄弟の名前を全部呼んじゃったりするじゃない? あれでいいのよ。そこで「思い出せないから面倒臭い」になるとボケちゃう。

で、横からお嫁さんが「おばあちゃん、いま上の部屋にいる子たち、全員呼ばれたから降りてこようとしたけど階段で回れ右してますよ」って言うとかさ(笑)。そうすると会話も増えて楽しいじゃない?

間違えたっていいのよ。最近はみんな間違えることに危機感とか不安感を持ち過ぎ。だから言葉がカーブしないのね。年とってからの間違いなんか面白いだけなんだから、どんどん間違えればいいの。みっともない、恥ずかしいは50歳まで。50歳を過ぎたら、その鎧は少しずつ外していくのがいいと思いますよ。

冨岡 鎧を外す。いい言葉ですね。

大学という空気がそうさせた

萩本 鎧といえばさ、大学に入ったばかりの頃、ねねちゃんという同級生に「欽ちゃん、私と友達になろう?」って言われたの。若い頃からあまり女性と口をきいたことがないもんで、構えちゃって。19歳相手にどう答えていいかわからなくてね。

4年後の卒業式の時、俺は卒業できないけど、卒業する仲間を見送る人になろうと思って大学に行ったんです。その時ねねちゃんに会って「あの時19歳の女性に友達になろうって言われて上手く答えられなかったんだけど、俺はどう答えるのが正解だったんだろうね?」と聞いたの。

冨岡 ねねちゃんは何と?

萩本 「『もう友達だよ』って言えばよかったんじゃない?」だって。

冨岡 わあ……素晴らしいですね。

萩本 それを言われた時、俺は大学に来て良かったなあと思った。こんなことを教えてくれるところはどこにもないですよ、世の中に。きっと大学という空気がそうさせたんでしょうね。あの言葉だけで、大学に行った甲斐があったと思った。

萩本欽一さん

来るなら来いと迎え撃つ気持ちで

冨岡 私たちは認知症のイメージを変えていくことを目指してこのサイトを立ち上げ、認知症になっても人生を前向きに生きている人を応援しています。たとえば日本にはまだ少ないですが、フランスには認知症をテーマにしたラブストーリーの短編映画などもあるんです。ご夫婦がお互いのことを忘れているため、毎朝会うたびに恋に落ちるという、微笑ましくも素敵なお話で。

萩本 ああ、いいですねえ。そういう風にちょっと笑いで扱うようになると、認知症が病気ではなくなってくるんだよね。我々って「言葉に気をつけなきゃいけない」っていつも言われていて、大事なことも遠くへ遠くへ押しやってしまってね。

最近じゃ言葉にも出さないようにする感じになっているけど、そういうふうにすると余計情報が伝わらないんだよ。

冨岡 日本でもどんどん作品が生まれたらいいなということで、ショートフィルムのコンテストなどの取り組みも始めています。

萩本 そういう短編映画が認められて、観た人が愉快な気持ちでほのぼのできるのはいいよね。よくCMなんかで「人にはそれぞれ人生がある」って言うけど、それは50代まで。60歳になったら「人にはそれぞれの人生が来る」って捉えたほうがいいと思う。向こうからやってくるものに立ち向かう感じ。

認知症にしても「いつか俺にも来るかもしれない」って構えておいたほうがいい。だから何をしろっていうわけじゃないけど、「来るなら来い!」って迎え撃つ気持ちね。

自分流の健康法を持っておくと楽しい

冨岡 迎え撃つ、いいですね。

萩本 そして前にも言ったけど、「年寄り」っていう言葉のとおり「寄ってきたらひょいと除ける」ことですね。がんなんかの病気とか、認知症といったものを。それも薬とか他人に頼るんじゃなくて、自分で発明するのが面白い。

私で言うと、鶏肉を食べない。どうもあいつが怪しいっていうんで、がん予防のために除けておこうと思って。もちろん自分で勝手に思っているだけですよ? お医者さんに「何か健康のために気をつけていることありますか?」って聞かれた時は、「大丈夫です。あたし、鶏食ってないですから」って言うと、先生にわけわかんないって顔されるけどね。

冨岡 なぜ鶏なんですか?

萩本 だってさ、焼き鳥ってすごい美味いじゃない? 奴って朝は早く起きて、コケッコッコって鳴いて人を起こして、卵を毎日産んで、それを人間に横取りされても怒らない。羽があっても飛ばない。絶対何か魂胆があるんだろうと思って、30歳の時から食べるのをやめてるの。まあ何の根拠もないんだけど(笑)。

でも、そういうの1つ持っておくと楽しいじゃない? だから皆さんも自分流に「健康のためにこれはやらない」とか「食べない」ってのを見つけて、細々と続けていくといいと思いますよ。

最期は仲間たちと一緒の墓に

冨岡 世の中は終活流行りですが……。

萩本 いま計画してるのは、亡くなった先の人生をどう天国から楽しく見るかってことですね。元同級生はお寺に関わってる人が多いから、誰もやったことがないお墓を作りたいって相談してるの。大きな墓石に1人で名前を書くのは寂しいから、ファンの人や仕事の関係者が一緒に入れるお墓を作ろうかなって。だから墓石じゃなく“墓板”。板に名前がたくさん入ってる。

で、みんな一言、欽ちゃんにメッセージを入れるの。「萩本欽一にこき使われた」「何度も台本の書きなおしをさせられて辛かった」とかさ(笑)。楽しいじゃない?

冨岡 そう考えると死ぬのが怖くなくなります。

萩本 楽しいでしょう。お墓参りっていうとみなさん手を合わせるけど、僕のお墓には明るく手を振ってほしい、とかね。もう仏教とは別のなにかにしてもらう。

一人暮らしの人もいいですよ。無縁仏にならないから。ファンの家族の人も入っていい。どんどん広がって総勢3万人くらいになったら、どこかで誰かと繋がってるでしょ? だから寂しくない。

冨岡 誰かしら毎日お参りに来てくれるから、お花も絶えない。

萩本 そうそう。欽ちゃんファミリーで賑やかでいいよ。100年たっても、1000年たっても。こんなことをばかり考えてるから、死んでからのことも楽しみで仕方ないよ。

萩本欽一さん

これからのお寺は、骨を埋めずに歴史を埋める場所。だからみんなも行くとこなかったら俺んとこ来てね。一緒にお墓に入りましょう。あなたも来てね。「朝日新聞」って書いておくからさ。

冨岡 ぜひお願いします(笑)。今日はありがとうございました。

<おわり>

萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。66年にコント55号を結成。80年代には人気番組を連発して「視聴率100%男」と呼ばれた。テレビだけでなく舞台、映画など多方面においても人気を博し、2005年には野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ、監督に就任。2015年に「認知症対策として大学へ行く」と、駒沢大学仏教学部に入学し話題に。2017年から、台本無し!リハーサル無し!の「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」(NHK-BSプレミアム)を開始。著書に「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。 73歳からの挑戦」(文藝春秋)「運が開ける欽言録」(徳間書店)など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

認知症とともにあるウェブメディア