介護の裏ワザ、これってどうよ?

その後悔は愛情の証 孫は介護にちょうどいい これって介護の裏技?

青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 最終回として、専門家に総括的に解説してもらいました。

タラレバの波は愛情が深いほど襲ってくる「もっといろんな所に、連れていってあげたかった」「もっと優しく接してあげていれば・・・」「『家に帰りたい』ってずっと言ってたな・・・ムリしてでも一度くらい叶えてあげていれば・・・」

すべては7年前、ド素人ながら介護に飛び込んだ日から始まった

ばーちゃんが施設に入所して1年が過ぎたころ、ステルス性のがんが見つかり病院へ転院することになりました。入院中に、わたしの7年間の介護体験を記録したマンガ『ばーちゃんがゴリラになっちゃった。』(徳間書店)が発売され、「アタシの本が出たよ!」と本を手渡すと、ちょっとペラペラとめくって穏やかでどこかうれしそうな表情になりました。
本の内容なんて理解できないだろうし、孫の本だということもどこまで理解できているか分かりません。しかし、その本をそっと枕の下にしまい込んだばーちゃん。枕の下は家の鍵やお財布、時計、お気に入りの指輪など「大好きで大事なもの」だけをしまう場所です。そんな場所にわたしの本を入れてくれた……きっと何かが伝わったのでしょう。うれしかった。

しかし、本のタイトルは『ばーちゃんがゴリラになっちゃった。』です。万が一、看護師さんや同室の患者さんたちに「これは孫が書いた本なんだよ」なんて言い回ってしまったら、みんなきっと「ゴリラ?」と心の中であだ名をつけたり、「この人はゴリラなのね」とざわついたりすることでしょう。
お見舞いの帰りにそんな妄想をして、一人でニヤニヤするゆずこ。見せられた看護師さんのリアクションを想像すると……ヤバい、ちょっと面白いじゃないか。

そして本が発売されてから7日後、ばーちゃんは天国へと旅立っていきました。まるで孫の本の発売を見届けるため頑張ってくれたかのように。じーちゃんのときといい、まったく粋なことをやってくれるジジババです。

自分が主人公の本を読むばーちゃん
自分が主人公の本を読むばーちゃん

罪悪感や後悔は誰にもある! 愛があればあるほど、“たられば”は尽きない

そんなこんなで約7年間の介護生活を経て、わたしはじーちゃんばーちゃんから数えきれないほどの経験と、笑いと涙と、人生の引き出しをもらったような気がします。そして、自分なりの打開策やテクニックなど、さまざまな“介護の裏ワザ”を習得してきました。
家族間で、どんな状況でどのような溝が生まれやすくなるか、家族だからこそ足並みを合わせることの難しさ、今ならSNSなども駆使して情報を共有することの大切さ、そして介護には『絶対にこうしなければいけない』というルールは存在しないんだということも、これまでの連載の中で紹介させていただきました。

ただ、どうしても「もっと〇〇できたんじゃないか」「もしあのときああしていれば」と、ばーちゃんが亡くなったあとも“たられば”が寄せては返す波のように頭の中を襲い、やるせないような切ないような、後悔にも似た思いにとらわれることもあります。

でも、その“たられば”は相手への愛情が深ければ深いほど湯水のようにどんどん湧き上がってくるものと思えるようになりました。後悔じゃなくて、愛情。罪悪感じゃなくて、自分がどれだけ相手を愛したかという証拠。たらればが多いほど、「自分、よくやったじゃん!」「すごい」と褒めまくってあげるくらいでちょうどいいのです。

最近では認知症当事者が参加できるカフェやイベント、家族同士が悩みを相談できる場が全国各地に増えました。「自分は一人じゃない」「同じような状況で頑張っている人がいる」と思えると、それはものすごく心の支えになります。でも、渦中で奮闘している人ほど目の前の対応に必死で、「そんな時間はない」「行っている場合じゃない」と、必要な情報を無意識のうちにシャットアウトしてしまいます。実際にわたしもそうでした。そんなときこそ、周りにいる家族や友人が、「こんなものもあるんだよ」と教えてあげてほしいのです。介護する人をフォローする、それもまた大切な介護です。

今ごろじーちゃんとばーちゃんは、二人そろって空の上で笑っているのでしょうか。それとも、じーちゃんの限りなくクロに近い浮気疑惑が火種になって、また取っ組み合いのけんかをしているのかな。スリルがあって、スパイスが効いていて、人として成長させてくれた7年。わたしにとって、二人は最高のじーちゃんとばーちゃんでした。

「イエーイ!!」「ふっふーん」

「孫」ポジションは介護に向いている? 向いていない?

これまで多くの介護のプロの方々に、わたしが体当たりであみだした「介護の裏ワザ」について、良かったところや改善点など様々なお話を聞いてきました。
この最終回でご登場いただくのは、認知症診療の第一人者としても知られる、東京慈恵会医科大学精神医学講座教授の繁田雅弘先生です。先生は、専門医やかかりつけ医の認知症診療の講習や研修に長く関わり、講演活動なども精力的に行われています。

「ゆずこさんのような“孫”という立ち位置は、実は介護にはすごく向いているポジションです。親としてのプライドはいつまでも変わりませんから、『子どもの前で失敗する姿は見せたくない』『がっかりされたくない』という人が多い。介護には、意地を張らないで素直になることや、自分の衰えを認められるかどうかということも大切で、相手が孫だと不思議とそんな姿も見せられるちょうどいい距離感なのです」

確かに良くも悪くも、ばーちゃんはわたしにむき出しの感情を見せてくれていたような……。

「認知症の人は周囲からの刺激に無防備な状態になっていて、周りの雰囲気に直接影響されてしまう、支配されてしまうところがあります。例えば、私たちは誰かに強い言葉をかけられたり、何か不穏な空気を感じ取ったりしても、『きっと〇〇さんは虫の居どころが悪いんだ』『何かあったんだろう』と、自分の中で言い訳や理由を付けて自分を守れますよね。でも、それができないから負の感情がそのまま本人の心の中に流れ込んでくるのです」

子どもたちには失望されたくないと思っていても、家族がピリピリしていたらそんな感情が流れ込んでしまうのですね。すると余計に頑なになり、心を閉ざす悪循環に陥りそうですね。

「そうです。認知症の介護は本当に家族と当事者の合わせ鏡です。私の診察でも、認知症が進んで状況を理解できないと思われる患者さんがシュンと落ち込んでいたので、ふと付き添いの家族を見ると、みなさん同じような顔をされていました。何かよろしくない雰囲気や波長が、認知症当事者にはダイレクトに流れ込んですぐに影響されてしまう。『(認知症の家族が)荒れて手が付けられない』と訴えるご家族もいますが、それはそっくりそのまま“ご家族の雰囲気”を表しているんですよ」

うんうん、合わせ鏡だからこそ、家族の心の余裕って本当に大事ですよね。いつの間にか追い詰められないためにも、家族だけで頑張ろうとしない、尽くして寄り添えばいいというもんじゃない、自分がいなかったら成り立たないという考えは捨てる!と、わたしは徹底していました。まあ、元々がテキトーでズボラなんですが……。

「例え認知症になっても、かけがえのない家族であることに変わりありません。認知症の人と、その家族が幸せな生活を送るためにも、事前に『どんな暮らしをしたいか』『どんな時間を過ごしたいのか』を聞いておいてもいいと思います」

介護が必要になってから慌てるのではなく、元気なうちに本人の大まかな希望や方向性を共有しておくのもお互いにとって“幸せな介護”への一歩ですね。

尽くして寄り添うだけが介護ではありません。
頑張りすぎずに、ゆる~く、ときにはテキトーに。自分をしっかり守りつつ、みなさん独自の“介護の裏ワザ、これってどうよ?”を編み出してくださいね!

繁田雅弘(しげた・まさひろ)先生
東京慈恵会医科大学 精神医学講座 教授東京慈恵会医科大学附属病院 精神神経科 診療部長。認知症診療のオピニオンリーダー。症状よりも「人」を診ることをモットーとし、問診を重視した診療を行っている。認知症になっても安心して暮らせる街づくりを目指すべく、空き家状態の実家を認知症支援の拠点に再生し、「SHIGETAハウス」の活動をはじめた。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について