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編集長インタビュー

足踏まれても「ありがとう」返事は「うん!」 欽ちゃんの「老人」はダメよ4

坂上二郎さんと結成した「コント55号」で一世を風靡し、78歳になる今日までお茶の間に笑いを届けている萩本欽一さん。今回は、「認知症対策」と入学動機を語って話題になった大学生活のこと、そして年を重ねることに対する欽ちゃん流の考え方などについて、なかまぁるの冨岡史穂編集長がうかがいました。(前回のお話(3)はこちら

萩本欽一さんと冨岡史穂編集長

認知症にはならないと勝手に思ってる

冨岡史穂(以下、冨岡) 欽ちゃんは認知症に対して、あまりネガティブなイメージを持っていないということですが。

萩本欽一(以下、萩本) そうなの。悪いイメージとか暗いイメージがない。周囲でもあまりそういう話は出ませんしね。前に認知症のお母さんの世話をしてる息子さんの話を聞いたんだけど、彼がお母さんをお風呂に入れてあげていたら、お母さんが突然「恥ずかしいじゃないか!」って怒ったんだって。

それで彼が「認知症になっても恥ずかしいという気持ちは残っているんだなあ」って感心してたのね。しかもそれを機に、お母さんが快方に向かっていったっていうんだから不思議だよねえ。

認知症とはいえ、恥ずかしいとか楽しいとか幸せだとか、そういう感覚は残っていて、そこと向き合うと、その人の中で何かが蘇るということがあるのかもしれない。好きなものがたくさんある人や多趣味な人は、なかなかボケないような気もするし。

冨岡 万が一、欽ちゃんが認知症になったとして……。

萩本 ならない。俺はならないって勝手に思ってるの(笑)。

冨岡 何かを蘇らせるスイッチになりそうな、欽ちゃんが一番好きなものって何でしょうか? やっぱり「笑い」ですか?

萩本 そうそう。笑ってもらうと喜んじゃって、一瞬で元に戻っちゃうね。

親父の臨終の場で競馬中継

冨岡 欽ちゃんが考える良い人生の終わり方ってどんなものですか?

萩本 簡単に言うと、面白く生きるのが一番いいと思いますね。僕の親父なんか、年をとったときにガンだって宣告されて、「もう先が短いね、お父さん。お父さんが今一番幸せを感じるものって何?」って聞いたら、「やっぱり競馬だなあ」って言うの。

そこで「じゃあ俺はそれに投資するよ。あげるんじゃないからな、投資だからな」って言いながら軍資金を渡したのね。そのうえで気持ちをカッカさせるために「いつ返してくれるの?」「いつ大金持って帰ってくるの?」ってわざと煽ってさ。でも、競馬をやってる親父はすごく楽しそうだった。

親父の最期、お医者様に「ご臨終です」って告げられた時に、ちょうどラジオで競馬中継をやってたの。そこで僕がボリュームを大きくしてあげたのね。そしたら「ゴール寸前!」って聞こえた瞬間に、親父の首がグーッとラジオのほうに曲がったのよ。「先生、動いてるよ!」って言ったら、「よっぽどお好きだったんですね。今、夢の中で馬を追っかけてますね」って言われたんだよ。

冨岡 すごい! そんなことってあるんですね。

萩本 俺は「いい親孝行したなあ~」と悦に入ってたら、姉ちゃんが「おまえ、不謹慎なことするんじゃないよ!」って怒ってさ(笑)。確かに臨終の場で競馬中継はないけど、親父が好きだったんだからいいじゃないかってね。大好きな競馬の中継聞きながら亡くなった親父は、きっと幸せだったと思いますよ。

「ありがとう」を言える人間に

冨岡 人生100年時代、これから先の人生、私たちが日頃から心がけておくべきことはありますか?

萩本 まず、腹を立てないってことですね。怒りっぽい人が年寄りになって認知症になると、まわりが扱いに困る。誰も相手をしてくれなくなるんですよ。だから僕も、うちの奥さんが怒ると「これからは認知症対策で怒らないようにしたほうがいいよ?」って言ってたの。

萩本欽一さん

少し前、奥さんが入院した時に病院にお見舞いに行ったら「ありがとう」って言われたんです。「俺、結婚してから“ありがとう”って言葉を初めて聞いたよ」って言ったら、「あら、言わなかった?」だって。「言ったことないよ。怒られることはあっても、ありがとうなんて言われたことないもん」って返したんだけどさ。そしたら「ああそう、それはよかったわねえ」って(笑)。

で、しばらくしてまた奥さんが入院したんでお見舞いに行ったの。そしたら今度は「本当にありがとう」って言われてね。こっちも「“本当に”までつけてくれたの初めてだよ」って嬉しかったよね。

冨岡 素敵なエピソードですね。

萩本 だから年をとった時に備えて、今から「ありがとう」って言える人間になっておかないと。年をとったら足を踏まれても「ありがとう!」。で、「痛かった?」と聞かれたら、元気よく「うん!」(笑)。そしたら向こうは「ごめんね」って言うからさ。

そういう小さいことを日々の喜びにしていかないと、「あのじいちゃん、本当に可愛げがなくて面倒みるの嫌だ」って言われるのがオチよ? 最近の年寄りは何かにつけて怒ってるからさ、そこだけは気を付けましょうよ。

萩本欽一さん

人生、せいぜい欲張っても2つまで

冨岡 年をとると夫婦の会話をはじめ、人と話す機会が減ってきます。

萩本 そう、言葉が足りない。減っちゃダメなのよ。年をとったら若い頃より増やしていかないと。

だいたいね、「おい、お茶!」なんて威張ってると認知症になるよ。言葉数は多くしないと。たとえば「非常に申し訳ありませんがお茶を淹れていただけますでしょうか。大変でしたら結構でございますけれども」とかね。そしたら「じいちゃん自分で淹れなよって言いたいところだけど、まあ仕方ないから淹れてあげるわよ」って言ってもらえるかもしれない。

冨岡 (爆笑)なるほど、全然印象が違いますね。

萩本 あとね、グチは言わない。そんなの聞いても誰も楽しくないから。それと、さっき「一度に3つのことはできない」って言ったけど、欲も同じ。3つがくっつくと大きな失敗をするからね。皆さんも「家が欲しい」「宝くじに当たりたい」「美人になりたい」とかね、それは贅沢というものですよ。

せいぜい欲張っても2つだけ。「いいダンナと結婚したな~」と思ったら一個。あとは毎日健康だったらもう十分。そんなもの。そこに宝くじ当てたいとか言い出したら不届きだよ。人生めちゃめちゃになりますよ。

冨岡 欲張り過ぎてはいけない。

萩本 そういうこと!

萩本欽一さんインタビュー(5)に続きます

萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。66年にコント55号を結成。80年代には人気番組を連発して「視聴率100%男」と呼ばれた。テレビだけでなく舞台、映画など多方面においても人気を博し、2005年には野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ、監督に就任。2015年に「認知症対策として大学へ行く」と、駒沢大学仏教学部に入学し話題に。2017年から、台本無し!リハーサル無し!の「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」(NHK-BSプレミアム)を開始。著書に「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。 73歳からの挑戦」(文藝春秋)「運が開ける欽言録」(徳間書店)など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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