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編集長インタビュー

朝昼晩カツ食べて、還暦過ぎたら返事は「うん!」欽ちゃんの「老人」はダメよ3

坂上二郎さんと結成した「コント55号」で一世を風靡し、78歳になる今日までお茶の間に笑いを届けている萩本欽一さん。今回は、「認知症対策」と入学動機を語って話題になった大学生活のこと、そして年を重ねることに対する欽ちゃん流の考え方などについて、なかまぁるの冨岡史穂編集長がうかがいました。(前回のお話(2)はこちら

萩本欽一さんと冨岡史穂編集長

100歳まで生きる秘訣とは?

冨岡史穂(以下、冨岡) 前回で欽ちゃんは「70歳になった白髪のSMAPが見たい」とおっしゃいましたが、その頃、欽ちゃんは100歳になりますね。

萩本欽一(以下、萩本) ですからね、私は天国で(笑)。

冨岡 いえいえ、お母様も100歳を超えてから亡くなられたと聞いています。

萩本 そう、長生きだった。僕、NHKでね、100歳の人100人にインタビューしたことがあるの。で、その時のディレクターが「全員に共通していることがわかれば、100歳まで生きる秘訣が見つかるかも」と言い出してさ。

探したら1つだけあったの。それは「みんな指先を動かしている」ってこと。料理作ったり、草むしりしたり、裁縫したり。でもね、うちの母親は台所仕事もしない人だったからさ、どうしてかなあって考えたら、毎日日記をつけてたんですよ。

だから僕が大学に行って、「ただ先生の話を聞いてるだけじゃダメだ。試験を受けて書かないと」って思ったのは合ってるんだよ。よくボケ防止に麻雀がいいというけど、あれも頭と指先を使うでしょ? 

冨岡 なるほど。食べ物はどうでしょう?

萩本 関係なかったねえ。その時、インタビューに応じてくれた100歳の男性に「好きな食べ物は?」って聞いたの。そしたら「カツだな」って言うの。カツって揚げ物だから胃に重いじゃない? だから「週に何回くらい食べるの?」って聞いたら、「ばかやろう、毎日朝から食ってるよ」って。で「じゃあ昼は?」って聞いたら「そんなにカツばっかり食えないよ。カツ丼だよ」って。「じゃあ夜は?」って聞いたら「夜は当然カツだろう」って、結局カツばっかり食ってるのよ(笑)。

白身の魚の刺身が好きで、そればっかり食べてる人もいたしね。あとはタバコをやる人、酒を飲む人も半々。両方やらない人は0だった。子どもたちは「高齢なんだからタバコはやめてほしい」って言っていたけど、本人が「タバコやめるくらいなら死んだ方がマシ」って言うんだから仕方ないよね。

返事は元気よく「うん!」で

冨岡 年を取ってからの幸せって何でしょう?

萩本欽一さん

萩本 やっぱり、明日会う人がいるってことじゃない? 2~3日家でじっとしてると病気になっちゃう気がするもの。だから歳を取ったら這ってでも外へ出て、店であんぱん買うでもなんでもいいから人と話すことですよ。で、店員に「おじいちゃん、大丈夫?」って言われたら「大丈夫、大丈夫。あんた親切だねえ。お礼に2個買うことにするよ」って、あんぱん2個買って帰るとかさ。

あとね、僕思うんだけど、年を取ると横着になって、返事も「あー」とか「うー」になるでしょ? あれはダメですよ、横柄に聞こえちゃう。だからね、僕は「うん!」って返事するようすすめたいの。

冨岡 「うん!」ですか(笑)。かわいいですね。

萩本 子どもの頃、近所の家の庭の木にとまってる蝉をとりたくて、よく「おばちゃん、蝉とらしてください」って入っていったのね。「あらあら蝉とるの?」って出て来たおばちゃんに「うん!」って元気よく返事すると「まあ、かわいいわねえ。ジュース飲んでく?」ってジュース出してくれてさ(笑)。

それに「はい」だと力が入らないけど、「うん!」だと力が入るでしょう? こっちのほうが元気がよくて感じがいいのよ。だから60歳を過ぎたら返事は「うん!」。「おじいちゃん、お茶飲む?」って聞かれた時に「ああ」じゃダメよ。偉そうだから。「おじいちゃん、お茶飲む?」「うん!」これなら奥さんも気持ちよくお茶を入れてくれるはずよ。

冨岡 確かにお茶を入れてあげたくなります(笑)。

萩本 でしょう? あとね「老人」って呼び方はやめたほうがいいね。「年寄り」と呼んでほしい。年寄りって「年が寄ってくる」んだから、ひょいとよけることができるんですよ。「老人」だとよけられない。老いた人って言われたら避けようがないんだもん。だから元気のいい人を年寄りと呼んで、老け込んでいく人を老人と呼ぶことにしたらいいと思うのね。僕に「老人」って言ったら怒るよ(笑)。

好きなものは忘れない

冨岡 認知症になって多くを忘れてしまっても、ある一定のことだけは覚えているという人もいます。人の記憶を刺激するものって何でしょうね?

萩本 昔、宮崎で毎年野球をやっていた頃、地元で認知症の患者さんを看てる院長先生が応援してくれてたのね。その先生が「欽ちゃん、せっかく来たんだからお年寄りの前で何か話してよ」って言うの。でもさ、相手はボケてるわけじゃない? 果たしてウケるのかなあと思っていたら、案の定、みんなボーッと僕を見てるわけ。

萩本欽一さんと冨岡史穂編集長

そしたらあるおばあちゃんが、「欽ちゃん、あたし大阪から来たんだよ」って話しかけてきたの。僕は「大阪から宮崎まで来たの? 良かったねえ」って答えたんだけどさ、後になって院長が「欽ちゃんすごいね!」って言うわけ。なんでですかって聞いたら、「あのおばあちゃんはボケてしまって、一度も喋ったことがないんです。あんな元気のいい声、初めて聞いた」って。

で、翌年また行ったら、そのおばあちゃんがすっかりシャンとしちゃって、「欽ちゃん、あたしのこと覚えてる?」って声をかけてくるじゃない。もうビックリだよ。院長は「きっと欽ちゃんのことが好きで、よくテレビで観てたんだろうね」って言ってたけど。

だからさ、親でもなんでも、元気なうちに好きなものは何なのか確認しておいたほうがいいと思う。そこに記憶にたどり着く何かが隠れているような気がするから。

冨岡 欽ちゃんが記憶をほどくきっかけになった。

萩本 うちの奥さんのお母さんも、最後はボケちゃってわが家に来たんだけどさ。やっぱり「ねえあんた、どっかで見たことあるね」って毎日言われていましたよ(笑)。そのたびに奥さんが飛んできて「お母さん、私のダンナだよ」って言うと、「ああそうだったねえ」って。で、また次の日には「あんた、どっかで見たことあるね」って始まるの。

彼女もどんどん症状が進んでいって、しばらくすると何も言わずに私の顔をジーッと見てるだけになって、半年後には亡くなってしまったけれども。そういう意味では、わりと芸能人の方っていうのは覚えていてもらいやすいような気がしますね。だからあからじめ親の好きな芸能人を聞いておいて、ボケたらその人の映像なんかを見せてあげるといいかもしれない。

萩本欽一さんインタビュー(4)に続きます

萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。66年にコント55号を結成。80年代には人気番組を連発して「視聴率100%男」と呼ばれた。テレビだけでなく舞台、映画など多方面においても人気を博し、2005年には野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ、監督に就任。2015年に「認知症対策として大学へ行く」と、駒沢大学仏教学部に入学し話題に。2017年から、台本無し!リハーサル無し!の「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」(NHK-BSプレミアム)を開始。著書に「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。 73歳からの挑戦」(文藝春秋)「運が開ける欽言録」(徳間書店)など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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