私は私のままだから 認知症のレッテルを貼らずにありのままを見て欲しい
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》
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その人は、
自分が認知症と診断されたときの、
驚きと絶望を腹におさめて、
それでも笑ってみせる、やさしい人。
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その人は、
認知症へのさまざまな誤解がはびこる、
社会の理不尽のなかでも、
自分らしく生きようと、歩きつづける人。
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たくさんの目が、
その人を「認知症の人」という目で、見やる。
その目は私。
その目はあなた。
その人は、その人であるだけなのに。
かつて、こんなことを話された方がいました。
「もう、誰にも会いたくない。
どこにも行きたくない。」
その方は、認知症と診断されてから2年以上が経っていました。
いたわるような目も、
「にんち」とさげすむような目も、
もうたくさんだとおっしゃりながら、私を見つめられました。
そのときのまなざしは、私の心に深く突き刺さりました。
同時に何かを見透かされたような気がして、私はなだめるような言葉しか言えませんでした。
あの瞬間は、今でも忘れられません。
以前、「認知症がある人の安全をどう守るか」というテーマで行われた話し合いを聴く機会がありました。
そこには、年齢も立場もさまざまな方々が集まり、それぞれの意見が出されました。
その中で、こんな提案がありました。
「どこにいても本人が認知症だとわかるように、
本人にマークを付けてもらったらどうだろう?」
それは、命を守るために必死で考えられた提案でした。
そして、その意見を口にした方自身も、それが本当に正しいのかどうか悩んでいるようでした。
この提案について、皆さんはどう思われるでしょうか?
きっと、正解や不正解など確かな答えはないでしょうが、私自身はこう思うのです。
認知症のあらわれ方や、認知症のある方がどんな気持ちで毎日を過ごしているのか、
私たちの理解は、まだまだ十分とはいえません。
だからこそ、認知症のご本人の側に印やレッテルをはるのではなく、
私たち自身に何ができるのかを考えていく必要があるのではないでしょうか。
今この時はもちろん、
未来を少しでも明るくできるように。
これからも、考え続けていきたいと思います。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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