洗濯を干すのもままならない できないことが増えた私に寄りそう人
《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

私の洗濯のしかたは、ちょっと変わってる。
衣類を洗濯機で洗った後、
ぬれたまま、しわを伸ばして、
バケツにいれて重ねておくの。
——なぜ、干さないのかって?
それは、私ひとりでは干せないからよ。
数年前、軽い脳梗塞(こうそく)をしたあと、
指先にちからが入らなくなって、
洗濯バサミが口を開くまで、つまめなくなってしまったの。
とはいえ、他はすっかり元気だから、要介護認定は受けられず、
訪問介護サービスを使うことはできなかった。
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けれど、洗濯は毎日のこと。
ひとりで干せないからって、干さないわけにはいかない。
だから私は、歯を使った。
洗濯バサミのつまみを前歯で思いきりかんでは開き、
ぬれた洗濯物をはさんで干す生活がつづいた。
ようやくこんな私にも要介護認定がおりて、
訪問介護ヘルパーさんに週1で来てもらえるようになったころには、
私の前歯は、すっかり欠けていた。
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だから、
私はバケツにぬれた洗濯物を準備して、
ヘルパーさんを待つの。
ほら、窓の外で、
キキキッと、
自転車が止まった音がする。
あの若いヘルパーさんだ!
今日も私はヘルパーさんと一緒に手を伸ばして、
冷たくなった洗濯物を、
青空へ広げてあげよう。
年齢を重ね、外出する機会が減り、体のあちこちに不具合が出てくるようになったとき、
あなたはどこで暮らしていたいと思いますか?
きっと「自分の家」と答える人も多いことでしょう。
広くても狭くても、
たとえ周りに頼れる人がいなくても、
住み慣れた「自分の家」なら、
たとえひとりきりになっても、動けなくなるまではなんとか暮らせると思うからかもしれません。
しかし、現実はどうでしょうか。
いずれ、洗濯バサミを開くことさえ難しい——そんな日も訪れるでしょう。
そうした「できないこと」が、見た目ではわからない形で少しずつ増えていくのが、老いというもの。
介護が必要になるのは、立てなくなったり寝たきりになったりしてからだと思っているかもしれませんが、
それは、大きな誤解なのです。
ひとりではできないことが増えてきてもなお、
「自分の家で暮らしたい」という、
ささやかで切実な願いをサポートしてくれる存在がいます。
それが、訪問介護ヘルパーです。
身体介護から生活援助まで、
訪問介護ヘルパーの仕事は幅広く、十人十色の暮らしに深く寄り添います。
言ってみれば、おみとりという最期のときまで、
私たちの暮らしに伴走してくれる、もう一つの家族のような存在です。
私自身、かつて訪問介護ヘルパーとして勤務していました。
時に人ひとりの生の奥深さに悩むことも多い仕事でしたが、
それ以上に魅力とやりがいに満ちた、素晴らしい職業だと感じています。
今日もあなたの町を訪問介護ヘルパーさんが、
そよ風のように奔走していることでしょう。
《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》
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