【編集長オススメ】認知症とともにある夫婦のラブストーリー 映画「エターナルメモリー」
文/松浦祐子
9月の「認知症月間」を前に、認知症に関する多様な視点を与えてくれるドキュメンタリー映画「エターナルメモリー」が公開されます。今年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネートも納得の、やさしさに包まれながらも認知症の人のありのままの姿を記録した作品です。オンラインインタビューに応じてくれたパウリナさんの言葉とともに紹介します。(以下、敬称略)
舞台は、南米チリ。認知症がグローバルに共通するものであることを再認識させられます。主人公は、著名なジャーナリストで、60代でアルツハイマー型認知症と診断された夫のアウグスト・ゴンゴラと、国民的女優で文化大臣を務めたこともある妻のパウリナ・ウルティアという夫婦。アウグストは、記憶の多くがおぼろげになっており、次第に自分自身のことも分からなくなっていきます。
けれど、映画の中で描き出されるのは、パウリナがアウグストを、いわゆる“介護”している姿ではありません。インタビューでパウリナは「介護をするというと、相手を子ども扱いしがちだけれど、私はまったくそうしなかった。彼(アウグスト)は自分で考え、行動する人。残された能力を使って一人の人間として生きていく能力と意思があるのだから」と話しました。
その言葉通り、パウリナは、自身の演劇の公演や練習などに、アウグストを連れていきます。アウグストは、認知症になる前ならばきっとしなかったと思われるような行動もしますが、それを周囲もごく自然に受け入れています。2人は、朗読しながら散歩をしたり、日食を観察したり、マシンピラティスをしたりと、積極的に外に出て、社会と関わり合いながら過ごしていきます。パウリナは「アウグストは、アルツハイマー病であることを恥ずかしいことだと思っていなかった。(認知症になると)恐怖で世界から離れていく人が多い中で、アウグストは世界へ参加していこうとし、孤立しなかった。そうした姿が描かれていることが、この映画の大事なところ」と語ってくれました。
そうした近年の姿の合間に、若かりしころ、屈託なく愛し合い、日々を楽しんでいる2人の記録映像も差し込まれることで、たくさんおしゃべりし、笑い合う2人の関係性が、長い年月をかけて紡がれてきたものであることが分かります。それは、まさに美しいラブストーリーです。
ただ、それだけで終わらないのが、ドキュメンタリーの力です。
アウグストが自分のことも分からなくなり、ガラスや鏡に映った自身の姿を、他の誰かだと思って語りかけている様子や、最愛の妻パウリナのことも忘れて分からなくなっていく様子が、そのまま映し出されます。さすがのパウリナも「たまに私は限界だと感じて死にたくなる」とつらい心情を吐露します。認知症のご本人や、今まさに認知症の介護をしている人にとっては、胸がしめつけられるシーンではないかと思います。けれど、それに対してアウグストが「僕は生きていたい。生きている限りは好きなことをして友だちたちと過ごしたり、おしゃべりしたりして楽しむべきだろ?」などと返すので、どちらが励ます立場なのかあいまいになり、笑みがこぼれて暗い雰囲気にはなりません。頭が良くて、ユーモアがあって、しゃべるのが好き…。そんなアウグストの変わらないアイデンティティーが遺憾なく発揮されています。
だからといって、もちろん、アウグストはつらさを抱えていないわけではありません。
1973~90年の軍事独裁政権下の厳しい報道統制のある中で、ジャーナリストとして市井の人々らの生活を取材し、後に著書『チリ 封じられた記憶』を記したアウグスト。多くの記憶を失った後でも、当時のことは「大勢の人が殺されて苦しみを味わった」と忘れることがない点は、人の記憶のメカニズムの不思議さを感じさせられます。パウリナがアウグストを前にして、同書を手にしながら語るシーンでは「記憶を失えば、自分を失う。行き先も分からず、困惑してさまよい、アイデンティティーもない」という一節が読み上げられます。記憶というものについては、人一番、思索をめぐらしてきたであろうアウグスト。そんな彼が、記憶を失い、自分が誰かさえも分からなくなったときに叫ぶ「ひとりぼっちだ。バカにされている」という言葉の源にある思いは、私たちが認知症の人と向き合うときに忘れてはならない、たとえすべてを理解できなかったとしても、くみ取ろうとする必要がある思いなのだろうと思います。
一方で、パウリナは、この映画について「忘却の映画ではなく、記憶の映画だ」と強調しました。個人と社会の記憶の重なりを映した映画なのだと。アウグストは2023年に亡くなっているのですが、彼の記憶は、社会の中で引き継がれていき、歴史へと溶け込んでいくことになるのだろうと思います。それは、誰にとっても同じであり、一人一人の人生の貴重さを示しているように思います。
そう考えたとき、この映画は、「認知症=忘れる」とうい側面ばかりが注目されがちな社会にあって、認知症になっても残り続けるその人らしさとかけがえのない人生の尊さを、アウグストとパウリナという夫婦のラブストーリーを介して社会の記憶としてとどめようとした試みなのだと気づかされます
- 8月23日(金)、新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか
全国公開
- 監督:マイテ・アルベルディ プロデューサー:パブロ・ラライン
- 出演:パウリナ・ウルティア、アウグスト・ゴンゴラ
- 原題:LA MEMORIA INFINITA 英題:THE ETERNAL MEMORY
- 2023年/チリ/スペイン語/85分
- 後援:チリ大使館、インスティトゥト・セルバンテス東京
- 提供:シンカ、シャ・ラ・ラ・カンパニー
- 配給:シンカ