夢をかたちに 地域のより合い場を目指す湘南の新しい福祉の在り方
2025年には認知症の人が約700万人になると予想されています。近所のスーパーやコンビニ、スポーツジムや公園、交通機関にいたるまで、あらゆる場面で認知症の人と地域で生活を共にする社会が訪れます。少しずつではありますが、認知症の人の思いや立場を尊重した独自の取り組みが個人商店や企業、自治体で始まっています。今回は、湘南で、料理をリハビリに取り入れたデイサービスが行っている「かめキッチン」(神奈川県藤沢市鵠沼海岸7丁目)を訪ねました。
JR藤沢駅から鵠沼海岸に向かって車で約10分。サーフショップが並ぶ通り沿いにある「かめキッチン」では、エプロン姿の高齢者が生き生きと働き、活気にあふれていました。高齢者の身体的機能の維持や改善を目的とした機能訓練として、デイサービス「カルチャースクール亀吉」の認知症の人を含めた利用者が有償ボランティアで調理を行い、出来上がった料理は食堂で提供されたりお弁当として販売されたりしています。
かめキッチンを運営しているのはNPO法人「シニアライフセラピー研究所」です。地元出身の理事長、鈴木しげさん(48)が2006年に設立して、最初は一人ケアマネジャーとして事業を始めましたが、現在では介護をはじめ、障害福祉、子育て支援、傾聴ボランティア育成など、地域密着型の43事業を展開し、職員は約70人。パンの割引特典などのサービスがある会員組織「くげぬまつながり隊」も運営していて会員は約1400人います。2022年の法人全体の売り上げは2.2億円で利益は3600万円という大きなNPO法人です。
鈴木さんは中学、高校時代にアルバイトでためた200万円を持って米テネシー州の私立大学に留学しましたが、学資が不足して奨学金に応募することにしました。米国の大学で奨学金を得るためには、成績だけでなくボランティアやクラブ活動の実績も考慮されます。そこで、鈴木さんは奨学金獲得に有利に働くよう、ボランティア活動を始めましたが、実際にやってみると様々な人種の障がいのある子どもたちを招いたパーティーの開催や、チャリティーサッカーの参加など「とにかく楽しいことばかり」。たちまちボランティア活動に魅了されました。
2年間の留学を終えて1996年に帰国しましたが、このころ日本は前年に起きた阪神淡路大震災をきっかけにボランティア活動が一気に芽吹いた時期でした。鈴木さんも早速、藤沢市のボランティアセンターを訪れましたが、「そこで求められるものがいわゆる仕事、労働力で…。自分が思い描いていたボランティア像とはかけ離れていた」と感じたそうです。そんなとき、ある事務員がヘルパーステーションでの仕事を勧めてくれました。鈴木さんはヘルパーとして働き始め、それ以外にもホテルのフロント業務など様々なアルバイトをこなしましたが、結局最後まで続いたのはヘルパーとホテルの仕事だったそうです。「自分は人と関わる仕事をしている時が居心地良いとわかりました」と鈴木さん。同時に日本の大学にも編入しました。
バイト生活は4年で区切りを付けるという計画を立てていた鈴木さんは、当初の計画通り、25歳で都内の介護老人保健施設に就職して介護職として働き始めました。ところが当時は、身体拘束が当たり前の時代で、利用者が車いすに縛り付けられていたり、ベッドで拘束されたりしていました。入浴介助なども「はい脱いで、次は洗って、終わったら出て……」という、まさに芋洗い方式で短時間で済まされていました。入社したての新人でしたが理事長を居酒屋に誘い、直談判して教育担当を任せてもらい、よりご本人を尊重したケアになるように改善に努めました。一部の介護職員からは反発や嫌がらせを受けましたが、身体拘束を無くし、ゆっくりと入浴ができる運営方法に変えることができたといいます。それ以外にも休日は他の介護施設に出向き、利用者さんに化粧をするボランティアや回想法を使ったお話ボランティアなど行いました。こうした働きぶりが「カリスマ介護福祉士」として雑誌で紹介されることになり、うわさを聞きつけた別の大手社会福祉法人から「うちの施設を任せたい」とヘッドハンティングがありました。
転職した鈴木さんは赤字で運営が困難になったグループの施設を次々と黒字化していきました。また管理職の教育を任されたりグループホームを立ち上げたり、大きな予算と決裁権を任され、社会福祉施設経営のことは一通り経験することができました。こうして福祉業界で有名になった鈴木さんですが、半面「マネーゲームのような経営」が嫌になり、30歳を転機に退職して、地元で「一人ケアマネ」としてのんびり生活していこうと決心しました。
そして2006年に地元の藤沢市に戻り、実家の一部を使って「寄り合いどころ」ともいえる活動を始めました。ここには高齢者や認知症の人、障がいのある人、ボランティア、地域住民など様々な人が集まり、地域の課題を話し合い、解決策を探す場所になりました。この時スローガンに掲げたのは「夢をかたちに」でした。
デイサービス「カルチャースクール亀吉」を設立することになったいきさつもまさに地域課題の解決でした。地域包括支援センターから「ある男性をデイサービスに行かせたいけど、『絶対に行かない』と言って困っている」という相談が持ち込まれました。早速寄り合いの仲間で認知症の人に「どんなデイサービスだったら行きたくなる?」と尋ねたところ、「買い物に行ける」「おいしいものが食べられる」「茶道を教えたい」「料理がしたい」「マージャンができる」などの意見が出ました。次に「実際こんなことができるデイサービスがあればいきたい?」と尋ねたところ、何人かが「いきたい!」と答えました。鈴木さんはデイサービスの開設を決心して、「いきたい!」と答えた人がそのまま施設の立ち上げメンバーになりました。
デイサービスの開設を具体化するときも地域の人脈が生きています。物件が見つからないという問題は寄り合いの仲間の一人が、友人の不動産屋に電話を入れて解決しました。神奈川県への申請では「カルチャースクール」という施設名に対して「デイサービスに娯楽的な要素は不要」と言われましたが、メンバーが論文や新聞記事などを検証し、「マージャンやパソコン教室、お酒を飲むことがふさわしくないというのは人権問題」と訴え、「カルチャースクール」を名前に冠することにこぎつけました。求人募集をしても職員が集まらないという問題は、寄り合いのメンバー自身がパート職員として働くことにしました。利用者の重鎮には運営の相談役を任せて、食材の調達や1週間のメニューの考案など雑多な相談にのってもらっています。「自分たちのデイサービスだから、自分たちで運営してもらうのは当然」と、鈴木さんは利用者の自主性に委ねることを方針にしています。
介護保険では「地域密着型サービス」といって、認知症高齢者や中重度の要介護高齢者が出来る限り住み慣れた地域で生活が継続できるように、市町村が地域のニーズに対応した事業者を指定・監督し、地域住民に提供するサービスがあります。そのねらいは、地域の特性を活かして、その地域に合ったサービスを提供することですが、まさにこのカルチャースクール亀吉こそ、地域密着型のお手本だと、私は感じました。
取材に訪れた日、かめキッチンではランチ営業に向けてデイサービス「カルチャースクール亀吉」の利用者が慌ただしく動き回っていました。食材を切る人、調理をする人、料理を盛り付ける人、お弁当を作る人…。皆黙々と自分の仕事をこなしていました。このなかにデイサービスの職員は1人か2人しかいません。利用者が主体になることで「彼らが生き生きとして、キッチンがゆったりとした空気感になる」そうです。そして利用者だけで調理が回るようになると、職員は「仕事が楽になった」と感じ、職員が減ることで人件費の削減につながり、結果として全体の職員の給料が上がって離職率の低下につながったそうです。
かめキッチンは介護保険サービスからの脱却を目指しています。多くの事業者からすれば耳を疑う話ですが、鈴木さんは大真面目です。給付に頼らない運営を目指して介護保険事業を地域住民活動に転換していく流れを作ろうとしています。「いつの日か新型の自治会として永続していくことを描いています。施設や事業所としてではなく、『亀吉さん』という地域の寄り合い場のような存在を目指しています」と鈴木さんは話します。福祉=給付が一般的な世界で、湘南のデイサービスが行う試行錯誤は、未来に向けた壮大な実験なのだと感じました。