すべてが手探り、孤軍奮闘の実家じまい 経験して分かったコツと心境
いつかはやってくると思いつつ、ついつい先送りしてしまう親の介護の準備。関西在住のイラストレーター&ライターのあま子さんもそんな一人。これまで一人暮らしを続けていた母が、2022年正月早々に転倒し、骨折→入院という経緯で認知症を発症。姉と兄による“介護押しつけバトル”を経て、いったん母は首都圏に住む兄一家のところで暮らすことになったのですが、あっという間に関西に戻ってくることになりました。再び、母の住まい探しが始まりました。今回は、「実家じまい」のお話です。
大変だった実家じまい
前回、「姉兄とのお金の話」を書きましたが、今回は実家じまいの話をしたいと思います。私は、母の住まいを2度整理しています。1度目は、神戸にあった実家。2度目は、母が昨年まで一人暮らしをしていたA市の賃貸マンションです。これからお話しするのは、今から約7年前、1度目の実家じまいの体験です。
私が結婚したのは今から十数年前。それまでは、神戸の実家で母と暮らしていましたが、結婚を機に実家から電車で1時間ほどの新居に住むことになりました。母は「1人で大丈夫」と言いましたが、遠方では目が届かないこともあり、姉の近所のマンションに母の部屋を借りました(ここを見つけるのも苦労しました)。私の家からも自転車でも行ける距離の所です。最初は新しい環境にとまどい、実家と新居となったマンションを行き来していた母も、1年もたつと娘や孫と近い暮らしが気に入り、実家に戻ることはほとんどなくなっていました。
母のマンション暮らしが3年目を迎えたころから「実家じまい」を考えるようになった私。母に相談すると、ショックを受けたようで難色を示されました。が、私もここで引き下がるわけにはいきません。「このまま放置しておくのは防犯上よくないし、維持費もかかる。お母ちゃんが元気なうちに片づけようよ」と説得すること数カ月…。
助け舟は突然やってきました。新聞で<空き家問題>の記事を読んだ母が「家が売れないと困るから、早く始末しよう」と言い出したのです。実家は駅や役所に近く買い物にも便利な立地。売れないとは思いませんでしたが、せっかく乗り気になった母には黙っていました。
姉兄はというと、実家じまいには大賛成でしたが、協力する気はゼロ。姉「(兄の)ツヨシにやらせろ」。首都圏で暮らす兄は「遠いからムリ」という、お決まりの理屈で、予想通り私一人でやることになりました(泣)。
さて、家を処分することは決まったものの、初めての経験なのですべてが手探りでした。
やるべきことは大きく分けて3つでした。
① 家を売る
② 家財を処分する
③ モノの引っ越し
不動産業者選びに失敗?時間がかかった実家の売却
最初の大きな問題は、不動産業者選びです。不動産業者になんとなく怖いイメージがあり、決めるまでにかなりの時間がかかりました。ネットで家を売る手順を調べたり、家の一括査定を依頼したりしました。住所を入力すると、ざっくりした査定金額などをメールで知らせてくれます。路線価で土地の価格も調べ、大体の相場感をつかみました。
そのあと、実家を購入したときの不動産会社や、超大手、中堅どころなど5社ほどに訪問見積もりをしてもらいました。最初は1人で対応していましたが、なんとなく女1人だと軽く扱われている気がして、途中から不動産業者さんとのやり取りには夫も同席してもらいました。
見積価格は、どの業者も似たり寄ったりで、「建物には価格が付かず、土地の値段だけ」という点も共通していました。担当者さんも、特別よい人もいなければ、いやな人もいないという選びにくい状況。であれば大手のほうが営業に強いのではと思い、一番大手の若い担当者さんに決めました。
結果的には、この選択は失敗でした。訪問時に見せていた熱心な姿勢は影を潜め、ネットに載せた物件情報や写真も「逆にマイナスじゃない?」と思うほどお粗末なものでした。見学に来てくれた人への営業トークも雑。どうやら「買う人」を選んでいたようです。広い土地ではありませんが立地は良かったので、希望者は何人も出てくると思っていたのかもしれません。結果、3カ月たっても売れず、家のそばに「売り物件」ののぼりを立て、価格も2回下げるはめになりました。こちらの信頼感も失せ、不動産業者を変える話になったころ、ようやく買い手が見つかりました。
身も心もボロボロになる実家の片付け
家が売れれば、引き渡し期限までに家の中を空にしなくてはなりません。実家は2階建ての5DK。4人が暮らした家には、母の家財はもちろん、物置代わりに兄姉が置いていたもの、孫のおもちゃなど、とにかくモノにあふれていました。
母は片づけを手伝いたがりましたが、床という床にモノが散乱し足元が危ないことや、母のペースでは作業がはかどらないこともあり、私一人で整理することにしました。母には「必要なものや、処分に迷うモノは母のマンションに持っていくから」と約束しました。
なにも考えず一気に捨てられるなら簡単ですが、1つ1つ「処分するモノ」「持っていくモノ」「売れそうなモノ」「姉兄のモノ」に仕分けをしなくてはなりません。こうやって書いているだけでも気が遠くなるような作業です。ときは1月の真冬のさなか。火の気のない家で片づけをしていると、心身ともにこごえ切って本当にきつかったです。玄関やリビングにゴミ袋が何十個も積みあがりましたが、ゴミステーションに1度に出すことはNG。ゴミの日の朝ごとに実家に出かけ、何回にも分けて片づけました。
モノのお引っ越し
その後、実家を空にするにあたっては、5社ほど見積もりを取って、引っ越しと不用品処分の両方をしている業者に依頼をしました。<家の売却代金−実家じまいにかかる費用=母の今後の生活費>になるので、少しでも節約したかったのです。
費用を安く抑えるために、タンス(5さおもあった!)や、本棚などの大型家具は、市の大型ごみに出すことを思いつきましたが、私一人では到底、運び出すのはムリ。そこでシルバー人材センターに手伝いをお願いしました。派遣のおじいさんはよい人で、タンスなど切れるものはすべて小さく切ってまとめてくれたうえ、ゴミ出し当日も一緒に手伝ってくれました。ありがたかったー! 洗濯機などの使える家電や、結婚式の引き出物でもらった食器類など、売れそうなものは不用品回収屋さんに買い取ってもらえたので、引っ越しにかかる費用を少し抑えることができました。当時も、メルカリのような個人売買もありましたが、私にそこまでの余裕がありませんでした。
可能な限りのモノを処分し、引っ越しまでに荷物を詰め終えれば、あとは業者さんの出番です。家じゅうのゴミをテキパキと回収し、引っ越し荷物をトラックに詰め込んで、業者さんは去っていきました。あとに残されたのは私一人。ガランとした家をみるのはさみしいだろうなと想像していましたが、実際は重い荷物を下ろしたことに心底ホッとしました。
【感想&後日談】
母の賃貸マンションには、衣装ケースや小型家電、段ボール数十個が運び込まれました。子や孫の滞在用に空けていた部屋に入れましたが、部屋の大半が荷物で埋まるような状況。最初こそ「この写真なつかしい」とか「この食器お気に入りやった」とよろこんで荷ほどきしていた母ですが、結局多くの段ボールは開けないままでした。本当に必要なものはすでにマンションに持っていっていたし、生活必需品は買い足していたのです。「あるとうれしいが絶対必要でもないモノ」が詰まった段ボールは、開けないまま7年が過ぎ、母が老人ホームに入居するためにマンションを退去する際にほとんどを処分することになったのでした。