橋の上で風を全身で感じて サンフランシスコでのウォークイベント
“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(56)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、今春、サンフランシスコであったウォークイベントに家族で参加したときのお話です。
この春、サンフランシスコ市内で開催された約10キロのウォークイベントに、家族で参加してきました。前日までは雨天が続いていましたが、当日は霧で有名なサンフランシスコでは珍しく、朝から晴天で、暑くも寒くもないちょうどよいウォーキング日和。それにも増して、私は1年ほど前から近所にあるスポーツジムに通って運動を続けていたので、基礎体力も上がり、やる気十分の状態でした。
きっかけは、私の主治医の一人が冗談のように話してくださった「週3回、息が切れるほどの運動を続けることと、レカネマブ(早期アルツハイマー病の進行を抑えることが期待されている新薬)のどちらがより有効なのか、私は正確な答えをもっていない」という言葉。私も、かつてバイオテックで働いていた時に、その方向に少し近い仕事にからんだことがあります。その際には、動物を使った実験で、定期的な運動が体の広範囲にもたらす有益な効果を目の当たりにしたことがありました。
そして今、自分が、特効薬がない認知症という厄介な病気と対峙(たいじ)している待ったなしの場面で、一方は最新薬。もう一方は、日常的にすぐ取り組める運動という選択肢。ふーむ…と、しばし考えて行きついた結論は、「相加効果や相乗効果を狙って両方やっとけ!」。それ以来、有酸素運動を主体としたエクササイズを続けるようにしています。
本当にその結果かどうかは知り得ませんが、30代前半に髄膜炎を患った時から悩まされてきた異常とも言える寒がり体質が、最近ではどうしたことなのか、明らかに軽減されてきています。少し前はクーラーが利いている夏場の電車内やデパートの建物に入ると、気持ちがよいのは最初の1~2分だけで、そのあとは首周りの汗がたちまち冷えきり、首元から後頭部全体が強い痛みにさいなまれること多々でした。ところが、最近はその煩わしさはありません。
今回参加したウォークイベントでも体の変化を感じました。一緒に参加した息子も気分が乗ってきたのか、早速に私をぶっちぎって先をいこうとしたのですが、あえて自分のペースを守りながら進みました。しかし、ゴールデンゲートブリッジ(サンフランシスコの海岸に架かる大きなつり橋)の姿が近づいてきたら居ても立っても居られなくなり、足を早めました。
橋に近づくほど、寒流が流れる海峡を抜ける風がますます強く、冷たくなりました。しかし、幸いこの日はジャケットを着れば私でも耐えきれるほどの寒さ。車では何度も通っていますが、こうして歩いて渡るのは、妻と息子には初めての経験で、私も久しぶりです。絶景を眺めながらのウォークは爽快そのものでした。調子に乗って、高台にある絶景ポイントまで行きたくなりましたが、家族に断固として止められ、橋をわたりきったところでUターンしました。
岸壁から魚釣りにいそしむラテン系らしき人たちの収穫をのぞいてみたり、見慣れない路傍の花をのぞき込んだり、最後は、橋のたもとにあった小さなみやげ物屋に併設されたカフェでのどを潤しながら、優雅な一日を楽しみました。
橋の歴史を説明する看板を読んで覚えておくのは、とても難しくなりましたが、橋の上を歩いた時の風の速さや冷たさはしっかりと全身で捉えて、覚えています。“まだ大丈夫。もっと先の先まで家族や親族、友人たちと一緒に、人生を有意義に過ごすぞ”という強い思いが湧いてきました。私はまだまだ前に進む。気分は“レッツ・ゴー、俺”です。