思い出いっぱいの車人生40年 自ら決心した免許返納 次なる相棒は
“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(56)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、運転免許返納をめぐるお話です。
2024年1月、自動車運免許を自主的に返納しました。わたしたちが住んでいるカリフォルニア州では、アルツハイマー病の診断を受けた人でも即、免許取り消しになるわけではありません。しかし、私の診断がおりて以来、運転を継続することに反対だった妻と、時に苦々しい議論になりながら、ずっと話し合いを続けてきました。
でも今回、自分から運転免許を返納することを決心し、そのことを私から妻に伝えました。
事故を起こしたわけではありません。違反の切符も届いていません。
ですが、自分の運転が少し変化しているように自分でも感じていました。そしてこの日は、以前の私の運転ではなかったという自覚がありました。背中にうっすらと冷たい汗がにじんだ感覚が忘れられません。
ついにこの時が来たと悟った私は、少し離れた安全な場所に移動して呼吸を整え、自宅までの短いラストランをゆっくりと車で走りました。
涙がでるかな?と思いましたが、意外と晴れやかな気分でした。
18歳の初運転から約40年、大好きだった車の運転をやめるのは断腸の思いでしたが、一度も事故もなく、終えることができたことを誇りに思っています。
思い返せば、本当に良い車人生だったと思います。九州大学時代には、姉から譲り受けた車で、飼っていたペットのインコ2羽と一緒に、東京と福岡を何度も往復しました。その後、東大の大学院に移り、白金台の研究室で働いていたときには、夜遅くまで仕事に励み、自宅のある川崎まで毎日、深夜のドライブを楽しみました。
2001年の2度目の渡米の時は、私のドリーム・カーだったシボレー社のカマロを購入し、10年近く乗り続けました。しかし、故障が多い上に車高が低く、奥さんが車酔いするため、結婚を機に泣く泣く手放しました。その後、子どもが生まれてSUV(スポーツ用多目的車)に替え、最後は3年ほど、電気自動車にも乗りました。
昨年(2023年)の夏の家族旅行では、サンディエゴまで、往復1500キロ近い道のりを、ほぼ私一人で運転しました。本当は、家族でのアメリカ横断を夢見ていました。自分の運転で出かける夢は潰(つい)えましたが、妻が着実に運転経験を積み上げてきていますし、あと3年ぐらいで息子も免許を取れる年齢に達します。妻や息子が運転し、私自身は後部座席に一人で座ることになっても耐えられるよう、体力や柔軟性を保つべく、これからも運動を続けないといけません。
現在の私の主たる移動手段はe-バイク(イーバイク:電動アシストつき自転車)です。これが、大好きだった運転をやめた心の痛みを抑える痛み止めとして、うまく作用しています。自転車ではありますが、再充電可能な内蔵電池で動くモーターの力と脚力とで走るので、汗の量も少なめで、ある程度長い距離を走れます。50半ばも過ぎた病気のオッサンが、車体が重いe-バイクをどの程度乗りこなせるのか? 新しい挑戦に、またワクワクしてきています。