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五十路娘 母の住まい探しに迷走中!

4カ月ぶりに会う母の変わり果てた姿に絶句 ついに関西へ帰郷し老健へ

数ヶ月で激変した母の姿にびっくり!「おかん生きてる?」

いつかはやってくると思いつつ、ついつい先送りしてしまう親の介護の準備。関西在住のイラストレーター&ライターのあま子さんもそんな一人。これまで一人暮らしを続けていた母が、2022年正月早々に転倒し、骨折→入院という経緯で認知症を発症。いったん母は首都圏に住む兄一家のところで暮らすことになりましたが、その後、母は入退院を繰り返します。そうしていたところ、母が退院後に関西で入所できる老人保健施設(老健)を見つけることができました。いよいよ、母が関西に帰郷することになりました。

2023年のある晴れた5月の午後、91歳の母は生まれ育った関西へ戻ってくることになりました。私が子どものころから、「最後は兄のところで世話になる」と言い続けていた母。実際に首都圏の兄宅で暮らし始めると、すぐに言を翻して「関西へ帰る」と言い出し、家族を巻き込む大騒動になったのは、これまでお話してきたとおりです。

母は病院を退院した足で関西に戻り、そのまま、海の近くにある老健へ入居することになっています。移動は兄が運転する車で、義姉も付きそうとのこと。私は朝からソワソワと落ち着かず、何度も時計に目をやりました。
いよいよ車が私の家に着いて、4カ月ぶりの母との対面です。
後部座席の母に目をやった私は思わず絶句…。
「お、お母ちゃん、死にかけてる…?」
顔はやせこけ、髪はボサボサ。目はうつろで焦点が定まっていません。シートベルトがまるで拘束具のように見えました。長旅の疲れももちろんあるでしょうが、わずか数カ月で人はこんな幽鬼のようになるものなのか。
心の動揺を隠して母の隣に座り、老健までの道中は、窓から見える山や街並みなど、関西に戻ってきたことを実感できる話をしました。だんだん受け答えの声が出てきたので少し安心しました。

老健に着くと、母はすぐに部屋に案内されました。家族には、施設担当、リハビリ担当、医師のそれぞれから入所についての説明があります。兄はすぐにでも立ち去りたそうでしたが、それは困ります。兄には首都圏でのこれまでのことを説明してもらう必要があるし、これからの生活や費用のことなど一緒に聞いてもらわないといけません。
1時間近い説明が終わり、母の部屋に行くことが許されました。6人部屋の入り口に近いベッドで、残念ながら窓から海は見えません。母は、ベッドに起き上がっていましたが、ここが関西だとわかっていないようでした。老健で体も心も回復してほしい。

老健からの帰り道で「どこにいるかわからんのやったら、関西に戻らんでよかったんちゃうん」と兄。母が向こうにいるときは、なんやかや言ってこちらに押し付けたがっていたのに。自分の手を離れたとたんの強気発言を残して、早々に立ち去っていきました。

老健から脱走?やらかし行動連発する母とひたすら謝る娘

なにはともあれ、ついに母は帰郷し、新しい暮らしのスタートです…と感慨に浸る間もなく、翌朝すぐに老健から電話が。母が夜中に廊下をウロウロしていたらしい。弱っても足は達者なのです。目が離せないということで、早速、ナースステーションのそばに部屋が移動になったとのこと。移った先は海が見える部屋だったので、結果オーライ。前向きにとらえよう。うん。
このあとも「家に帰る」と荷物をまとめだしたり、オムツを流してトイレを詰まらせたり、エレベーターで外に行こうとしたり、いろいろやらかしました。そのたびに、電話がかかってきて、ひたすら謝る日々。面会に行くと、いつごろからか、母の部屋からトイレまでの廊下には、母の名前と部屋番号が何枚も貼られていました。

老健は、作業療法士や理学療法士等によるリハビリを受けられます。母がお世話になったリハビリの先生は、40代のほがらかな男性で、いつも親しげに声をかけてくれました。先生によると、母の認知機能の低下が思ったより重く、短期記憶を維持するのが難しいので、体のリハビリより、認知機能に関わるリハビリに重きをおいていくとのこと。
「一緒に散歩して花を見たり、季節を感じられる話をしたりしてほしい」と言われました。
そんなこともあり、母との毎日の散歩が日課になりました。コロナ禍で面会時間は15分となっていましたが、スタッフさんから「少しくらい時間オーバーしてもいい」と言ってもらえたので、海のそばまで散歩したり、公園で花を見たり、ときにはベンチに座ってアイスを食べたりと穏やかな時間をすごしました。
最初は「ここどこ?」と言っていた母も、だんだんと関西に戻ってきたと実感しだしたようです。

なにより心配だったのは誤嚥(ごえん)性肺炎など病気の再発。食後30分程度は横にならないように見てもらえるのか不安でしたが、解決方法は想像の斜め上でした。
食事は3階の食堂で食べるのですが、みなさんが普段過ごしている部屋は別の階です。
しかも、多くの人が車いすなので、廊下にズラーーっとエレベーター待ちのすごく長い行列ができるのです。その光景は圧巻の一言。母の部屋は5階で、食後30分以内に自分の部屋に戻るのは不可能なのでした。当然、横になることもできません。
そんなこんなの暮らしが2週間ほどたち、母も落ち着いてきたのか、少しずつ顔つきも明るくなり、不穏な行動もおさまってきたように思います。いつの間にか、廊下の貼り紙もなくなっていました。老健の先生やスタッフさんが、広い心で見守ってくださったおかげです。

食事に行くため、エレベーター待ちをする人の列 ズラーッ「圧巻!」

老健の入所期間は、基本的には3~6カ月ほど。その間にリハビリなどを受けて体を元気にして、家や老人ホームへ戻ることになります(いろいろな理由で長期間の入所者もいます)。母も退所後の行き先を決めなくてはなりませんが、老健の先生からは「お母さんは介護付きの老人ホームがいいでしょう」と言われました。

老健には相談員さんもケアマネさんもいるので、もう少し落ち着いたら相談しようと思っていた矢先のこと。ネットを見ていた、私の目に老人ホームの広告が目に入りました。パソコン画面の右端とかにでてくる広告です。よく見ると、私の家の近くの介護付き有料老人ホーム。え? あれだけ探していたのに、こんなホーム、見たことも聞いたこともない。なんで? 詳細を見てわかったことは、高額の前払い金が必要なホームなので、金額の上限設定をしていた私の検索にはひっかかっていなかったのです。また、施設の多い地域でもなかったため、マップでもあまり丁寧に見ておらず、見落としていました。

ここからが肝心なのですが、いまはキャンペーン中で前払い金不要で入居できるとのこと(月々の利用料は高くなります)。すでに選べるホームが少ないため、迷うことなく見学を申し込みました。そして、この出会いが母の運命を変えることになります。
いよいよ、母の住まい探しの長い迷走もゴールになるのでしょうか!?

【感想&後日談】

母の入居した老健は、病院と同じ建物内にありました。このようなシチュエーションならば、検査や診察の必要がでてきた場合、内部で連携してもらえると思っていませんか? 私はなんとなく思っていました。でも、現実は甘くなかった…。緊急時はちがうでしょうが、母が検査を受けるときはエレベーターで1階に下りなければならず、注射1本打つだけでも、家族の付き添いが必要でした。私は毎日のように通っていたので負担感は少なかったですが、遠方の家族だと大変だと思います。「病院併設だから」と思いこまず、確認してみてください。

登場人物【あま子】アラフィフのライター&イラストレーター。関西で夫と2人暮らし。優柔不断な性格。【母さん】91歳。要介護3。娘2人の世話で1人暮らしをしていたが…性格はマイペース。【カン太】あま子の夫。突然の施設探しに右往左往するあま子のよき協力者。【カラ美】あま子の6歳上の姉。気の強いしっかり者。兄とは犬猿の仲。3児の母。【ツヨシ】あま子の3歳上の兄。首都圏在住。小さいころからオレ様気質。3児の父。※年齢は施設探しを始めた2022年当時のもの
登場人物

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