どうする?どうなる?能登半島地震の被災地で考える認知症の人の避難と支援
2025年には認知症の人が約700万人になると予想されています。近所のスーパーやコンビニ、スポーツジムや公園、交通機関にいたるまで、あらゆる場面で認知症の人と地域で生活を共にする社会が訪れます。それは、災害が発生したときも同じです。今回は、能登半島地震の被災地での取り組みを紹介します。
3月11日から5日間、地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市を訪れました。現地に行ってみようと思いたったのは、2月初めにテレビで、あるデイサービスの送迎車のドライブレコーダーの映像を見たことがきっかけです。そのドライブレコーダーには、地震発生から避難までの利用者らの克明な記録が残されていました。認知症の人をどうやって誘導したのだろう…、認知症の人の避難所での暮らしは…など、被災した認知症の人についての疑問がどんどんわいてきました。そうした思いを抱え続け、発生から2カ月以上が過ぎてやっと、珠洲市を訪れることができたのです。
珠洲市の人口は地震前の2023年末の時点では1万2573人。高齢化率は約52%(2020年国勢調査)です。実は4年前、朝日新聞厚生文化事業団の事業の一環で、小学生に認知症のことを教える出前授業「認知症フレンドリーキッズ授業」を行うために珠洲市の上戸小を訪問したことがあります。そこで5、6年の複式学級の児童10人に50%を超える高い高齢化率について話をしましたが、それ以来、この数字が私の記憶にずっと残っていました。
珠洲市では、地震発生後の1月中旬から約1カ月間、被災高齢者等把握事業として全世帯5857のうち倒壊した家屋も含めて5650世帯を保健師などのチームが「ローリング(ローラー作戦)」して回り、1061世帯の人と面会して健康面などの調査を行いました。
- 【被災高齢者等把握事業】
- 厚生労働省が管轄する事業。地震、台風及び豪雨等の自然災害における被災者の孤立防止等のため、被災生活により状態の悪化が懸念される在宅高齢者等に対して、個別訪問等による早期の状態把握、必要な支援の提供へのつなぎ等、支援の届かない被災者をつくらない取組を一定期間、集中的に実施することを目的とする。
この陣頭指揮を執ったのが珠洲市保健医療福祉調整本部の本部長で健康増進センターセンター長の三上(さんじょう)豊子さんです。お話を伺うと、調査は保健師が中心になって行われたとのことでした。寸断された道路を越えてやっとたどり着いたと思ったら目的の家は津波で流されていた…。とにかく毎回、目的地にたどり着くことが非常に困難だったそうです。「せっかく助かった命がその後どんな風になっているのか…。DMAT(災害派遣医療チーム)や日本赤十字、場合によっては自衛隊が協力してくれて各戸を回ることができました」と三上さん。調整本部だけでのべ約1万3千人がローリングに携わったといいます。「今回は1.5次や2次避難、自主避難など、二次災害を避けて避難しようという動きがあったので、実際に対面で会うことが非常に難しかったです。それでもまず1回訪問して、2回目は75歳以上の高齢者を対象に訪問しました。すごく労力と手間がかかる作業でしたが、人の命がかかっているので真剣でした」と話してくれました。
地域密着型通所介護・住宅型有料老人ホーム「鶴の恩返し珠洲」(珠洲市若山町)で施設長をしていた吉原京子さん(71)もこのローリングに携わった1人です。吉原さんは、県内の金沢市や野々市市の高齢者施設で働いた後、珠洲市にやって来ました。市福祉課に勤めた経験もあります。社会福祉士、介護福祉士、主任介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格も持っています。地震が起きた1月1日は他の職員4人と一緒に出勤していて、この時ホームには要介護1~5の利用者15人がいました。地震が起きてすぐに吉原さんは利用者にテーブルの下に隠れるように促しましたが、「なんで私がこんなことしなくちゃいけないの」と言う人もいたそうです。それでも「お願いだから入って」と言いながら、自分がテーブルの下に隠れる動作を見せました。その後揺れが収まり吉原さんは利用者5人をワンボックスカーの座席に座らせ2人はトランクスペースに入ってもらい、布団や毛布を積み込んで避難所に指定されている若山小学校(珠洲市若山町)に向かって走り出しました。他の職員も利用者を乗せて吉原さんの後に続きましたが、途中崖崩れで道路が塞がれ行く手を阻まれました。この時は思わず「神様助けてください!」と叫んだそうです。
そして仕方なく車をUターンさせましたが、全員が珠洲市総合病院にたどり着くことができました。病院は緊急避難場所に指定されていました。ロビーでソファ2台を向かい合わせに置いて「簡易ベッド」にしました。「なんでこの狭い場所に2人で寝るんだ」と怒る利用者もいましたが、「地震があったから我慢してね」というと分かってくれました。しかし、しばらくするとまた「なんでここにいるの」「こんな風に寝ないといけないの」と言い出す利用者もいたそうです。それから4日後、利用者は病院に残り、吉原さんはホームに戻ってエアベッドを持ち込んで寝泊まりを始めました。断水したホームは再開のメドが立たず、結局、入所者15人は全員市外の施設に移ってもらったそうです。その後、吉原さんは珠洲市で被災者の支援を行っている宮城県のNPO法人「ワンファミリー仙台」の職員として、各世帯の訪問や避難所での聞き取りに同行しています。
1月の能登半島地震は発生から3カ月以上が経過して、「急性期から福祉への対応にフェーズが変化している」と市福祉課の岸田和久課長は話します。「これからは私たち(市福祉課)の出番です。具体的にはデイサービスセンターが併設されたコミュニティセンターができないか模索しているところです。また各仮設住宅の近くに集会所のような施設を作って、保健師などが常駐して被災者の健康相談を担える体制を作ることも考えています」と話してくれました。避難所で生活する認知症の人の対応については「毎週、関係者が集まるケース会議があるので、何か問題が起きればそこで議論して医療機関などにつなげていきます」と話しました。
津波被害にあった宝立町の町並み
珠洲市を取材で訪れた際に、津波被害にあった宝立町を南北に走る国道249号を車で走り、沿道の町並みを動画で撮影しました。約180メートル右側に海岸線があります。
高齢化率が高い珠洲市だけではなく、認知症の人の避難や避難所生活をどのように支援するのかは、毎年のようにどこかで自然災害が発生している日本では大きな課題です。東日本大震災の直後、避難所での認知症の人と家族の支援について岩手、宮城、福島で約600の事例を調査・研究した、認知症介護研究・研修仙台センターの加藤伸司センター長(東北福祉大総合福祉学部教授)に話をうかがいました。
認知症介護研究・研修仙台センターの加藤伸司センター長(東北福祉大総合福祉学部教授)のお話
まず避難にあたっては、認知症の人は意外と落ち着いて行動しています。周囲の状況や気配でただならぬことが起きているということを理解しています。そこで「地震で危ないから逃げますよ」などと素直に促してみるのがいいでしょう。「自宅に残る」という人には「若い人(息子や孫)のために逃げて」というのが効果的です。田畑が心配で自宅に残るという人には「私たちに任せて逃げて」というのがいいでしょう。高齢者施設などでは避難を決断する強力なトップダウンが必要です。誰が判断するのか次善策も含めて決めておくことが重要です。避難するかどうか役所に問い合わせている間にも危険は刻々と迫っています。「大丈夫だろう」などという根拠の無い安心感を持ってはいけません。
避難所に移ったら環境が突然変わる「リロケーション・ダメージ」で認知症の人は混乱します。居住空間の周囲を段ボールなどで囲って、自分が見渡したとき視界に何も入らないようにするのが効果的です。家族や近所の人などなじみがある人が周りに居ることも安心感をもたらすでしょう。「トイレが近い方が便利」と思いがちですが、それよりも落ち着いて時間を過ごせる場所を選ぶ方が重要です。高齢者施設の利用者全員が避難所に移る場合、例えば小学校の教室1室を施設の利用者で使うというのがいいでしょう。物理的な環境は違っても普段と同じメンバーがいることで安心感をもたらします。認知症サポーターなどの人材が避難所で積極的に認知症の人の支援を行うのも一つの方法ではないでしょうか。家族の支援も大切です。積極的に声をかけてあげてください。
自分たちが暮らす地域でどんな災害が発生するのかをきちんと把握しておくことも重要です。災害にもいろいろあって、水害や雪害なども考えられます。地域でどういう災害が予想されるのかということを想定してください。東日本大震災の時は海から少し離れているところでも津波被害がありました。避難訓練も「本気の避難訓練」を行うことが重要です。マニュアルなどを見直して担当も決めて、その時誰がどうするというきめ細かい動きを想定しながら、本当に全員を避難させる訓練を年に1回すれば効果があります。避難指示が出る前に避難することも大切です。
認知症介護研究・研修センターでは、震災や火災、水害等の災害時における避難所生活で、認知症の人や家族、周囲の人が少しでも楽にすごせるための支援ガイド類を作成しています。こちらからダウンロードできます。