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今日は晴天、ぼけ日和

「これを飲めば……」弱った心に付け入る勧誘 まずは自分の身を守って

《介護福祉士でイラストレーターの、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

友人に労いを受けるひと

私は、自宅で親の介護を続けている。

今日も高校時代からの友人に、介護の悩みを打ち明けていた。

友人は看護師ということもあり、
私の苦労を心からねぎらってくれる。

「自分の体だって大変なのに、あなたはよく頑張ってるよ」

彼女の温かな手に、私の涙は余計に止まらなくなった。

瓶を差し出すひと

そんなある日、彼女がなにかの瓶を抱えてやってきた。

「この天然のオイル、体とエネルギーにすごくいいの。
 通販で買えるんだけど、水に一滴垂らして飲むと健康にも良いのよ」

申し訳ないけれど、なんとなく怪しいと思った。

でも彼女が、心から私のことを心配してくれているのがわかる。
それに理知的な彼女が勧めるからには、悪いものじゃないはずだ…。

——だからこれくらい、受け取ってもいいのかもしれない。

友人に背を向けて歩くひと

でも私は心を鬼にした。

「ごめんね。受け取れないわ」

なにか言おうとした彼女に、私は背を向けた。

優しい彼女を思うと、心が痛む。

でも、まずは自分。
私は、私を守ってあげたんだ。

心労の多い介護をしていたり、病で療養中の身であったりすると、
どうしても心身は揺らぎがちです。

そんなとき、誰かに親身に手をさしのべられたら、
試しにでもその手をつかんでみたくなるのは、自然な心理でしょう。

「この水を飲むと、病気も治って通院もいらなくなるわよ」
「見えないものが見える優しいカウンセラーさんがいるから、相談してみない?」

この手の根拠のない話のなかには、個人にとって気休めになるものもあるのでしょうが、
マルチ商法または、そのスレスレのものも氾濫(はんらん)しています。

特に介護者や、病を抱えた本人にこのような話は持ちかけられがちだな、というのが私の実感です。

信憑(しんぴょう)性はさておき、その手をとるかどうかの判断は、結局は個人の自由。

けれど心身が弱っているときにこのような話がでた場合、
あれこれ考える前にいったんそこから離れるのが最善と、私は考えています。

勧めてくる相手を気遣ったり、どうしようかと悩んだりするのは、ずっと後まわしでいいのです。
あまりにもしつこく勧められたときには、相手の携帯をブロックするのも一案です。

そして客観的な判断をしてくれる、ケアマネジャーや医師、消費生活センターなど、
オフィシャルな立場の人たちに相談するのが適切ではないでしょうか。

というのも相談先が友人や身内だけである場合、
弱りながらもどこか希望を与えられたかのような本人を前にすると、ついつい返すほうも甘くなり、

「辛い時だろうし、本人の自由に任せよう(そこまで、むちゃはしないだろうし)」となったり、

あるいは、
「そんな馬鹿なことを信じないで!」と感情的な受け答えをしたりしてしまうものなのです。

そうなると本人は、余計に孤立してしまう危険があります。

自分はだまされるわけがない、と信じきっていても、
気弱になっているときこそ、慎重に。

それこそが、大切な自分自身を守るための手はずではないでしょうか。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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