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バイオテック侍のシリコンバレー日記

認知症でも諦めない 見守る息子の成長 劇的な再会も 初の親子旅・後編

 南北戦争時に使われた大砲の前で
南北戦争時に使われた大砲の前で

“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(55)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。初めての息子との2人旅に関するリポートの後編です。

※カリフォルニアを出発し、旅の目的地であるバージニアに到着するまでについては、
  前回の記事をご覧ください。

アメリカ南北戦争博物館
アメリカ南北戦争博物館

そして、いよいよバージニアの現地入りです。息子も気持ちが高揚してきたのか、だんだんと機嫌を取り戻してきました。バージニアは、私たちが住む北カリフォルニアの都市サンノゼとはアメリカ大陸の反対側に位置する東海岸の都市で、文化は大きく違います。歴史を感じるレンガ造りの建物が、近くを流れるジェームス川、今は使われていない鉄道の鉄橋や線路の風景と融合して、見飽きることのない情緒ある風景を作り出していました。カリフォルニアではあまり見られない、統一された美しさがあり、あたかも違う国を訪れたように感じました。

バージニア歴史文化博物館
バージニア歴史文化博物館

今回は、この街を歴史資料館や博物館などを中心に見学して回りました。これまで博物館などでの説明書きにはさほど興味を示してこなかった息子も、宿題ということもあり、いつになくせっせとメモを取ったり、壁の看板にある説明文を熱心に読んだりしていました。私自身はと言いますと、生涯を通して理系人間でして、中高生の時は英語を除く歴史や地理といった文系科目は、いつもと言ってもいいほど試験では軒並み惨敗で赤点も2度3度と食らいました。でも人の親となると、それなりに興味を持って博物館の説明文をもまじめに読んだり聞いてみたりするものですね。しかし、せっかく読んでいるのに、今度は肝心の記憶がスパスパと抜けていくので、もったいないなぁと思いながら、何度も同じ説明文を読んでいました。いまいましい認知症……と歯ぎしりしました。

バージニア歴史博物館で見た中国の麻雀セット。慈善家で事業家のエバンス家から寄贈されたもので、その当時には珍しいものだったそう。
結局、心に残ったのは、バージニア歴史博物館で見た中国の麻雀セット。慈善家で事業家のエバンス家から寄贈されたもので、その当時には珍しいものだったそう。

一方で、例えばホテルでもエアポートでも私に代わり、テキパキとスマートフォンのアプリを使ってタクシーの手配をしたり、搭乗便の出発時間やゲートを確認したりしている息子の奮闘を見て、彼の成長に、ニタニタしながら満足していました。同時に、「ああ、この子にもっと、バイオテック(製薬業界)で全盛期だったころの自分を見せたかったな」という思いがこみ上げてきて、先を歩く息子の後ろ姿を見ながら、頭のてっぺんあたりを何度もかきむしっている私がいました。

そして旅の5日目。私たちは帰路に着きました。行きと反対の経路で、まずはバージニアを出て、中継点のシカゴで1泊。初めての2人旅の終点が近づいてきて、寂しさ半分、旅が成功に終わりつつあることで、もしかしたらこれからも親子旅に行けるのではないかという、確信に近い思いが膨れ上がってくるのを止められませんでした。そうした中、旅の前半に家族全員が大好きだったBB-8 の旅行カバンをなくしたことを思い出し、私も息子も大切な友だちを失ったような感覚を頭の中から追い出すことに苦労しました。

翌朝、最後の踏ん張りで疲れた体に発破をかけ、シカゴ空港のエアラインのカウンターで大型の荷物をチェックインした瞬間、カウンターになじみのあるオレンジ色とホワイトの鮮やかな物体が私の視界に入ってきました。同時に息子が「ダディ!ダディ!BB-8 が帰ってきたよ!ダディ!」と叫んでいました。見ると、カウンターテーブルの前に、オレンジとホワイトのメカニカルなアイツがこちらを向いてちょこんと立っているではありませんか! あまりのうれしさと驚きの再会に、人目を顧みずに息子と2人で小躍りして大騒ぎしてしまいました。
後に妻から聞いたことによると、息子から BB-8 行方不明の一報を受けた妻が、シカゴ空港のエアラインとセキュリティーに写真つきで連絡を取り、追跡調査を依頼したそうです。どうやら往路のサンフランシスコからシカゴ行きの便で、すでに機内に置き忘れていたようで、連絡を受けたエアラインの担当が、私たちがサンフランシスコに帰る便を確認し、私たちが到着するより先にBB-8がチェックインしてカウンターで”再会“できるように手配してくれていたようです。詳細を知らない私たちは、まるで BB-8 が自分で戻ってきたように感じて、それまで以上に彼に(?)愛情が深まった気がしました。もちろん、真の立役者であった妻にも……。
その後、すっかり安堵(あんど)して元気を取り戻した私は、意気揚々とセキュリティーを通り抜けようとしたところで、今度はセキュリティー検査のために脱いだ靴を履き忘れたまま歩き出し、セキュリティー担当者に大声で呼び止められてしまいました。先に進んでいた息子からも、両手を腰に当てて「ダディ!!」ととがめられて大笑い。そして、気を取り直して出発ゲートに向かいました。

おかえり!!!BB-8
おかえり!!!BB-8

夜の11時半過ぎ、サンフランシスコ空港からタクシーでサンノゼの自宅に戻ってきた時には、頭も体も疲労困憊(こんばい)、さっとシャワーを浴びるやいなや、倒れこむようにベッドに横になりました。恐らくその数十秒後には意識がなかったと思います。
でも旅の記憶は自分にも息子にも深く心に刻まれました。息子は今回の旅で自分の役割を果たせたことが大きな自信になったようで、次も私と2人で行くと張り切っているようです。しかし、私も簡単に主導権を渡すわけにはいきません。いつかは来る親離れに寂しさもありますが、目標は、「ティーンエージャーの息子が喜んで私たち(親)と旅行に出かける家族」です。むやみに病気のせいと諦めず、他にどんな素晴らしい旅行先があるか議論しながら、これからも、さまざまな土地に家族一緒に飛び込んで、独特な風景を感じ、文化や歴史に触れたりしながら、ご当地のおいしい料理を楽しみたいと思っています。

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