心の破綻を起こしやすい、介護家族のタイプとは 認知症と生きるには52
大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、大切なひとが認知症になったことを潜在的に拒否し、気づかないうちに体調変化をきたしてしまう介護者についてのお話です。
家族の認知症、認めたくない
誰にも生じる心理反応ですが、認知症の診断を受けても「聞きたくない」「聞かなかったことにしたい」と家族は思いがちです。しかし、そこで「そんな介護家族はダメな介護者」だと思わないでください。大切な家族に起きた重大な病気は、無意識のうちに「なかったこと」にしたくなるものです。いわば潜在的な拒否の気持ちと言えるでしょう。そのような気持ちを自分が持っているかもしれないと自覚するか、それとも、自覚することなく介護を続けるか、どちらの道を行くかで、その後の結果には大きな差が出ます。
介護者が潜在的な拒否の気持ちを抱き、そこから生じる自分へのストレスによって、負担が過剰になると出てくる病気に「心身症」があります。気づかないうちに体調変化をきたす介護者は多く、変化の兆しに気づくことが大切です。
話を診断の場面に戻しましょう。本人の病気が「○○型認知症」であることを理解し、できること、できなくなることを判断・理解すれば、家族のこころの負担が軽くなります。「病気の影響かもしれないな」と思えるからです。目の前の事実をしっかりと知ることで、介護家族が、当事者のできたことにしか目を向けず、できないことから目をそらすようになることを避けることができれば、対応の選択肢も広がります。
介護家族の体が悲鳴
がんばり屋の家族は認知症の当事者に「できるかどうか」確認しがちです。決して当事者に厳しく冷たいという訳ではないのですが、「この人、怠けているだけで、何もしないとできなくなる」と言いながら、叱咤(しった)激励している家族も少なくありません。
激励され続ける当事者も負担になるでしょうが、このような介護者の場合に多いのが、介護者自身にもストレスがかかっていて大きな負担になっているにもかかわらず、「負担」であることを感じなく頑張り続けて、こころや体が破綻(はたん)することです。先にも述べた「心身症」がそれです。
介護家族は自分にかかった過剰なストレスを感じにくい傾向があります。これを「失(しつ)感情」といいます。ある時点まで何の問題もないように見えた介護が突然破綻し、介護者の体が変調をきたすことさえあります。
介護者の突然のパニック発作、過呼吸、胃炎や膵炎(すいえん)、高血圧や不整脈など、介護する人は常に「体がこころに代わって訴えていないか」気を付けて日々を送ることが大切です。
差別感情との闘い
いざ、家族が認知症と診断されると、家族には「そんなことあり得ない」と思う気持ちが出てきます。「まさか、そのようなことは『うちの家族に限って』あり得ない」などと、認知症に対する否定的な感情がある場合、その事実を受け入れるには勇気が必要です。認知症という病気が持つスティグマ(病名の烙印(らくいん)を押されたことによる傷、負のイメージ)を払拭(ふっしょく)するには介護者自身の中にある差別感情との闘いが必要です。
今でも「認知症」と診断されることで、たくさんの当事者や家族が「負い目」を感じています。国は認知症になっても安心して暮らせる世の中を目指していますが、現実はまだまだです。
たとえば「父が認知症で近所のみなさんに迷惑をかけて申し訳ない」と引け目に思っている人も多く、この感情とどのように対抗するかが大切だと私は思っています。「何とかなるだろう」と、開き直るのではなく、介護する家族がしっかりと自分の中にある否定的な感情を自覚しながら、そして他者の支援を受けられれば、家族も当事者も安定した日々を過ごすことにつながります。介護では常に「自分は介護者として認知症をマイナスイメージでとらえ、あきらめていないか」考えましょう。
それでは改めて今回のアドバイスを整理してみます。▽認知症を否定しようとする無意識の働きがないかをいつも自問自答してみる▽介護している人が体調変化を無視せずに気を付ける▽認知症のマイナスイメージに振り回されていないか常に考える——ことが大切です。
認知症は診断されることが「絶望」ではありません。家族にとってもそれは同じです。いま一度、こころに留めてください。認知症はなったらおしまいではなく、なってからが勝負ですから。
※このコラムは2019年8月16日に、アピタルに初出掲載されました