認知症とともにあるウェブメディア

バイオテック侍のシリコンバレー日記

認知症の母と私、そして息子 分かち合った時間 つながった家族愛

約30年前、米国・サンフランシスコ近辺の大学院に留学していた時、ゴールデンゲートブリッジで母と撮った写真
約30年前、米国・サンフランシスコ近辺の大学院に留学していた時、ゴールデンゲートブリッジで母と撮った写真

“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(55)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。

前回に続き、2022年末に日本へ一時帰国したときのことについて記します。
帰国中の大きなプロジェクトの一つは、シニアホームで生活する母親を訪問することでした。母はアルツハイマー型認知症を発症して10年になります。90代半ばの年齢を鑑みると、いつ何時にどんなことが起こるかもわからない。だからこそ、たった一人の孫に会わせてやらなければいけない。そんな焦燥感が、帰国できなかった4年間に募っていました。
今回、ようやく母が生活する施設を訪問することができました。いまだに新型コロナウイルスへの感染を懸念して、面会は建物屋上の吹きさらしの空間。そこに姉と私たち家族が集まって、コロナ前と同じ距離感で 約20分程、面会時間を持つことができました。
どうみても、母は自分たちのことを誰だか分かっているとは思えない。不安だからか、あまり目を合わせてくれることもない。 少し話しだしても要領を得ない、と言うよりむしろ何を話しているかよくわかりませんでした。でも、それでも良かった。息子を含めて私たち全員が、母と同じ空気を吸い、同じ光を浴びながら、同じ時間を分かち合えました。かけがえのない時間だったと思います。

年の瀬のアメ横も訪ねました。生きたまま売られるドジョウに興味津々の息子
年の瀬のアメ横も訪ねました。生きたまま売られるドジョウに興味津々の息子

会う前は、実際に母に会わせても、息子はどうしていいのかわからないかもしれないと懸念していました。ところが、まず、私が母と二言三言話したあとに、振り向いて息子の方を見るや否や、息子は待っていましたとばかりに”ばあば”のところに飛んで行き、ぎゅっと母を抱きしめたのでした。決してほんの一瞬ではなかったその温かい時間のあと、無表情に近かった母の目に光るものが見えたようでした。物心がついてからも、たった一人の存命の祖母に会う機会をコロナに奪い続けられていた息子が、次にいつ会えるかもわからない中で見せた家族愛。しびれました。
加えて、母は体としては 健康そうに見え、あと何回かは 会えるかもしれないという 期待も感じられました。それ以上に何を望むことができるでしょうか。 付き合ってくれた姉や家族、日頃母を世話してくださり、こうして面会の場も準備してくださった施設の皆様に、心から感謝しながら、母の施設を後にしたのでした。

前回のコラムで、映画「ダイ・ハード」シリーズで知られる米国の俳優・ブルース・ウィリスさんが前頭側頭型認知症と診断されたニュースについて触れました。それ以外にも、何年か前から、深刻な病気にかかったハリウッド俳優や、その家族による病名公表のニュースをよく聞くようになりました。有名なところでは、不治の難病であるパーキンソン病を公表したマイケル・J・フォックス。発症から7年たった1998年に公表に踏み切り、その後、パーキンソン病根治を目指した非営利の財団を設立して活動を続けています。こうした活動の主な目的は、本人たちが罹患(りかん)した特定の病気の存在を世間に広く知らせること。それによって治療法確立のための研究支援や資金調達をスムーズにすることや、当事者としての気持ちや戸惑いを代弁することも含んでいます。何よりも、知名度の高い彼らヒーローやヒロインの勇敢な活動は、死の淵にいると感じがちな当事者や家族に強いメッセージとして届き、更にうねりを巻いて病気への理解が社会に広がることにつながりました。

ハリウッド俳優と違い、私は特別な能力のある人間でもありませんので、家族に変な偏見が及ばないなら、特に病気を隠したいと思う必要もありません。今思うことは、かつてバイオテック(製薬)企業に勤めていた者として、先進の医療機関と協力し、アルツハイマー病に対する画期的な治療方法の開発に少しでも貢献することです。すでに周囲の皆さんの強い協力を得て、米国のスタンフォード大学病院の予防学リサーチ(研究)へ当事者としての参加を開始しています。それが家族のこの病への不安を下げるだけではなく、将来、息子の家族をも守る力になれるかもしれないと考えると、体中に勇気が湧いています。いつの日か認知症やアルツハイマー病が、もう怖くもなんともない時代となり、あのダイハードマンが映画の中で使った有名なセリフ “Yippee-Ki-Yay”(ざまーみやがれ!)を自分も言い放つことを夢見て、私も挑戦を続けていきたいと思っています。
“お手向かい致しますぞ、アルツハイマー殿”の心意気です。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について

認知症とともにあるウェブメディア