高齢者体験で痛感した母の教え 背筋をのばして向き合う永遠のテーマ
タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。今回、疑似的に高齢者の気持ちを体感したコマタエさん。母への介護と永遠のテーマを振り返るきっかけになりました。
高齢者疑似体験
「他人(ひと)の気持ちのわかる子になりなさい」
子どもの頃、母からよく、そう言われていました。
小学3年生くらいだったでしょうか。放課後の掃除の時間、私が割り当てられた清掃を終えて掃除用具を片付けたところに、たまたま用事があって学校に来ていた母がクラスを覗きに来ました。辺りを一瞥した途端、「あんた、何してんの?」。
「掃除、終わったところ」と答えると、呆れかえって開いた口が塞がらないといった様子で、「何言ってんの? 他の子まだやってるでしょう? 自分が終わったからって、手伝わへんの? 信じられへんわ!」と、たたみかけられました。何かやれることはないか、誰か困っていないか、目を配ることなくボーッとしているなど母には考えられないことで、我が子が気が利かない“ぼんくら”であることに相当ショックを受けたのでしょう。「この子、信じられへん!!」と、ずーっと言われ続け、父に報告、祖母にも電話をし、嘆き、それからしばらくの間、私は軽蔑され続けました。
先日、「高齢者疑似体験」をする機会がありました。日常生活動作を擬似的に体験することにより、高齢者の視点に立って思考することを目的として実施するものです。
視野を狭くした黄色いレンズのゴーグルをつけて白内障の症状を疑似体験したり、膝や肘に錘(おもり)をつけて関節の可動域を狭めたり、胸に錘をつけて前かがみの姿勢になり、足首に錘を巻きつけて足が上がらないようにしたり。加齢に伴う筋力の低下、体の変化を体感しました。
専用のゴーグルやヘッドホンを装着し、認知症の空間失認をVRで体験するという装置もありました。
映像は、ビルの2、3階の高さに立っている場面から始まります。左右両方から別々の声で「大丈夫ですよ」と声をかけられ、足を一歩前に出すように促されるのですが、それが、まるで手すりのない屋上で、車が往来している階下の道路へ飛び降りろと言われているような感覚なのです。恐怖そのもの。足がすくんでしまい、一歩も足を動かせませんでした。
これは、空間の距離感がうまく認識できない視空間失認という症状が出ているかたが、車から降りる際の段差が「まるでビルの屋上のような高さに感じて怖かった」と証言されたことをもとに、そのかたの感覚を理解しようと作られたVR映像。実際は30~40センチほどの段差なので、介助する側は「大丈夫ですか?」と声をかけるのですが、ご本人としては飛び降りるような感覚なので大丈夫な訳がない。かたくなに拒否するわけです。
私は、母をはじめ、高齢のかたの身体の不自由な動きを想像して、声掛けや介助を行ってきたつもりでした。しかし、疑似体験してみると、想像をはるかに超える恐怖やもどかしさを感じました。と同時に、大きなショックを受けました。私のこれまでの行動は、寄り添えていたのか、と。
母と一緒にいるとき、ついつい「電車の乗り換えの時間が迫っている」とせかしていました。物事を億劫に感じていることに対しても、何とか自力で遂行させようと、はっぱをかけたりしていました。応援する意図でかけていた言葉でしたが、幾度となく我慢や無理をさせていたんじゃないか。過去の様々な場面が思い浮かび、胸がチクチク痛みました。
そして、不意に思い出したのが、母の言葉。
「他人の気持ちのわかる子になりなさい」
ああ。私はずっと至らないままだ……。
随分と大人になったけれど、「人の気持ちのわかる人になる」は、永遠のテーマです。自分にガッカリしたけれど、落ち込んでいる場合ではない。しっかり反省し、今からでも遅くない、とも思い直し、背筋を伸ばしました。