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バイオテック侍のシリコンバレー日記

米国で若年性認知症と診断 アルツハイマーウォークイベントに初めて参加

シリコンバレーのサンノゼで開催されたウォークイベント(米国アルツハイマー協会主催)の開会式
シリコンバレーのサンノゼで開催されたウォークイベント(米国アルツハイマー協会主催)の開会式

日本の国立大学の研究所での勤務の後、米国のバイオテック(製薬)企業への転職を機に2001年に渡米した木下大成さん(55)。以来、“侍”として米国社会に挑む心意気でがん研究を中心に新薬開発に努めてきました。現在は、カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子とともに暮らしています。20年にはベンチャー企業のVP(本部長)に就任しましたが、以前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、思うように働けなくなりました。22年春に病院を受診し、検査などを経て同年10月4日、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。それから10日余り後、米国のアルツハイマー協会が主催するウォークイベントに初めて参加しました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、当時の写真を見て思い出しながらイベントについてつづります。

当日(2022年10月15日)の天気は、時々晴れ間も見えましたが、おおむね曇り空で気温はやや肌寒く、長いウォーキングにはちょうどいいぐらい。病気や天候に負けず、思い思いの服装や飾りつけで駆け付けた参加者や支援者の方々が、サンノゼにあるサンフランシスコ・ジャイアンツの2軍の球場にたくさん集まってきていました。既に走る気まんまんで、ストレッチやもも上げの運動で体を温めている人も散見されました。
私はというと、昔からの悪い癖で、開会式とか閉会式にはあまり興味がなく、スタートはどこかなとか、どの人たちが病気の当事者で、どの人が付き添いの人たちなのかなといったことをぼんやりと考えていました。ただ、やるのはやると決めていたので、スタートの時間が近づくにつれ、心境としては無心のような状態。出発ゲートの位置を確認した以外は、下を向いて運動靴のつま先部分を見つめたまま、スタートの合図を待っていました。

主催者のあいさつやスポンサーの紹介などが済むと、スタートを待ちきれない人々が、誰よりも早いスタートダッシュを決めてやろうと、じわじわと球場の一角にあるスタート地点に向かい始めました。競争が何よりも大好きなウチの息子の姿も見えました。そして、ついにゲートが開いてスタート! 多くの人たちが飛び出して行きました。息子の姿もあっという間に遠ざかり、やがて見えなくなりました。ウチの息子は、遺伝子的には完全に日本人ですが、いざ競争ということになると、いつでもどこでも勝ちたい人、ですから、これはいつものこと。一緒に参加した妻が寄ってきて「うちの子は?」と聞いてきたので、先頭グループの方を指さし、「あの辺」と言ったら、それが何を意味するのか、即座にわかったようで私たちも必死で早歩き。そしてこれもいつも通り、数分後にはだんだん疲れてきて、前を行くグループの後ろの方に一時的にくっついて歩いている息子が見えてきました。

その後は、ある程度は一定のペースに乗って、さほど遅れずについていけました。日頃の運動不足がたたって、すでに足がピリピリし始めました。他方、普段から歩き慣れている他の参加者の方々はスキップでもしているような足取り。油断していると、また“体力爆弾”の息子にも距離を離されてしまうので、妻と2人で少し急がねばと思って、やや早足に切り替えて、後半に臨みました。

無料で提供された水は、なんと!火葬場からの提供
無料で提供された水は、なんと!火葬場からの提供

興味深かったのが、イベントスポンサーから手渡された自然水のボトルです。「Thank you!」と何の気なしに受け取ったボトルにプリントされていたスポンサーの主要業務を見ると、なんと火葬屋‼。高齢者もたくさん参加しているイベントなのに…。日本だったら、非常識!とSNSなど に写真入りで投稿されて、あっという間に謝罪→業務停止にまでも追い込まれそう、などと考えました。そして、さすがアメリカ!と苦笑いしてしまいました。

胸を張ってみんなで約2.5マイルを歩きました
胸を張ってみんなで約2.5マイルを歩きました

さらに参加者ランナーの一行の行脚は続き、一度、公園の敷地を出てフェンス沿いに続く一般道をひたすら歩き続けます。そこは、サンノゼ国際空港の滑走路の敷地に並行して面し、交通量もそこそこ多い、長い一本道。私たちウォーカーは、交通量の割には意外と狭い歩道を歩き続けます。しかし道が狭い分、そこを走る車は、一様にスピードを落とし気味に私たちの横を通過し、イベントの旗とTシャツのロゴを見るやいなや、クラクションを鳴らしたり、窓やサンルーフから顔を出してシュプレヒコールを上げてくれたりしました。私たちを含む多くの参加者たちも、大声を張り上げ、“ガーデンフラワー”(注)を振り回して応援に応えました。車中の人たちとハイタッチを交わしている人も。そこには、認知症という不治の病を持つ患者の暗い影はありません。皆の表情は、達成感と満足感にあふれ、笑顔ばかりでした。

(注)ガーデンフラワー:米国アルツハイマー協会が全国各地で行っているウォークイベントで参加者が手に持って歩く花の形をしたプラカード。青は当事者、黄色は支援者。オレンジはサポート団体や賛同者、紫はアルツハイマー型認知症で誰かを亡くした人を表します。

歩き終わった後に息子と記念写真

そして、ついにゴールであった出発地点のサンノゼ球場に戻るころには、疲れが出てきました。それでも球場に入ると、その日まで会ったこともなかった者同士が、大きな笑顔で抱き合ったり、いたるところで最後のハイタッチを交わしたりしていました。
私自身もアルツハイマー協会のイベントに初めて家族と共に参加しましたが、充実した一日に、心も体もすっきりとしました。主催者の皆さん、参加者の皆さん、裏方の皆さん、ありがとうございました!

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