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今日は晴天、ぼけ日和

ときにいら立ちを見せる認知症の母 「症状」では割り切れない娘の思い

《介護士でマンガ家の、高橋恵子さんの絵とことば。じんわり、あなたの心を温めます。》

向かい合うふたり

認知症が進行した母は、
時々、私にいら立ちをぶつける。

でも仕方がない。

だってこれは症状のせいって、
お医者さんも介護士さんも
毎回言っているもの。

だから、私が傷つく必要なんてない。

胸に手を当てるひと

でも、そんなに
わりきれる人なんて
本当にいるの?

症状が進んだことで、
隠れていた母の本心が
表れているんじゃないの?

そんな素人考えをしてしまう私は、
認知症を理解できていない、
未熟な介護者なんだろうか。

娘の首にマフラーを巻くひと

「首もとは、冷やしちゃだめよ」

こんな今にも、急に昔の母が表れる。
——ちがう、昔じゃない。
これもやっぱり、今の母。

私は今日も揺れながら、
母の人生のしめくくりの時に
誰よりもそばにいる。

「その言動は、認知症のせいなんですよ」
「症状だと思って、軽く流しましょう」

そんなふうに、
第三者からなだめるように諭されて、 

うなずきながらも、歯がゆさから涙を流された、
ある介護者さんの顔を、私は忘れられません。

わかってはいるけど、わりきれない。

その心の動きは、
人として当然ではないでしょうか。

頭で理解することと、
感情が受け入れることは、
全く別のもの。

多くの人たちが受け入れられないからこそ、
書店には、介護者のために書かれた、
認知症を取り上げた本が、あふれているのかもしれません。

けれど、そうした本の中で、
「症状」という言葉を見つけるたびに、
大切な人が、「患者」という別の存在になってしまうようで、
胸が締め付けられます。

介護者にとってそれは、酷な話ではないか、と思わずにはいられません。

認知症になったとしても、共にわかちあう時間は、
人生を温め、深めあいます。
互いの歴史が重なりあう家族なら、なおさらです。

冷静で、完璧にこなすことができる介護者ってどんな人なんでしょうか?
そんな人、実際にいるんでしょうか? 

最後のときを、
共に揺れながら分かち合おうとする、その人こそ、

誰かひとりの、かけがえがない介護者だと思うのです。

《高橋恵子さんの体験をもとにした作品ですが、個人情報への配慮から、登場人物の名前などは変えてあります。》

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