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上野千鶴子×小島美里対談(後編)~どういう最期を迎えたいか

小島美里・NPO法人「暮らしネット・えん」代表理事(左)と社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授=埼玉県新座市の「グループリビングえんの森」
小島美里・NPO法人「暮らしネット・えん」代表理事(左)と社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授=埼玉県新座市の「グループリビングえんの森」

ベストセラー「おひとりさまの老後」や「在宅ひとり死のススメ」の著書がある社会学者の上野千鶴子・東大名誉教授と、約20年にわたり介護サービスを運営し、「あなたはどこで死にたいですか?」を出版した小島美里・NPO法人「暮らしネット・えん」代表理事による対談の最終回です。74歳の上野さんと70歳の小島さんが、それぞれの老後、そして介護保険、社会保障制度の今後について対話します。

対談に際しては、上野さんから3つの問いが投げかけられました。
1つ目は、在宅ひとり死は可能か。
そのためにはどういう条件があればいいか。→前編
2つ目は、認知症でも在宅ひとり死は可能か。→中編
3つ目は、小島さん自身はどういう最期を迎えたいか。→今回

上野 それでは、小島さんご自身の老後はどうなさいますか?

小島 私も今は、1人です。ですから、将来的には、グループホームに入ることもありかなと思っています。たぶん認知症になるでしょうから。

上野 これまで医療や介護の専門職に「認知症で独居の在宅看取(みと)りはできますか?」と質問したときに、かなりの専門職の答えは「やっぱり最期は高齢者施設かグループホームですね」でした。サービス付き高齢者住宅(サ高住)とはおっしゃいませんね。

小島 私も「サ高住は中途半端だ」ということは、伝えていかなければと思っています。サ高住は、元気な状態で入居したときは良いのですが、認知症になり、周りの人たちを夜中たたき起こしてしまうような状態になったときには、そこに居続けられなくなることがあります。私も高齢者共同生活運営住宅「グループリビングえんの森」というものを運営していますが、入居されるかたには、認知症が進行したときには「グループホームへ移ることも検討されますか?」と最初に尋ねておくことにしています。

上野 サ高住がこれだけ増えた理由は、(設置に多大な予算が必要になる)特別養護老人ホームなどの高齢者施設を増やさない。その代替となる選択肢としてサ高住を作るという、厚労省と国交省の“陰謀”じゃないでしょうか。

小島 あれは、“陰謀”ですね。大失策ですが。

上野 淘汰(とうた)されていくのは当然だと思います。質の悪い事業者が退出していく仕組みが必要です。淘汰というのは、消費者、つまりユーザーがちゃんと質で選ぶときに起きるわけですが、日本のシルバーマーケットは、良貨が悪貨を駆逐するというふうになってきませんでした。実際には、逆のことしか起きてこなかった。どうしてかというと、サービスのユーザーと購買者が違うからです。これまでは、
介護サービスの受益者(利用者)は高齢者ですが、そのお金を払うのは家族ということが多かった。でも、団塊世代が高齢者になると、受益者と購買者が一致するように変わっていくだろうと期待しています。ですので、今はあれができない、これができないというネガティブモデルよりも、あれもこれもかつてはできなかったことができるようになったというポジティブモデルを提示する時期だと思っています。

小島 私も今は事業者サイドから介護サービスに関わっていますが、いずれユーザーになるわけですよね。だから私は、これまで自分たちが頑張って作ってきた介護保険制度について、レベルが落ちていって欲しくないなと思っています。我々が育ててきた介護職員たちが、ちゃんと次の人を育てられるようになって欲しい。それはもう本気で思います。

ヘルパー消滅の危機

つなぎあう手
Getty images

上野 けれど、その介護保険が、どんどん使い勝手が悪くなっていっています。それに、制度が複雑になりすぎています。〇〇加算が次々と作られて、利用者にはわかりにくくなりました。

小島 確かに、ご本人にも「元々、この加算が付きます」「要介護度が上がったから、この加算は付かなくなります」といったことを説明しますが、わからないですよね。本人にも分かる制度をしないとまずいですよね。
あと、私は今年、「ホームヘルパー消滅の危機」っていうタイトルで新聞に寄稿したことがあるのですが、それを読んだ人からツイッターなどで「そんなことになっているんだ」という驚きの声があがったのですよ。私たち介護に関わる者の間では、随分前からホームヘルパーが消滅の危機にあるということは言われてきていたのですが、世の中の人には伝わっていなかったのですね。みなさん、将来もこれまで通りにヘルパーさんが来てくれるものだと思って、老いたときの生活をイメージしていらっしゃる。でも、そのようにできなくなったらどうするのでしょうか。
私のところのヘルパーさんには、60代、70代がいっぱいいます。70代の人に「辞めたい」と言われても、拝み倒して引き留めているような状況です。そんな現状が、介護業界からきちんと発信されていない。だから、私は「ヘルパーさんがいなくなるよ」ということは強く言わせてもらいます。

上野 ヘルパーがいなくなる原因は、はっきりしています。介護保険の報酬単価の設定が低すぎることに根本的な理由があります。それでは、ヘルパーの待遇改善は、どのくらいがのぞましいかと現場の方たちにヒヤリングしたら、要求はつつましいものでした。月額平均で25万から35万あれば続けられるとおっしゃいます。それだけの額も出せないのかと思います。
看護師という職業は、女性の専門職として確立しました。夜勤込みであっても、志望者は増えていて、看護学校や大学の看護学部など様々な教育機関が増えましたが、定員割れはしていません。看護職の志望者が確保できるのだったら、介護職も賃金水準を看護職並みにすれば、志望者は増えるに決まっています。国にその気がないだけです。労働条件を現状のように抑制したまま、外国人に来てもらおうという話もありますが、コミュニケーションや文化ギャップなど課題は多いです。介護の人手不足の解消のためには介護職の労働条件を上げる以外に解はないのです。それなのに、介護職の賃金を上げられないのは、介護という仕事を、女性なら誰でもできるタダ働きだと考える思考から脱却できていないからだと思います。議論を詰めていったら、そこにしか答えが行き着かないのです。

小島 ヘルパーという職業がなくなっていくと、どういうことになるかというと、例えば、独居で亡くなった高齢の利用者さんの場合、親族を探し出してもたいては遠縁で、かかわってもらうことは期待できません。一方で、ヘルパーたちが、人生最期に、親身になって介護して、亡くなられると涙を流して惜しむ。介護職は医療職より利用者さんとの距離が近いということもあります。こういう在宅介護職は超高齢社会になくてはならない存在だと思うのです。

上野 それを支えているのが介護保険制度なんです。この制度をつくってほんとうによかったのです。だからこそ、制度を守り抜かなければいけないのですよ。

小島 守っていかなければ、私たちはどうするのですか。介護事業者の私だって、いずれあと10年もすればユーザーになるわけですから、それは、はっきりしていることですからね。

介護の仕事を好きなまま続けられるようにするためには

「介護職は、いい顔をしている」と話す小島美里さん
「介護職は、いい顔をしている」と話す小島美里さん

上野 最近、介護関係者に「介護って本当はとっても楽しい仕事だったのに、だんだん、そう思えなくなってきた」と言われたことがありました。つらいですね。

小島 良い仕事に就いたと思って介護の仕事を始めた若い職員の、その気持ちを維持してあげられないというのは、つらいことですよね。

上野 私も介護現場を見てきて、若い人たちは介護の仕事を好きなんだと思いました。

小島 いい顔をしているでしょ。いい介護職っていうのはね、本当にいい人たちです。

上野 友人に「上野さんが介護保険という制度を信頼していられるのは、いい人たちに会ってきたからだね」と指摘されたことがありました。制度を支えるのは人ですから、こういう人たちがいる間は、日本の介護保険制度は大丈夫だと思えるのですよ。本当に介護業界の人たちは優しくていい人たちです。

小島 本当に優しくて、忍耐強いし、徹底的に相手の立場に立って考えようとするし、その気持ちは尊いと思います。この人たちを守るために、私はこの二十数年働いてきたのだと思っています。この人たちが、介護の仕事を好きなまま続けていられるようにしていかなければいけないと思っています。

上野 介護保険制度を維持していくためには、世代要因を考えておく必要もあります。今の要介護高齢者世代の中には、生活保護受給者がかなりいます。農家や自営業者だった方々が、低年金に陥りがちで、困窮した老後を迎えています。ただ、その後の団塊世代は、雇用者比率と婚姻率が高く、資産形成もしているので、厚生年金受給者ですからなんとかなるでしょう。
けれど、その次の世代、つまり団塊ジュニア世代が大問題ですね。まず婚姻率が下がっている上に婚姻の安定性も下がっています。非正規雇用者もとても多い。男性でも非正規雇用者が増えています。それが全部、将来の年金に跳ね返ってきます。介護保険制度が負担増になっても、購買力(経済力)さえあれば問題ありませんが、団塊ジュニア世代では購買力がありません。そのことに当事者の団塊ジュニア世代の人たちがあまり危機感を感じていないように思えます。
介護保険制度が後退していった場合、団塊世代は婚姻率が高く、子どももいるので、子どもたちに面倒をみてもらうこともできます。そうなれば、その子世代である団塊ジュニア世代にしわ寄せがいきます。この介護保険制度の改悪を放置しておくと、後々、団塊ジュニア世代の負担が増すことになるのです。それを団塊ジュニア世代にわかってもらわないと。

小島 よく団塊ジュニア世代の人は介護保険に関して「高齢者ばっかり優先して」と言いますが、介護保険がしっかりしていないと、子世代の団塊ジュニア世代の人々が高齢者の面倒をみることにならざるを得ないのですよね。今日は「在宅ひとり死は可能か?」というテーマで、在宅と施設のどちらを選ぶのか、どちらを大事にしたいのかということを話し合ってきました。けれど、きちんと収入が確保されなければ、金銭的な面から高齢者施設に入ることも難しくなる。結局、在宅しか選べなくなる。そこの問題が一番大きいと思います。在宅か、施設かを選べるというのは、ある意味、お気楽な話なのです。

上野 その批判は、在宅推進派の私にもきます。「在宅」という名の「放置」は深刻な問題です。

「なんでもあり」の老後 最期まで生き切る

「介護保険制度を守っていくために一緒に闘いましょう」と話す上野千鶴子さん
「介護保険制度を守っていくために一緒に闘いましょう」と話す上野千鶴子さん

小島 まずは、介護保険サービスをきちんと維持して、誰に対しても、もちろん在宅であってもサービスを十分に提供できるような態勢をつくっておく必要がありますね。

上野 あとは、やはり高齢者の購買力ですよね。そもそも介護保険制度ができた時に、税方式か、保険方式かが大きな議論となりました。私は結果論として保険方式にして良かったと思っています。日本人にそれまでなかった、(公的なサービスに対する)権利意識が生まれたからです。けれど、制度ができた当初から、貧困層をどうするのかという問題が指摘されたまま、今まできてしまったことになりますね。

小島 介護保険制度ができた功は大いにあると思っています。けれど、制度ができてから約20年の間にあちこちほころびがかけています。まずは貧困層の問題も含めて介護保険制度を立て直す。少なくとも負担ばかり増やしてサービスが利用できないようなことにしてはいけません。

上野 以前、障害者自立生活運動のリーダー、中西正司さん(ヒューマンケア協会代表)とともに、必要な人に必要な時、必要なだけ、年齢を問わず、サービスを提供するための「ユニバーサル社会サービス法」のアイデアを出したことがあります。こういった視点は、これからの制度を考える際に重要でしょう。
介護の研究を進めていく中で、私自身は「なんでもあり」と思うようになりました。高齢期には、何があるかわからない。私もジタバタするかもしれませんし、もしかしたら、「在宅ひとり死のススメ」も翻すかもしれません。それでもいい。最期まで生き切ることができればいい。それを支えるのが制度です。その介護保険制度を守っていくためにご一緒に闘いましょう。

上野千鶴子(うえの・ちづこ)
1948年、富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、指導的な理論家のひとりとして活躍する。高齢者の介護とケアも研究テーマとして取り組む。「近代家族の成立と終焉」(岩波書店)など著書多数。
最新刊に「最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく」(中央公論新社)がある。
小島美里(こじま・みさと)
1952年、長野県生まれ。1990年ごろ全身性障がい者の介助ボランティアグループを結成したのをきかっけに、介護事業に関わるようになる。2003年、NPO法人「暮らしネット・えん」設立。代表理事を務める。訪問介護、居宅介護支援、小規模多機能型介護、グループホームなどの介護保険事業や障害者支援事業を中心に、高齢者グループリビング、認知症カフェなど様々な事業を運営する。

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