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介護職の「燃えつき」を防ぐために 周囲に助けを求めて~認知症と生きるには38

「帰れ、いらんいらん」関われなくても・・・「様子教えて」「気にかけてみますね」「何かあったらすぐ知らせます」『ひとりじゃない』

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、介護職の「燃えつき」を防ぐにはどうすれば良いか考えます。(前回はこちら

認知症をケアする仕事に就く人たちは、自分のことも大切である一方で人のために人生をささげようとする善意の人びとです。しかし時にはその「他者のために」という思いが自分を大切にすることに勝ってしまい、自分を苦しめていることがあります。今回は、本来なら介護してもらうべき人自身が、介護を受けることを拒んでしまう「セルフネグレクト」を担当したケアマネジャーのお話です。

ケアマネジャーになって4年目になる29歳の高梨瑞穂さん(仮名、女性)は社会福祉士の資格も持っています。人々の福祉のために勉強して、社会福祉とは何かを学んだあとにケアマネジャーとして介護現場を支えたいという彼女の気持ちは、これまでに多くの人々を救ってきました。彼女はケースワーク、ソーシャルワークという目の前の人が求める生活を支えるための社会制度や仕組みに詳しかったからです。

そんな彼女が周囲の人びとも困り果てているAさん(79歳、男性)の担当をすることになりました。4年前に妻が存命だったころ、妻の誘いで、Aさんは自分の介護保険の申請をして「要介護1」と認定されました。その時に初期のアルツハイマー型認知症であることもわかりましたが、まだ軽い段階でしたので、特に専門的な医療を受けることなく時間が経過しました。

かかりつけ医の協力もあって、その後も「要介護1」と認定され続けましたが、Aさんは10カ月ほど前から外部との関係を一切取らなくなってしまいました。深夜、一人で24時間開いている地元のスーパーマーケットに出かけて、それなりの食物は買っているようでした。

しかし、高梨さんがAさんの家に行っても、地域包括支援センターの職員が訪問しても、対応する気配を見せません。高梨さんは困ってかかりつけ医に相談しましたが、「昨年秋に風邪をひいて一度来たきり、その後は受診もないので状況がわからない」と説明されました。

認知症初期集中チームに相談して、何度かAさんに接触しようと試みましたが、玄関先で追い返されるなど、拒否され続け、高梨さんは頭を抱えてしまいました。医療情報もなく福祉や介護もかかわることができない状況に陥りました。

助けを求めて周囲を巻き込むのが最善の策

このような経験をしたケアマネジャーや介護職は少なくないのではないでしょうか。こんな場合に「自分がやらなくてどうする」「私しか彼のケアマネジャーはいない」と頑張り続けようとするところに大きな落とし穴があります。

もちろん、志をもって他人の支援をしようと専門職になった人たちですから、早々とあきらめるようなことはないでしょう。でも時間の経過とともに「何もしてあげられない」と自分を卑下するようなら、その次に待っているのは「燃えつき(バーンアウト)」です。

Aさんのような人はたくさんいます。周囲のみんなが「支援したい」と思っても、その人は自分がケアを受けなければならない対象だと思うことはなく「私はできているから大丈夫」と答えます。以前にタワーマンションにこもってしまう老夫婦のことを書きましたが、Aさんもそれと同じような認知症の独居者でした。

Aさんは高梨さんの支援の申し出に対しては、きっぱりと「必要ありません、自分でできています」と否定します。こんな場合、関わらせてもらえないなら「様子を見ましょう」として、その後は何もかかわろうとしないケアマネジャーもいます。しかし、高梨さんは周囲の介護職や福祉職に対して、「自分一人ではできない。助けてほしい」と周囲に協力を請う「力」を持っていました。周囲に頼ることが、自分にとっても相手にとっても最善の道であるという知恵を持っていたのです。

かかりつけ医に対しても「何カ月も来ていない人のことはわからないかもしれないけど、意見書を書いた先生として、私を助けてほしい」と呼びかけ、かかりつけ医もできる限りの協力をしてくれました。しかも、Aさんの介護や福祉に関係する人たちを集めてサービス担当者会議を持ってくれました。担当者会議をしても無理だと考える人も多いと思いますが、これこそケアマネジャーの「燃えつき」を防ぐために必要なことです。

おかげで高梨さんは「自分だけがAさんの様子を見ていなくて良い」という安心感に包まれました。関係者みんなで集まったからと言って問題がすぐに解消されるわけではないけれど、いっしょにAさんのことにかかわろうとしてくれる仲間がいると再認識できるだけで、大きく支援のイメージが変わることがあります。

「何もできない」と挫折感を感じていた高梨さんは、このようにAさんを取り巻くたくさんの人に「助けてほしい」というメッセージを出しました。その結果、みんなが負担を分け合いながら彼の状況を見守ることができるようになりました。

結果が出たのは数カ月後でした。ある朝、見守り担当のホームヘルパーさんが「どうせまたドアすら開けてもらえないのだろう」と思いながらAさんの自宅を訪れたとき、チャイムを鳴らすや否や、ドアの向こうから飛び出してくる彼がいました。「胸が苦しい、助けてくれ」と言いながら倒れ込むAさん、ホームヘルパーは高梨さんに連絡し、かかりつけ医にも情報が届きました。緊急入院での診断は急性心筋梗塞でした。

無事に一命をとりとめた彼は、これまでとは一転して療養型病院、ケア施設への入所を希望しました。見守ることは「今、ここでの結果」にはつながらなかったかもしれません。しかし、何かがあった場合の最善の策につながったのではないでしょうか。ケアマネジャーや介護職、地域包括支援センター、かかりつけ医のボランタリーな努力がこの結果につながったのです。

いつも見守りがうまくいくようなら、このAさんのようなうれしい結果につながります。

次回は、介護現場で起きている「人手不足」から悩むグループホーム職員について考えます。

※このコラムは2018年11月8日に、アピタルに初出掲載されました

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