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高齢の父と認知症のわたし:3

父の荷物を片付けのためにサービス付き高齢者向け住宅に向かう途中、他の利用者さんがあいさつをしてくれ、わたしにとっても好きなところとなりました
父の荷物を片付けるためにサービス付き高齢者向け住宅に向かう途中、他の利用者さんがあいさつをしてくれ、わたしにとっても好きなところとなりました

こんにちは、若年性認知症当事者のさとうみきです。
80歳を超えた父の引っ越しをめぐるお話の続きです。

我が家近くのマンションでひとり暮らしをしていた父がサービス付き高齢者向け住宅へ引っ越すことになりました。
引っ越し当日を迎え、わたしは、とにかく荷物がたくさんあり、
本当に引っ越し先のワンルームに収まるのかハラハラしていました。

新居に到着し、ベッドを組み立てると、案の定、足場がないほどの段ボールの山。
慌てて、荷ほどきをしながら、断捨離をスタート。
思わず、「えっ! こんなものまで、また、運んで……」
驚きの連続でしたが、そんな父の現状を受け止めつつ、
ひたすら父の寝る場所(ベッドの周囲)とリラックススペースを確保しなくては、と考えていました。
そんな想いから、必死に父に「いるのか」「いらないのか」を確認しながら、どんどんと仕分け作業を進めていきました。
夕食に近くなった時間には、7割くらいが片付きました。
また翌日に再開すると約束し、サービス付き高齢者向け住宅内にある食堂へと向かう父と別れました。

わたしは帰宅するころには、体はパンパンに張り、体力の限界を感じていました。
さらに、疲労に加えて、わたしの症状の進行の分かりにくさゆえの、
周囲の人に伝わりにくい、なんとも言えない思い……。
誰に対してなのかわからないイライラが募るばかりでした。
それでも、今度はわが家のことに切り替え、家事をこなしていきます。

父は自立しているとは言え、高齢ではあることから、
これまでは、日々、気にかけ、ご飯を届ける生活を送っていました。
自らが入りたいと選んだサービス付き高齢者向け住宅への入居は
わたしにとっても、少し安心感がありました。

引っ越し後、時折、様子を見に出かけると
明らかに、父の様子には変化が見られました。
あれほど、コロナ禍では、ひとに接して会話することに慎重になっていたのに、
外出して、趣味だった毎日の散歩にも出かけるようになりました。
職員の方が気にかけてくださることに対しても
「ありがたい、良くしてくれるよ!」
と、わたしに報告してくれました。
内心、ホッとすることが出来ました。

入居して2カ月が経つころには、コロナ感染者が全国的に減少しはじめました。
そうすると、よくひとりで沖縄など様々な場所へ旅行に行っていた父が、
ポツリと、「また旅行をしたい」と言い出したのです。

父はすぐさま、人生計画書をわたしに見せてくれました。
こと細かく計画は練られていました。
このままサービス付き高齢者向け住宅に住み続けていると、
趣味の旅行費が捻出できるかどうか心配だと言うのです。

まさかの今たった2カ月でのさらなる引っ越し!!!
わたしに「ごめんなぁ」と、繰り返す父。

もし、わたしが認知症と診断を受けていなかったとしたら、
「もー、また?」そう言って怒ってしまっていたかも知れません。
しかし、いまは怒ることもなく
「お父さんの人生だから、好きに生きて」
「ただ、本当に近くに越してきて」
「それと、お願い……、ゆっくりわたしのペースもあるのでせかせないでね」
と、父にお願いしました。

そして、すぐに施設側に退去したい旨をお伝えしました。
短い期間でしたが、父にとっては、
外出も散歩も積極的になることが出来たサービス付き高齢者向け住宅での生活でした。
申し訳なさを感じつつ、感謝をお伝えしました。

3週間後、父はわたしと同じ市内のマンションに引っ越してきました。
慣れた役所での手続きは、わたしの負担も軽減されます。

我が家近くへの引っ越しの日にはまたまた段ボールの山。ただ、新居は1DKなのでゆとりがあり、安心できました
我が家近くへの引っ越しの日にはまたまた段ボールの山。ただ、新居は1DKなのでゆとりがあり、安心できました

近くで、同じ地域で、父と暮らすことをポジティブにとらえたいと思います。
今後、父とわたしが必要になってくるであろう介護サービスなどの利用についても、
これから父とともに探してみたいと思います。

高齢の父と認知症のわたし、父も義父母も健康でいてくれてうれしい限りです。
出来れば、父と義父母の介護も含めた行く末をきちんと見届けられるように、なんとか頑張りたいものです。

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