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認知症と生きるには

「やりすぎ」に注意 介護を破綻させないための心得 認知症と生きるには26

介護の負担に追い詰められて虐待してしまうようなことを防ぐために、ときには「No」と言うことも必要です

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、介護の負担に追い詰められて虐待してしまうようなことを防ぐために、介護家族が「自分を知ること」の重要性について、松本先生が、詳しく解説します。(前回はこちら

介護の負担に追い詰められ、虐待など、思ってもみなかった行為をしてしまう「善意の加害者」。介護家族がそうならないようにするには、どういった点に注意すればよいのでしょうか。一人で介護をしていると、気づいた時には介護に追いつめられていることがあります。早くそうした状況に気づくことが大切なのは、これまでも書いてきました。しかし、自分がどういった状況に置かれているかをしっかりと把握できる人ばかりではありません。むしろ、気づかないうちに、がんじがらめの状況になっている人も少なくないのです。

コラムを書いている私自身も、かつて、妻の介護で「何でも自分がやらなければならない」との思いから、「やりすぎ」ていた時期がありました。介護や認知症の専門職でも、自分の事にまで心は至らないものです。そうならないために、認知症の介護をする家族は、本人と介護者である自分との関係性をどのようにとらえればよいのでしょうか。

当たり前だから気づけない、認知症介護における関係性

人と人との関係は、相手の良い面も悪い面も含めて全体として差し引きし、相手に対する肯定的な面が否定的な面を上回っていると感じれば、その人との関係は良好に保たれます。これは何も介護に限ったことではなくて、誰かと付き合っていく上では基本となる関係です。

「○○さんのここが好き、ここは嫌い」と言いながら、子どものころから他人との関係が続いていくのは、このような判断を無意識のうちにおこなってきているからです。

ところが、こういった「ごく当たり前」の関係(「対象関係」と言います)が認知症をはじめとする介護の場面では変わってしまうことに、介護者は案外気づいていないことがあります。

「親が倒れたのだから、息子として、僕が看るのは当たりまえ」

「夫が認知症になったのだから、夫とは気が合わないけれど、妻として介護していこう」

多くの介護者が認知症の介護を始めたとたん、それまで、自覚していたはずの本人に対する「ここが嫌い」という感情が、無意識のうちに振り払われてしまう。そして、まるでそうした感情がなかったかのように、「私はいま介護しているこの人のことが好きだ」という肯定的な面ばかりを見てしまうことがあります。

私も妻の介護が始まったころ(妻は認知症ではなく、今はパーキンソン症状と不安・強迫性が強いのですが)、「介護者となった限りは、できるだけのことをしよう」と思い、自分の内面にある妻への否定的な気持ちを無視していた時期があったと思います。

しかし、そのような状況は長くは続きません。介護に行き詰まり、自分の中に怒りをため込んでしまったこともあります。

頑張りすぎて「メランコリー」になっていませんか

そのようにして介護に疲れ、追いつめられることで「善意の加害者」となってしまうことは、前回のコラムで触れました。

そうした悲しい結果にならないために、私たちにはできることは何なのでしょうか。

これまでの連載で、私が取り組んできた家族支援の中で大事だと思うことをいくつか書いてきました。例えば、介護家族のこころの段階や注意すべき発言などです。

今回は、さらに「自分を知ること」の重要性について考えてみます。

介護者としてわが身を振り返った時、以下の項目に心当たりはありませんか。

(1)私は人に頼られることが多い
(2)人が嫌がることを引き受ける
(3)私は自分が陽気な性格だと思う
(4)私は人と対立することを避ける

この4点のうち、自分はいくつあてはまるかをチェックしてみてください。熱心な介護家族や介護職、他人のための仕事をすることが生きがいであるような人々に共通してみられるこのような傾向(性格、行動パターン)は、うつ病の一類型である「メランコリー親和性性格」と呼ばれる性格と多くの面で重なります。

もともとは、陽気で、人が嫌がることも引き受け、相手の気持ちも読めるので、対立することなく、その場を和ませる…。一般社会でも、介護でも、どのような人と人との集まりでも、このような性格や行動をできる人々がいれば、集団の中で摩擦を生じることもないでしょう。

ところが、自分が言いたいことも押さえて、周囲の意見をくみ取り、人が嫌がることを「よし、任せておけ」とあえて引き受けるのですから、時にはその「ガンバリ」がきかなくなって、「メランコリー(うつ状態など気分がふさぐこと)」になってしまうことがあります。

世間から見ると「介護者の鑑(かがみ)」ともいえる人が、自分のこうした傾向に気づいていないとき、いつか介護に燃えつきる危険性を持ったままになってしまいます。

それゆえ、自分にはいくつの点が当てはまるか、常に考えてください。私の臨床経験では、この4つのうち、ひとつでも意識して「NO」と言えれば、ストレス過剰からメランコリーになることを防げます。

しかし、日々の介護で、「できない」「いやです」とはなかなか言えないもの。そんな時には無理に拒否しようせず、3回に1回ぐらいは「これ以上は負担になるから、今回はできない。次回またやるからね」と言ってみましょう。

自分の内面に注意を向け、過剰なストレスがあふれてしまわないようにコントロールできれば、介護は破綻せずに続けられます。

介護家族は、認知症介護のもう一方の当事者です。家族が「バーンアウト」し、「善意の加害者」にならないように、まず、「自分を知る」ことから始めてみてはいかがでしょうか。

※このコラムは2018年4月26日にアピタルに初出掲載されました。

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