つながり、出会い、ともに生きる~東京女子旅~
こんにちは、若年性認知症当事者のさとうみきです。
前回に続き、昨年12月の「東京女子旅」についてつづります。
写真、記録などから記憶をたどって、この連載の原稿書きをしているわたしは、
すっかり引きこもりがちになり、なんとも言えない疲労感があります。
毎日毎日オミクロン株による感染者増加の現状に、
ただただ、このコロナ禍でのやるせない気持ちが生じ、うまく言葉が並びません。
この原稿を書くのにも書いては、休むの繰り返しで数日かかりました。
一日も早く、当たり前だった日常、生活が戻ることを願いつつ、
自分自身の認知症の検査結果の右肩下がりの現状を受け入れつつも、
個人差はありますが、進行性の認知症の当事者には「待ったなし」。
一日一日をより大切に過ごさなくてはならない…
この長引くコロナ禍で、更にそんな風に感じるようになりました。
さて、記憶をたどって、
高知県からいらした、しのぶさんと対面した初日のことです。
以前、私が空港ユニバーサルデザインに関する委員会への参画で知り、お伝えしていた航空会社の「介助サービス」を利用しながら、
高知県から東京・羽田空港まで向かっているしのぶさんを想い、
飛行機の到着時間よりもかなり早く、空港で待っていました。
まるで遠距離恋愛中の恋人を待っているかのような落ち着きのなさであり、
または、可愛い妹を待つ姉のような感覚でもあり、その瞬間を待っていました。
航空会社のアテンドスタッフと一緒にゲートに登場したしのぶさんの目には涙があふれ、
「ずっと会いたかった」「やっと会えた」
そんな言葉と涙に、わたしまで涙腺が…
念願の初対面を果たし、
まずはホテルにチェックインし荷物を預けるために、
電車で東京駅まで向かうのですが、
これまた「あっち! こっち〜」「ゴメンなさーい! 逆でした〜」
と当事者2人の迷子旅の幕開けです(笑)。
なんとかホテルに到着すると、チェックインの時間前でしたが、
運よくお部屋にも入ることが出来ました。
わたしも事前に、しのぶさんの最近の体調、疲労などは伺ってはいましたが、
初日から飛ばさないように、各自のお部屋で1時間の休息を取って、
なるべくお互いに体力を消耗しないように、人混みを避け、
タクシーで浅草まで。
仲見世通りをゆっくり散策しながら、甘味処で休憩。
浅草の風景も甘味処もやはり風情があり、
2人にホッと癒やしの時間がおとずれました。
初対面とは感じられない親近感にお互いに笑顔があふれます。
なかなかコロナ禍で誰かに写真をお願いするのも難しい状況。
そこで、「わたしからのおもてなしです!」と、しのぶさんに伝えて、
人力車に乗って写真撮影をお願いしようと試みました。
修学旅行のように楽しく、懐かしい感覚の時間が流れていました。
「何友ですか?」と車夫の方に聞かれ
わたしたちは一瞬、言葉に詰まりました。
「同級生ですか?」
笑いながらも、息ぴったりで「にんともです!」(認友:認知症友だち)笑
40分のコースが終わりに近づき、ポツリポツリと、
ちゃんと認知症の友だちと、車夫の方に伝えました。
そして、2人だからこそできた即席認知症サポーター養成講座のようになりました。
笑い疲れてホテルに戻り、休憩を入れました。
いよいよ、堀田聰子さん(認知症未来共創ハブ代表)が予約して下さったお店で夜の女子会。
おいしいお食事に同年代女子の話題は尽きません。
(しっかりと感染対策の取れたお店でマスク会食)
食事を済ませ、聰子さんおすすめの丸の内のイルミネーションを見ながら東京散策をしました。
いつも誰にも気さくな聰子さんとしのぶさんの様子を
ちょっと一歩後ろから見ていたわたし。
同じ時期にともに悩みんできたしのぶさん。
しのぶさんのやりたい事の実現に向け、
地元、高知県や地域とつながり、一歩ずつ前を向いて、希望に満ちあふれた姿は、
とても輝いていました。
そして、わたしが活動をするにあたっても、
先に先輩のみなさまが「当事者が声をあげる」道を
切り開いて下さったことに、いつも感謝を忘れないようにしております。
ときに自分の活動での発信が本当に良かったのかと考え、悩むことはあります。
先輩のみなさまの足手まといになっていないか…
そんな悩みに、いつもみなさんはわたしに、こう伝えて下さいます。
「それぞれの発信、みんな違う発信でもよい」
「大切なことは、伝え続けること」
これからのしのぶさんの活動、高知県や地域のみなさんとどんなことが始まるのか楽しみでなりません。
これからの日本社会はどう変化していくのでしょうか。
認知症当事者の方々がいつまでも安心して住み慣れたまちで生きていけるように。
高知県に「芽」が出るように、しのぶさんの想いを応援したいと思います。
盛りだくさんな内容の2日目については次回へと続きます。