祝オスカー!アンソニー・ホプキンスが認知症の概念を揺るがす「ファーザー」
町永俊雄
5月に劇場公開が決まった映画「ファーザー」は、2021年アカデミー賞の有力候補として注目を集めています。認知症の父親を演じたアンソニー・ホプキンス(83)が主演男優賞を獲れば、世界を震撼させた『羊たちの沈黙』(1991)のレクター博士役以来、30年ぶりの快挙。この大注目作の試写をいち早く観た、福祉ジャーナリストで自他共に認める映画通の町永俊雄さんが、なかまぁるにレビューを寄せてくれました。
認知症当事者から見た、この世界
認知症というのは、時間、空間、人間という三つの要素との関係性が失われることと言っていい。今日がいつだかわからなく、見慣れた場所がよそよそしく立ちはだかり、「その人は誰か」の記憶も霧の彼方に退場していく。
認知症に伴って起こるこうしたことは、ある時は症状とされ、ある場合には生活上の支障とされる。多くは好ましくないこととして語られるが、それは常に認知症ではない側から見るからだ。では、当事者から見るとこの世界はどのように映るのだろう。そして、どのように変化していくのだろう。
この映画はその世界と変容を体験させる。体験といっても最近はやりのVRゴーグルを装着してのバーチャル体験とは全く趣が異なる。一言で言えば、私たちの存在とはいかにして成り立つのか、そのもろさと深さ、あるいはそのかけがえのなさを描いた映画なのである。
名前も年齢も誕生日まで同じ、2人のアンソニー
主人公アンソニーを演じるのは名優アンソニー・ホプキンスである。役のアンソニーと俳優ホプキンスとは、名前も年齢も誕生日も同じという設定だ。脚本も共同執筆したフロリアン・ゼレール監督は主人公を、ホプキンスを思い浮かべながら当て書きをしたと語っている。
観るものには映画の虚構と、実際のホプキンスとの境界がわからない仕掛けで、それは「彼は、私だ」と同一化させる回路の設定とも言える。実際観ていても、彼はアンソニーなのか、ホプキンスその人なのか、そのイメージはすっかり溶け込み重なり合う。名演である以上に巧妙な罠だ。
主題は、あえて言えば認知症でも介護でもない。認知症を通して見た私たちの存在なのである。言い換えれば、認知症になるという事はどういうことかの実存を描いた。5000人の認知症の人を診てきた「のぞみメモリークリニック」の木之下徹医師はその著書で、認知症の人の存在の不安に触れ、こう記している。
「私たちにとって重要なのは、・・・そもそも認知症の体験とはどういうものかを知ることです。表面的な症状の話ではなくて、もっと根深い自分が自分でなくなるのではないか、という存在不安の話です。・・・どういう状態になってもその人にはその人なりの自分がいるという確信が私にはあります」
まさにこのコメントこそ、この映画の本質を言い当てている。私たちにとって重要なのは、認知症の体験とはどういうものかを知ることで、それは根深い存在不安なのだ、と。
自分の確かさが浸食されていく
「妙なことばかり起こる」
アンソニーの不安は、日常の些細なことから忍び寄る。彼の確かさが揺らいでいく。
このことですぐに思い浮かべるのは、去年のNHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」の長谷川和夫さんだ。日本の認知症医療、ケアの泰斗である長谷川さんも、自ら認知症になって分かったのは、「確かさがなくなることだ」と語っていた。
アンソニーにとっての確かさの象徴は腕時計だ。彼は腕時計が誰かに盗まれたと介護にあたる娘のアンに常に訴える。ふと手首に触れてもそこには腕時計はない。失われていく腕時計は、自分が自分でなくなっていく彼の存在の不安を物語っている。
娘のアンを演じるオリヴィア・コールマンとホプキンス、2人の名優の心理劇もまた見ものである。
この映画には修羅場も、涙にかきくれて抱き合うような感動シーンも現れない。ただ、ホプキンスもコールマンも抑制された台詞回しと沈黙とまなざしで、自身の存在不安を内面化していく。押さえ込まれた2人の感情は耐え切れないほどに膨張し、沸点近くの圧力を保ちながら混乱の度合いを深めていく。時制も歪み、人物も場所も入れ替わるシーンの連続に観るものは混乱し、それはそのままアンソニーの混乱だ。
認知症を高齢化の課題とするより、この映画では人が人であることの自我への問いかけと捉えている。日本のウェットな情緒を軸とした地域福祉的なつながりや支え合いといった文脈とはかけ離れる、多分、そこにはイギリスの個人主義という背景が色濃く反映しているのかもしれない。
アンがアンソニーのことを「他人を見るようにして私を見る」とおののくが、この映画の登場人物は誰もが、くっきりとした他者性で立ち現れる。演劇的なのだ。ベタベタした情愛で馴れ合うのではなく、他者と自分がキッパリ切り分けられている。アンソニーの悲劇はそこにある。
「認知症の力」
この映画が描くのは、逆説すれば「認知症の力」と言えるかもしれない。コロナ の時代に誰もが自分が自分でなくなるような存在の不安に襲われている。それを言語化や可視化できないまま目先の事態に振り回される不安。
だが認知症のまなざしで見れば、この映画にあるのはどのようになってもその人はその人であることにかわりはないという揺るぎない人間肯定だ。
「全ての葉を失っていく」、アンソニーが呟く悲哀からゆっくりとカメラがパンして窓からの樹々のそよぎを写し続け、変わらない世界の日常を暗示する。哀しいけれど、存在という誰もの真実の奥深いところから生き直す勇気が湧いてくる、そんな映画だ。
【作品情報】
公開日:5月14日(金)全国公開
監 督:フロリアン・ゼレール 脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール
出 演:アンソニー・ホプキンス、オリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、イモージェン・プーツ、ルーファス・シーウェル、オリヴィア・ウィリアムズ
2020/イギリス・フランス
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