なかまぁるクリップ

自分自身で生きていく。首都圏初、「希望」盛り込んだ世田谷区認知症条例

東京都世田谷区で10月1日、認知症の人の意思と権利の尊重を掲げた「世田谷区認知症とともに生きる希望条例」が施行されました。認知症に関わる施策を進めるときは、「常に本人(認知症の人)の視点」に立ち、本人や家族から意見を聴くことを区に義務づけています。翌2日付朝日新聞の朝刊で、条例を紹介する記事を書いた国米あなんだ記者が、その取材を振り返ります。

「希望」が掲げられたこの条例には、認知症の本人の意思と権利が尊重されることと、区民らが認知症とともに、よりよく生きられる地域共生社会の実現が記されています。

私がこの条例の存在を知ったのは、2019年12月12日に開かれた保坂展人区長の定例会見でした。保坂区長が条例制定に向けて検討を進めていることを明らかにしました。

区内には推計で認知症の人が約4万7千人(軽度を含む)いて、その家族や知人を含めれば数十万人が認知症に関連する課題に向き合っていると保坂区長。その上で、「認知症になっても尊厳と希望を持って『自分らしく生きる』ことは可能だということを(条例を通じて)提示し、認知症に対する見方、考え方そのものを地域社会の中で転換していきたい」と訴えました。

その時点では「施行はまだ先だ」ということで、当日の記事にはしませんでした。

正直なところ、よい条例だと思う一方で、あまり強く関心を持つことができませんでした。聞こえのよい言葉を掲げた理念条例が、住民の実生活にほとんど影響を及ぼさないという事例を他の自治体で取材してきた経験から、取り立てて取材する必要性を感じられなかったのです。

「希望」は建前だけではないかもしれない

そこから約9カ月が経った今年9月、他社の新聞の一面トップでこの条例が報道されました。「世田谷区が区議会に認知症施策の指針となる条例案を提出」。これは「首都圏では初」であり、「希望」や「備え」に言及した画期的な内容だというものです。

取材を担当する自治体の取り組みを他紙の一面で先んじて報じられる、記者にとって手痛い「抜かれ」となってしまいましたが、この記事を読み、気持ちが動きました。

理念条例で住民生活に変化はなさそうだし、他の取材も抱えていて認知症についてしっかり取材する余裕はないなあ……と素通りしそうになっていましたが、でも条例にある「希望」の言葉は、建前だけの話ではないのかも……。そんな期待がふくらみ、取材を始めました。

実は、世田谷区が条例制定に本格検討を始めたのは昨年3月ごろ。私が区長会見で初めて条例のことを耳にする半年以上前でした。翌4月には地区医師会の理事や、在宅介護をする家族会などのメンバーでつくる検討委員会を開きました。その後、検討委員会に認知症の本人を招いたり、本人や家族が参加するワークショップを開催したりして意見を交換してきました。

2019年6月に開催されたワークショップの様子(世田谷区提供)

絶望と紙一重の毎日に、この言葉がどれだけ重要か

検討委員会の議事録をみると、条例に掲げられた「希望」が「単なる理念ではない」というやりとりが残されています。

たとえば昨年11月の検討委員会では、認知症介護研究・研修東京センター(東京都杉並区)の研究部長を務める永田久美子委員が「絶望と紙一重の毎日の中にいる人にとって、この希望という二言がどれだけ前を向いて生きるために重要か」と強調しました。

そして東京都医学総合研究所社会健康医学研究センター長の西田淳志委員は、希望を持ち続けることが認知症の人の社会機能や認知機能の保持につながることが疫学研究で明らかになっているとし、「希望を保持する環境を作ることが重要」と話しました。

また区や検討委員会のメンバーらによると、条例作りへの本人参加そのものが画期的な取り組みだといいます。これまで条例を含め、認知症施策の多くに家族の声は取り入れられてきましたが、認知症の本人に話を聞くということはあまりなかったといいます。

先例としてよく取り上げられるのは、19年4月に施行された和歌山県御坊市の「認知症の人とともに築く総活躍のまち条例」です。少しずつ広がり始めた認知症の人たちの声を盛り込んだ条例づくり。世田谷区では検討委員会に60~80代の3人の当事者が参加し、彼らの声を受けて、条文では、認知症とともに生きる存在として「子ども」を含めることや、「サポーター」という言葉は使わずより対等な意味合いを感じさせる「パートナー」を用いることなどが決まりました。

立ち上がるんだ、自分自身で生きていくんだ

検討委員会に参加した3人のうちの1人、長谷部泰司さん(81)は条例にある「希望」に期待をかけます。

条例づくりに携わった長谷部泰司さん

昨年12月に開かれた検討委員会で、長谷部さんは「自分が認知症であることを納得するまで2、3年かかった」と説明しました。納得してからは「認知症でもいいじゃない、自分は認知症で老人だけれども、立ち上がるんだ、自分自身で生きていくんだ」と思うようになったと話しています。

今年9月下旬に、私が自宅に伺ったときには「認知症になる前の自分はよく働きよくがんばっていた。でも今の私も自分らしく生きている。絶望よりも希望の言葉が合うんです」と教えてくれました。

取材した私は、検討員会の議事録にも、長谷部さんの語りにも前向きさと、温かさを感じました。ただ、それだけに、それまでの認知症を巡る議論が本人不在で進められてきたのだということを改めて突きつけられた思いでした。

条例をつくった世田谷区は、今後、認知症施策を推進する際に本人の意見を聴くことを自らに義務づけました。条例がどう浸透し、どう変わっていくのか、本人や家族の期待は大きいはずです。

もうひとり、検討委員会に参加した当事者の女性(69)は区の実務的な対応にも注目します。たとえば、認知症に関する区の取り組みについて何か知りたいと思ったとき、区の窓口などに提示されている問い合わせ先は3カ所あります。女性は「今の私がそれぞれに電話するのは難しい。せめて一つの番号にしてほしい」と言います。「小さなことだけど、できないことの回数だけ落ち込むことも増えていく」

希望の実現のための議論も、現実的な対応の整備も、どちらも認知症の本人たちは待ったなしで求めています。本人たちの願いが盛り込まれた新たな条例は私たちに気づきを与えるとともに、前進する背を押す力もあるはずです。

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について