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夫は「死んだ魚のような目」 奮闘する義父母の説得 もめない介護71

セミの抜け殻
コスガ聡一 撮影

あの手この手でアプローチしてきた義父母の「デイ通い」。でも、いよいよ万策が尽きてきました。そんなとき、ケアマネジャーさんからこんな助言がありました。

「真奈美さんの本音をぶつけてみましょう。つらいと思ってることや、もう限界だと感じていることをお伝えになってみては?」

これまでケアマネさんにはたくさんのアドバイスをもらってきて、そのたびに「なるほど!」「目からウロコ」と感激してきましたが、このときは正直、ピンと来ませんでした。義父母からすれば、赤の他人である私が、つらいと思っていようがいまいが、まったく関係ない。ずっとそう思ってきたからです。

本音と言われても……。一切取りつくろわず、本音をぶつけるとすれば、「四の五の言わずに、デイ通いをしよう! 以上、終了!!」です。いやいやいや、そんなことを言われて、誰が「わかりました!」と思う……? いやいやいや……と半信半疑でした。ただ、このまま放置しておいても、事態が好転するとは思えません。もうダメならダメで、結論を出してしまいたいという欲求にも駆られていました。

ついに伝えた「限界です」

では、いつ義父母と話し合うのか。

当時、ちょうど数日後に、義父母と一緒にお墓参りに行く約束が控えていました。市民霊園までは、夫の実家から車で1時間近くかかり、帰りにはたいていどこかで食事をするので、話し合うチャンスは十二分。問題は、わたし自身がまったく気乗りしてないということぐらいです。もしかしたら、冷静に話をできる心境ではないかもしれない。会話の主導権はお任せしたいということは、あらかじめ夫に伝えてありました。

こうして迎えた決戦の日。夫が運転する車でお墓参りに向かう道すがら、わたしは助手席でノートパソコンを開き、ヘヴィメタルを大音量で聞いていました。後部座席から義母が「あら、あんなところに花が咲いているわ。何かしら?」「このあたりの道はどこにつながっているのかしらね」などと話しかけてきても、ノーリアクション。我ながらひどい態度だと思いながらも、どうしようもない拒否感が募り、自分でも持て余していたのです。

「お話があります」
義父母にそう切り出したのはお墓参りを終えた後、昼食のために寄った洋食屋でのことです。

「デイ通いのことですけれど、お医者さまからも言われているように、おふたりにとって必要なケアのひとつだということはご理解いただけていますか」
「別に行かなくてもどうってことはないわよ」
「おとうさんの身体の状態は、入院する前の状態にはまだ戻っていないんです。このままではまた、体調を崩す可能性もあるし、もう正直、わたしもこれ以上は……限界です」

夫が大真面目に話しかけても、義母は知らんぷり

伝えた! いまいち、言ってることはつながってないような気がするけど、ともあれ「限界である」ははっきり口にした。ところが、義母はまったく興味がなさそうな顔で窓の外を見ているし、義父も黙りこんでいます。何、そのリアクション……。そんなふたりの姿を目にすると、気持ちが急速に冷え込み、拒否感再び。

「ごめん。やっぱ無理だわ」と夫に耳打ちし、ギブアップ。「つらい」「限界だ」と訴えたところで、たいして響かないだろうと予測していたはずなのに、義母に軽やかにスルーされていることがどうにも腹立たしく、口を開けば、なにかきつい物言いをしてしまいそうでした。腹をたてる筋合いではないと思いながらも、腹の虫がおさまらないのです。

「おふくろ、どうしてみんなが『デイに行きましょう』と言ってるかわかる?」
夫が大真面目に話しかけても、義母は知らんぷりです。

「そういえば、あの子はどうしてるかしらね。ほら、あの子、名前はなんだったかしらね」
誰のことを指しているのかわかりませんが、義母は全然違う話を始めます。出たよ……と、わたしはますます意気消沈しますが、夫は一向にくじけません。

「僕は行っても構わない」恨めしそうな顔で義父を見る義母

「話をそらすのはやめよう」
ズバッと切り込み、デイ通いの必然性を根気強く説明します。負けじと話をそらし続ける義母。あきらめずに話を元に戻す息子(夫)の攻防が続きます。

「親父の低栄養はこのまま続くと、深刻なことになりかねない。もう一度入院することだってありうる」

夫がそう説明する向かい側で、終始黙ったままだった義父が猛然とランチを平らげ始めました。いや、そういうことじゃなくて! いや、しっかり食事をとることはいいことか。奇妙な展開にいらだちも薄れ、笑いがこみ上げてきます。なんでしょうか、この家族コント感!

夫が義父に「デイ通いについて親父はどう思ってるの」と尋ねると、「僕は行っても構わない」と飄々とした回答。義母は一瞬、裏切られたとでも言いたげな、恨めしそうな顔で義父のほうを見ましたが、すぐ気を取り直し、「そんな事情があるなら、早く教えてくれればいいのに」とケロリ。

さらには、義母は「どなたも教えてくださらないんですもの」「早く教えていただきたかったわ」と言いつのります。夫を見ると、じっとこらえてはいるけれど、死んだ魚のような目をしています。義母の“自分は悪くない”話法は、夫が繰り返し「おふくろのああいうところがイヤ」と言っていたことのひとつです。よくキレずに耐えていると、心の中でひそかに夫の健闘を称えつつ、バトンタッチ。

「デイに行かないと家族が心配する」といった説得は一切やめて

「これまでも、お伝えしていたつもりだったんですが、うまくお伝えできていなくてすみません!」
黙って口をはさまず、目の前の生姜焼きに集中していたせいか、思いのほかやさしい声を出すことができました。いいぞ、その調子だ。

「そうよ。早く教えてほしかったわ」
「ですよね~~。ケアマネさんやヘルパーさんたちともしっかり共有しておきますね」
「そうしてもらえるとありがたいわ。みなさん“行くと楽しい”とか、そういうことばかりおっしゃるから」
「ホント困っちゃいますよね。みんなが忘れないように、帰ったらしっかり貼り紙もしますね。デイ通いの目的は『おとうさんの低栄養改善のため』、そして『おとうさん、おかあさんおふたりのもの忘れ改善のため』だって」
「えっ……まあ、そうね。そうしてちょうだい」

実際、帰宅後に貼り紙をつくり、ヘルパーさんとも共有しました。義母から「デイをやめたい」「デイに行きたくない」と言われたら、貼り紙の前に行き、一緒に読み上げます。でも、これらの理由をふまえた上で、行くか行かないかは義母次第。「行きましょう」「行かないと家族が心配する」といった説得は一切やめました。すると、どうでしょうか。「デイに行くと気を遣って疲れる」「準備が大変」などの愚痴は相変わらずあるものの、「デイをやめる」という訴えや、義父を焚きつけてキャンセルといったことは、その日を境に減っていったのです。

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